年が改まって初投稿。
父が亡くなりました。
85歳でした。
父の死に思うことを
気持ちの整理を兼ねて書きたいと思います。
こういう話題は不快だという方は
こちらでページを離れてくださいね。
1月25日に父が亡くなりました。
年末に体調が悪いと自分から入院。
その時点で、私は今回ばかりは退院は
難しいのではないかなと考えていました。
同室の方からインフルをもらい
治って大部屋に戻ったとたんに
同室の方がコロナ発症で面会禁止。
ほぼ1ヶ月の入院中
結局一度も見舞いに行けませんでした。
亡くなる寸前に電話が使えないと
母に修理を頼み
ショップに持っていった母が
いじった挙げ句にまた使えなくなって
最後に電話を受けたのは私。
電話がまともに使えないと怒っていて
明日新しい電話を買ってきてと言われて
わかったよと返事をしたのが最後でした。
翌朝早朝に
呼吸と心臓が止まっています。
心臓マッサージをしていいですかと言われて
駆けつけた時にもまだ心マしてくれていて
挿管しますかと聞かれて断りました。
電話が使えないって怒りながら
違う世界に旅立ったのかと思うと
なんだか父らしいような気がして
23年前から肺気腫を患っていて
肺専門のドクターがいるからと言っても
「今の先生は親戚だから」と頑固に言いはり
身障者手帳を取るように勧めても
自分は持病があるだけだと言いはり
在宅酸素吸入しながら生活して
一人で酸素抱えて出張に行き
帰るたびに体調をくずし
一緒に行こうかと言っても
みっともないから嫌だと言いはり
車椅子を私が買っても
いらないと言いはり
だったらせめて、どこで倒れても
病人だとわかるように
保険証と身障者手帳を内ポケットに入れとけ
そしたら回りがどうにかしてくれるからと説得
ほんとにめんどくさくてめんどくさくて
もう知らんと何度思ったことか。
今ブログを見返してみたら
2017年9月に私が同行して
東京であった表彰式に出席。
2017年12月に両親・花ちゃん・私で
弘前の弟を訪ねていました。
その後も一人で年に何度か大阪に出張し
送迎している私が父に説教したため
怒りながら出張に行っていました。
また地元の専門学校にも
講義に行っていました。
結局コロナ禍があって
ようやく出歩くのはやめたという感じでした。
つまりコロナ禍がなければ
まだ出張に行ってたんでしょうね。
ああ、考えるだに恐ろしい。
頑固に出張や講義を止めない父に
ずっとイライラしていた私。
一度、病院に付き添って
会話の流れで、会計前で怒鳴りあいになり
そのまま置き去りにして帰りました。
それからしばらく放置して
勝手にしろと思っていました。
その後3年前に旦那さんの父が亡くなり
今なら話ができるかなと話し合い
やっと人生のエンディングについて
ある程度話ができました。
そこからは、両親2人の生活には
できるだけ関わらないようにしていました。
父は頭のよい人でした。
反面、人の気持ちの機微がまったく分からない
人でした。
私にとっては、子どもの頃には
大好きな父だったのですが
大学卒業あたりから
「家の両親は非常識」と思うようになり
両親が奄美に引っ越してきた辺りから
「できるだけ関わりたくない人達」になりました
両親には、子どもの頃から
なかなかの人格否定をされてきました。
それを自分なりに息を切らしながら
なんとか生きて再構築してきたのが今のわたし。
その今の私は、自分が嫌いではありません。
だから、まあいいかと思えます。
2月3日は父の誕生日。
生きていたら、86歳でした。
父が亡くなって、
小さい頃大好きだったお父さんに
ありがとうと言えそうです。
長々と書いたブログを
読んでくださった皆さま。
ありがとうございます✨