自分自身に 今 自分が これでいいと思っていることに
自信が持てなくなり始めそうな 揺さぶりが起こり始めていました
自分の進歩の無さに ジレンマをおこしながらも
私は私なりの進み方があると思うようにしていました
でも 本当は 周囲を羨み比べて 出来ない自分 ダメな自分 を 自分で作り出していたのかも
そんな時 いつも読んでいる ブログで あるメッセージに 目が留まりました
『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み 』 by 雲黒斎
こちらから 転載させていただきます (少し長いですが…)
あなたは今、何を求めていますか?
どんな夢を叶えたいと思っていますか?
才能、人望、素敵なパートナーとの出会い、妊娠、高度な運動能力、豊富な知識、的確な判断力、若さ、美貌、美声、健康、お金、肩書き、資格、笑いのセンス、ヒーリング能力、優雅な時間、神秘体験、賞賛、何事にも動揺しない心の強さ、不屈のモチベーション、目覚めた精神、チョメチョメ、それから……
本心では誰よりも優れたものを。でも、それはそれで大変そうだから、せめて人並み程度のものを。
ええ、僕にだって色々ありますよ。
僕の場合は……そうだなぁ、やっぱりね「何でもいいから褒められたい」っていう気持ちが強いかな。
褒めてもらえるなら、認めてもらえるなら、その要素は何だっていいんです。
「かっこいい!」とか、「すげー!なんでそんなことできるの!?」とか、「いいなぁ、うらやましいなぁ」とか、「本当にありがとう!」とか、「大好き!」とか、そんなこと言われたらもう、嬉しさを隠しきれません。
「いやいや、それほどでも」なんて言いながら謙遜してポーカーフェイスを気取っても、ついつい目尻が下がったり、口元に小栗旬ばりの「したりライン」が出てきちゃいます(笑)。
だからね、出来るだけ沢山の人にそう言ってもらえるように、アレが欲しいコレが欲しい、コレを向上させて、欠点は気づかれないように、もっと成長しなきゃ、精神を進化させなきゃ……って
そうやって、日々色んな気持ちが湧いてくるんです。それも、次から次から、止めどなく。
で、ふと我に返ると、そんな気持ちに翻弄されて、いつの間にかヘトヘトになっている自分に気づくんですね。
「あぁ、また性懲りもなく無理しちゃってたよ、俺」って。
もう気づいてはいるんですよ、この止めどない衝動を支えている原動力が何であるかは。
それはね、「自分で自分のことを認めてあげられていない」っていうことなんです。
これはホント、自分でも呆れるほど根深い思い込みです。
気づいても気づいても、薄れはすれど、無くなりはしません。
でもね、原因がわかってるから、何だかんだと欲に振り回されていても、以前と比べたら随分と楽チンなんです。
そして、対応の仕方も、以前とは全然違うんです。
その原因に気づけずにいたときはね、「なんとしてでも夢を叶えねば!」って、とにかく表層的な達成目指してまっしぐらだったんです。
本当は、自分のことを認めてあげたいんです。
でも、どうしても、自分がそんなに出来た人間だとは思えなかったんですね。
絶えず何かが欠落していたり、満たされていなかったり、誰かより劣っているように思えたり。
自分を認めてあげられていないから、自分で自分を認めてあげることができるよう、「これができたら、自分を褒めてあげられる」というハードルをわざわざ自分で用意して、それに向かって奮闘していたんです。
で、そこに用意されたハードルが、過酷であればあるほど、自分を褒めてあげられるような気がします。
人一倍過酷な道を進み切ることが出来たら、もっともっと、自分を褒めてあげられそうです。
だから、沢山の苦難を乗り越えてきた実績のあるあの人は、尊敬するに値し、さほど苦労をしていないように見える人のことは、どこか軽蔑しています。
自分が誰かを見下しているから、「自分も誰かに見下されるかもしれない」という不安が同時に存在しています。
だからこそ、自分は軽蔑されないよう、少なくとも、人並み程度のハードルは越えなければならないと、さらにしゃかりきになって。
で、「人並み」っていうのは「イメージ」ですからね。基準のようで基準になりません。
どれぐらいのハードルが「人並み」なのかは曖昧にしかわからないから、「とりあえずこのぐらいは頑張らなきゃいけないのかな?」なんていう目標を自分で立ててみたりもします。
で、せっかくそこに達成できても、「いや、こんなに簡単に達成できるのはおかしい、きっとハードルの高さが人並みじゃなかったんだ」って、もっと大変なハードルに置き換えてみたり。
で、様々なメディアの向こうでキラキラ輝いて見えるアーティストや著名人、アスリートたちは、「自分の好きな道をトコトン究める」というハードルを越えたヒーローに見えます。
「いいなぁ。でも僕には、そこまで熱中できるほど好きなものもないんだよなぁ」
そこで僕は「何かの犠牲になる」というハードルを用意したんですね。
勿論、「何の犠牲になろうかなぁ」なんて、真剣に考えていたわけじゃないですよ。振り返ってみると、無意識にそういうことになっていたのが分かるんです。
たとえばね、そう、「仕事」。
「お金を得る」ということが、いつのまにか「何かや誰かの犠牲になったことへのご褒美」みたいな意味になっていたんですね。
「懸命に働く」=「人一倍ストレスと向き合ってるんだから、もっとお金くれよ」みたいな(笑)。
(中略)
大元の原因は「自分で自分を認められない」っていうことなんだけど、その土台があると、ホントにもう、「こんな所にまで影響する!?」ってぐらい色んな所に歪みが出来て、どんどん「望んでいない現実」を作りあげることになっちゃうんです。
だからね、表層的な夢を叶えようとしゃかりきになっても、どうにも改善されないんですね。
「自分で自分を認められない」っていう根源を変えない限り、頑張れば頑張るほど悪循環に嵌ってしまいます。
「自分で自分を認める」ために必要なのは、実は「進化」や「成長」ではありません。
なぜなら「進化しなければ」「成長しなければ」という思いそのものが、いまの自分を認めてないからこそ生まれる発想だからです。
本当に必要なのは、「素の自分」をそのまま丸ごと認めてあげる、自分に対しての無償の愛です。
「これこれをクリアしたら愛してあげる」という条件を付けず、欠点も至らなさも丸ごと受け入れて愛してあげることです。
でも、長年「ありのままの自分」を否定し続けて来た自分は、なかなかそれを聞き入れてはくれません。
「至らない自分を受け入れるだって!? バカな事を言うな! そんなことをしたら、私の成長、進化の道が閉ざされてしまうじゃないか!これまでどれほど必死で歩いてきたと思ってるんだ!いままでの道のりも台無しになっちゃうじゃないか!」
って。
だからね、とってもへんな話なんですけど、自分で自分を愛すのは、すごく勇気がいるんです。
(転載終了)
今朝 テレビアニメ 『スイートプリキュア』でも (たまたま見るとはなしにつけていたんですよ)
悪の根源のような敵にたいして 「あなたは あなたのままでいいの」 と言っていました
生活の 至る所に メッセージが 散りばめられているんだなと つくづく感じました
今の私でいいんだ と また 気づかせてくれました
感謝です