明けてた。年明けてたわ。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。さて、もうあんまり隠す必要がないかなあと思うので書いてみる。

創作する際、なぜかインスピレーションとは違うところで創作物のイメージを受け取ることがある。

たとえば、動物の絵を描きたいと思いながら資料を探したりしていると、構図が降りてきたりすることがあるけれど、わたしのそれはいきなりやってくることが多く、まったくそれについて意識をしていない時なのである。いきなり次々映像や言葉がつらつらと浮かんで来たりするのだ。

そこからそれらについて調べ、創作物にしていく。最初は自分の思い込みや妄想なのだろうかと思っていたものが、友人たちと数々精査していくうちにそうではないというところにたどり着いた。

だから受け取れるわたしすごい、ということではない。なぜならそれができることにより足を踏み外してきた人たちを多く目の当たりにしたからだ。歴史に出てくるような存在、かもしれないものとアクセスしたからといって、自分が選ばれた者になるというわけでもないので、わたしにとってそれは情報のひとつ、といったところだ。

わたしには形がないものに形を与えるという三次元での労働が発生する。これが実はポイントだと思っていて、ふんわりフワフワと見えるだのなんだと言いだし創作をおろそかにし、浮き足立って自分が注目されたいなどとブレだしたら、完全に創作物に響くのである。ブレてダサいものを作るなんて、カッコ悪すぎる。

そういう制作の仕方を取っているため、画家、アーティストと呼ばれるのは少し違う気がしている。だから肩書きを結絵師(ゆいえし、こちらとあちらの縁を絵で繋ぐ)としたのもある。
わたしは、見えないところから受け取ったものを自分を通し形にする機関のようなものだと思う。