私は死ぬほど飽き性だ。どのくらい飽き性かというと、一つの作品にハマり数カ月はその作品のことしか考えられなくなるくらいハマり、その後急速に冷めて存在していた記憶さえ危うくなるくらいには飽き性だ。ポケモンスリープは1週間、あすけんは入力のだるさから1日、ソシャゲもものによっては即アンインストール。アニメシリーズはよっぽどハマらないと全話(12話から20話)観れず、1本完結の映画の方が好きだ。続かないものがあまりにも多い。

 しかしそんな私にも続いている物がある。絵だ。絵だけは物心ついた時から描き続けており、最近は人体解剖学にまで手を出し始めた。というわけで今回は、私が絵やその他から学んだ「続け方」や、「無理に続けなくても良い」という持論を書いていこうと思う。


◯続け方は人それぞれ

 まず言いたいのはこれだ。日本では、職人気質か、とにかく一つのことを続けることが求められることが多い気がする。毎日コツコツと勉強、コツコツと練習、コツコツとetc…。私はそれには賛成する。続けることは重要だからだ。

 しかし、続け方は自分なりでも良いということを言いたい。まず、さっき記事で「絵は物心ついた時から描き続けている」書いたが、これに「いや続いてるじゃん!飽き性じゃないじゃん!」と思った読者諸君も居るだろう。しかし、読者諸君が想像してる続け方では無いのだ。

 そもそもイラストで一貫しているものの、二次創作、一次創作、描くジャンルはコロコロと変わる。しかもゲームにハマったりスランプに陥れば1週間とか描かないのもザラ、未完成作品も山ほどあるし正直スマホしかいじらず迎えた月曜も多い。絵の特訓やデジタルへの移行をしようとして挫折もかなりしている。

 しかし、「絵を描く」という行為だけは一貫している状態だ。どんなに放置しても、放り投げてもまた絵を描いている。ノートの隅のラクガキで続けていた。

 そこで私は言いたい。続けることはそんなにカッコよくなくても良いと。私は絵を描くことだけを続けてきたが、そんなにずっと向き合って、その事だけを考えてきたことはない。すぐに興味の対象がコロコロと変わるのだ。少なくとも「ルックバック」の藤野ほど熱く向き合ってきてはいない。私が人体解剖へ至った経緯も、誕プレで貰った本をめんどくさくて数カ月放置した挙句、自分の絵に人体デッサンを取り入れたくてふらっと始めたらハマっただけだ。

 それでいいんじゃないか。別に毎日向き合わなくてもいい。投げ出してもいい。なんか気分が向いたらふらっと戻り、満足したら別の事をする。これだけでも継続は出来ている。そこから上達をしたければ気分でする。それでいい気がする。そもそも趣味なんていわば自己満足なんだからそこに職人気質を求めるのも酷な話だ。


◯最悪続けなくても良い

 前の話と矛盾しているようだが、私は「最悪続けなくても良い」と思っている。読者諸君は「さっきまでどんな形でもいいから続けたほうが良いって話だったじゃん!」と思っただろうがまあ聞いてほしい。また、私の実体験という名の自語りで進めていこう。

 私は動画編集を始めた。流行りの"meme"というやつだ。Aviutlというソフトを苦労しながら入れ、絵を描いて動かして、1ヶ月かけて一つの動画にまとめた。そして気づいたのだ「これめちゃくちゃめんどくさいな…」と。抽象的に、「とても大変で難しいこと」とは思っていた。友達も「難しくて挫折した」と言っていた。違う。難しくはない。ただひたすらに労力と時間がかかり地味で楽しくないのだ。(それを難しいと言うのだろうが。)

 私は作りたい動画は色々あったが、放置して動画編集をしなくなった。めんどくさいからだ。そしてまた他ジャンルにたどり着いた時、今度はアプリで動画を作ってみた。また一ヶ月はかかった。そして2本作ったらまためんどくさくなって放置した。

 そして今、また動画を作っている。


 さて、かなり自語りが長くなったが何を言いたいか、感の良い読者ならわかるかもしれないが、「最悪続けなくても良い」の後ろには続きがある。

「とにかくやってみること」 だ。

 私は「動画編集の難しさ」というものが作って初めてわかった。少なくとも始めないとわからなかったことだ。おそらく始めなかったら、ずっと「なんか難しいらしい」というイメージに怯えていたことだろう。しかし、やってみて気づいた。まじでめんどくさいだけだと。

 そこで、私は気が向いた時にだけ作った。めんどくさくなって未完成で放置も同じくらいした。するといつの間にか数本動画が完成しており、ほんの少しだけアニメーションについても理解できたし編集技術も上がった。(と思いたい。)

 つまり、何かを続けなくても良いからやってみる経験が大切だということだ。それだけでどこが楽しいのか、どこが大変なのかが一発でわかる。自分に合うか合わないかもわかる。向かなかったら他のことをすればいい。ついでに完成されたらもっと良い。あくまでついでだが。

 とにかく始めれば、その行動は「人生の選択肢のどこかに引っかかる」。何かをしたい時、時間がある時、表現してみたい時、ふと、「そう言えば、今あれをやったらもっと上手にできるかな」と頭に浮かぶかもしれない。そうしたらまたチャレンジする。それを繰り返すだけでいつの間にか何かが積上がある。「継続」できているのだ。

 こんなに偉そうに書いている私だが、コミケでの初コスプレは大失敗だった。アイメイクなるものに挑戦しても、なんか目をぶん殴られて赤く腫れたようになり、1m超えのウイッグを買ったら全日深夜2時まで髪をとかす羽目になり、(当日はひどい有様だった。)古着などで安くそろえようとしたら1万円を越え、労力がかかるんならアマゾンとかで買えばよかったと後悔もした。背伸びしてレイヤーさんと交流を試みるも普通に会話は弾まなかった。(おそらく私のコミュ力の問題。)

 しかし、当時は普通に楽しくなかったが、今思い返すと、優しいレイヤーさんに助けてもらったし、2人から写真を撮ってもらえた。成功だったきがする。

 そして、めんどくさいからやっていなかったが、新しく出来た友達がコスプレイベントに参加するらしいので、またコスプレをするかもしれない。今度はショートヘアのウイッグを買いたい。




あとがき(見ても見なくても良い)

 さて、持論というかほぼ自語りみたいな本文だが、どうしてこれを書きたくなったか、気になる読者もいるだろう。いなくても書かせてもらう。

 私はとても完璧性で、コスプレもダメダメで落ち込んだし、何回も飽き性の自分を責めた。「なんで私は物事を続けられないんだろう…」と。

 しかし、動画編集を続け上達を実感した時、「気が向いた時にするだけでも継続であること」と、「飽きて放置しても物事は待ってくれていること」を実感した。

 本文でも書いたが日本はとにかく同じ事を継続することが美徳という空気を感じる。気がする。なんだか飽き性なりの継続の形は認められないような、そんな感じに思う。(本当に気の所為かもしれない。) 「とにかく同じことを上達するまで続ける」、「逃げてはいけない」。そんなふうに言われているような気がした。

 そこで、私みたいに飽き性で、それがコンプレックスな人に「人それぞれの継続があること」を伝えたかった。私みたいに、何かを始めようとして、「どうせ続かないし…」、「中途半端に終わるし…」と思って尻込みしている人に、「とにかくやってみることが大切ということ」を伝えたくなった。

 手垢がつくくらい(特に後者は)当たり前の事かもしれないが、それでも私はつい最近これを実感したし、前者に関しては意外と言っている人が少ない気がしたので私みたいに飽き性の方に少しでも見てもらえたら幸いである。

ここまでの駄文、失礼した。