いつもブログを見てくださってる皆様、有難う御座います。

妻のスピカが頑張り抜いたのですが、3月に旅立ってしまいました。

 

四十九日も終わり、辛い時も頑張ってスピカがブログをしている事は知っていましたので区切りとしてブログを終わらせてあげたいと思い、文章打たせてもらっています。

こいう話は見たくないという方も、いらっしゃるのは承知しております。

なので、これより先は僕が見ていた妻の状態になりますが何か参考になる事があればと思い報告させて頂きますので辛い思いをされる方は、ここまでの報告として閉じて頂ければと思います。(少し行あけますね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あくまで、側で居て感じたことになるので今までのブログよりも中身は薄くなってしまうかましれません。

 

◾️身体の状態

 

①腫瘍熱
→前回の投稿からもそのまま変わらず腫瘍熱によく使われる薬(ナイキサン)を1日3回服用して36.8〜37.6がベース。



②水下痢
→こちらも状況は同じ状態で、変わらず頻度は多くなっていました。

それに伴い切れ痔なども起きてしまいトイレもより苦痛に。



③肌の痒み+筋肉の痛み
→頭〜足裏まで全身が痒いのは収まらず、夜中もかゆみと筋肉の痛みで寝ることができない状況でした。
筋肉の痛みに関しては、横になってもすぐに痛くなり体勢を変えても少ししたら痛みが出るため寝れる環境を作るため

角度が作れるクッションを何種類か購入しその状態で緩和させながら過ごしていました。

あとは筋肉のコリを緩める市販薬【コリホグス】なども試させて最初は楽になっていたので痛みではじめの方にはいいかもしれません。



⑤食事量の低下
→入院するまでは、小鉢3~4品を1時間くらいかけて何とか食べていました。

最後の入院後は一気に減少し水分とそうめん2口、フルーツ1個が多く続いていました。

なかなか、水分しか食事が難しいため飲み物も水、紅茶しか受け付けにくくなっていたのですが糖分なども摂らせられるようにぶどうジュースやりんごジュースが飲みやすくおすすめです。

噛んだり飲み込む力が弱くなってしまった方にはかき氷なども甘味を与えるのにはいいかもしれません。


★浮腫
→筋肉量が低下し車いすで出かけるようになってから、脚の浮腫みがひどくなり浮腫になってしましました。

これが2人が思っていた以上に一番深刻な問題になりました。

最初は脚の甲がクリームパンのように膨れ上がり、私が毎日日課で行っていたリンパマッサージでも一時的には元に戻るのですが反対の脚をマッサージしている間にもとに戻る状態になってしまいました。

そこから週単位で、ふくらはぎ→ふともも→お尻と浮腫んでいき硬さは男性が力を入れた時の筋肉の硬さ程になっていました。

その頃には車いす必須・階段上れないためおんぶをして階段のぼり・トイレも立ち座りがきついためゆっくりとしか動けない状況でした。

そこからさらに、腰周り→お腹周り→背中→みぞうち辺りまで最終浮腫んできました。

腹水ではなく皮下に水分が染み込んでいる状態のため、治療で水を抜くこともできない状態のため

体内に水分を引っ張り込むアルブミンを点滴することに。(少し背中の浮腫みは柔らかくなりました)

しかし、逃げ道のなくなった水分が脚の皮膚を突き破り流れてくるよう(浸出液)になってしまいました。

常に脚やお尻の皮膚から水が流れてくるので、市販のペットシーツを買い脚の甲~太ももまで巻きさらに上から繰り返し使えるバンテージを上からきつく巻いて浮腫みを抑えるようにしたりお尻にはおむつを履かせるようにしていました。

 

その頃には一人ではベッドに脚を上げることもできない状態になり基本的にソファの上で過ごすことが多くなっていました。

 

■入院から看取りまで

肝臓の浮腫みによる胃の圧迫で、食べることもしんどくなり息もしづらくなっていた為主治医に相談し放射線を肝臓に当てることになり入院することになりました。

放射線治療後、1週間程しないと効果が出始めないためそこでもう一度CTを撮り効果を判断する予定でした。

入院後、ベッド生活になった為か筋肉がさらに弱くなり自重に耐えれなくなって看護師さん2人掛かりでしかトイレも行けなくなっていました。

主治医からは私にだけ治療が効けばいいが結果しだいでは思っているよりも時間はないかもしれないと言われました。

スピカとはそいう話をされた際には、伝えると話し合っていたのですがその話を聞く前日に8月くらいまではいけそうな気がする7月の私の誕生日はお祝いできそうと言っていた為伝える事ができませんでした。

ただ亡くなる前日に、スピカから大事な話があると言われ病院で泊まりゆっくり時間をかけて話をしました。

もしかすると、体の変化を感じて呼吸もしづらく話すこともしんどい中残された体力で頑張って話してくれました。

 

亡くなる当日朝起きると、僕と看護師さんに話せれる体勢整えて欲しいとお願いされベッドの角度やクッションで楽な体勢をとらせました。

嫌な予感がし、奥さんの家族に連絡し全員来ていただきたいとお伝えし順番に集まってスピカと話をしてくれました。

話が終わったあと、私に疲れたから目つぶってもいい?と聞きいいよと伝え休みました。

その際主治医からはこれ以上痛みがひどくなるようなら、飲み薬の頓服から点滴に切り替えます、それにすると基本寝てる状態になると伝えられました。

私は一度着替えを取りに離れたのですが、その間に容体が変わり点滴に移行したと家族から連絡があり病院に戻りしばらくして息を引き取りました。

最後、意思疎通もできない状況で二人だけの病室でしたが話かけながら息を引き取ったのですが涙を流してくれていたのできっと声は届いていたのだと思います。

 

個人的な内容も含まれてみづらかった方申し訳御座いませんでした。

亡くなった後、動画を見ている際に終末期の流れを話していらっしゃる動画が本当にそのままだったので

見たくない見るのが怖いなどもあるかもしれませんが少しでも情報として力になれればと共有させていただきます。

 

 

 

 

ここまでお読みいただき、有難う御座いました。

スピカ自身、ブログを通してみている方に希望を与えたいとブログを書いてきました。

目標にしてきた結果にすることができなかったのですが、少しでもこの紡いできた情報が誰かの役に立てれば幸いです。

今まで、ブログをご覧いただき本当に有難う御座いました。