オイリュトミー(Eurythmie)とは、ルドルフ・シュタイナーによって考案された、カラダの動きの芸術です。大きくは「言葉のオイリュトミー」と「音楽のオイリュトミー」に分かれ、言葉や音楽が持つ内的な力を、カラダの動きに変え、人間と宇宙を結びつける芸術です。

 

先日、名古屋のオイリュトミーのNさんが、文集を作ろうと発案してくださり、わたしも寄稿いたしました。

そろそろブログを再開しようと思っていたので、せっかくなので、ここに、その文章を載せたいを思います。

(一部、変更しています。)

 

 

 

「わたしのオイリュトミー」

 

はじめに、文集をとりまとめてくださったNさんに、この場をお借りしてお礼を申し上げます。本当にありがとうございます。せっかくの機会をいただいたので、ふだんなかなか落ち着いて振り返ることのできない「わたしとオイリュトミー」について、自分の言葉で書いてみたいと思います。

 

わたしが最初に読んだシュタイナーの本は、『霊視と霊聴』だったと思います。当時、学生として通っていた大学の図書館に置いてありました。子どもの教育についてレポートを書くために関連図書を探していたとき、その本に出会いました。

もちろん、人智学的ベースのないわたしには全く理解ができない内容だったのですが、なぜか、「ここに書いてあることは本当のことに違いない。もっとわかるようになりたい」と思ったのです。

シュタイナー自身との出会いはもう少し前で、高校生の時に読んでいたオカルト雑誌『ムー』の、「アカシック・レコード」の特集の中で、ブラヴァツキー夫人の名とともに、神智学や人智学、そしてルドルフ・シュタイナーの存在を知りました。

その瞬間の出会いの感動——「シュタイナーを通して『存在』の秘密に辿り着けるはずだ」という予感、内なる声、「彼のことを知りたい、彼とともにこの生を旅したい」という恋心——それだけで、わたしはオイリュトミーにまで辿り着いたのだと思います。

 

物心ついたころから、「存在」について考える子どもでした。「わたし」が存在することが、不思議でたまらなかった。今もそれは変わりません。

 

なぜ「わたし」がここにいるのか。なぜ「あなた」がここにいるのか。どこからどこまでが「わたし」で、どこからどこまでが「あなた」なのか。死んだらどうなるのか。人間とは何なのか——。

 

母の話では、わたしはかなり「変わった子」だったそうです。もちろん、すべての人間が個性的という意味では皆「変わった子」ですが、わたしの場合は、周囲と同じことができないという意味での「変わった子」でした。

興味のあることしかできず、絵を描くこと、工作すること、生き物を飼うことが好きでした。ひとりで遊ぶことが多く、庭の片隅に砂糖を盛って蟻を集め、一日中眺めていたり、母が駆除しようと捕まえたネズミに餌をあげて逃がしたり——大人にとっては意味のない(むしろ迷惑な)ことばかりしていたので、親にも学校の先生にも毎日のように怒られていました。

自己主張が強く、協調性がなかったので、小中学校では同級生の女子ともあまり仲良く遊ぶことができず、自然と本を読む時間が増えました。好きだったのは、子ども向けの偉人伝などの伝記ものや、手塚治虫の漫画です。

 

小学六年生になると、看護師をしていた母が勤務先の医師から『ニュートン』という科学雑誌を毎月借りてきてくれるようになり、意味はよくわからないながらも、宇宙のことやアインシュタイン、ホーキングの記事を眺めていました。

一番心を奪われたのは、「光には速度がある。遠くの星の光が地上に届くには果てしない時間が必要だ」という話でした。

——今わたしが見ている星は、その星の過去の姿であり、今はもう存在していないかもしれない——。

小学生のわたしには難しい内容でしたが、まだ体の中に残っていたファンタジーの力が、一瞬で時間も空間も存在しない一点へと連れていってくれて、その雑誌を読む時間は、恐れと高揚感が同時にやってくる、何かとてもロマンティックな特別な時間でした。

 

その頃、子ども向けの平易な星占いの本を買ってもらい、ホロスコープを作って占いの真似事をするようになりました。

わたしは山羊座生まれ(太陽山羊座)ですが、雑誌に載っている山羊座の説明はどうも当たっていないように感じ、それでも無視することができず、結局その後、プロの占い師になるほど占星術を学ぶようになりました。科学雑誌で読んだ宇宙の話と、占星術で扱う星々の話は、わたしの中でひとつにつながっていたのです。

 

わたしの父はとても厳格で、家では色々と決め事が多く(選ぶ部活や門限など)、一度始めたことは続けるのが絶対でした。四歳に始めたピアノは、すぐ自分の興味と才能のなさに気づき、かなり抵抗しましたが、結局高校二年生まで続けることになりました。水泳やそろばんも通いました。わたし自身は、クラシック・バレエをしたかったのですが、田舎だったこともあり、親には全く論外の習い事でした。得意だった絵も習いたかったのですが、それもできませんでした。(とはいえ、今、大人になってから振り返ると、様々な習い事、経験をさせてもらったことは、感謝でしかありません。)

父は高校の教員で、陸上部の監督をしていたため、わたし自身も小さい頃から家でも走らされ、中学では陸上部に入りましたが、ほとんど練習しませんでした。(十代のわたしは、自分の内なる言葉と、環境との調整がうまく行かず、かなり自己肯定感の低い、依存心の強い人間だったと思います。)

 

大学生になるまで、生まれた町で過ごしました。滋賀県の近江八幡市という、琵琶湖の東側にある、自然と歴史的な景観の調和した美しい町でしたが、十代のわたしには田舎特有の閉塞感が苦しく、大学進学と同時に、親の反対を押し切って、なんとか東京に出してもらいました。最初に住んだのは中央線の武蔵小金井駅の近くで、東京学芸大学で美術工芸を専攻しました。

大学の最初の四年間はほとんどサボっていて、路上でギターの弾き語りをしたり、友人と演劇をしたりとさまざまなことをしながら、時々、高橋巖先生の講座に参加するようになりました。最初の講座は神田で行われていた「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」の読書会のような講座だったと思います。

田舎から出てきたわたしにとって、それは夢のような体験でした。まさにその本の中に書かれているように、畏敬の念に満たされながら教室の扉を開けたのを覚えています。今もその時のことを思い出すと、胸が熱くなり、涙が出そうになります。

 

もっとシュタイナーについて学びたいと思ったわたしは、藤野にあるシュタイナー学園が、まだ三鷹にあった頃、そこの学童保育にボランティアとして関わるようになりました。そこで先生方や保護者の方からシュタイナー教育の基礎を教えていただきました。そのときオイリュトミーの存在も知りましたが、自分が始めるのはずっと後になってからのことです。

 

大学を卒業したわたしは、その年から高校の美術教員と占い師の仕事を掛け持ちしながら生活するようになりました。グラフィックデザイナーやデパートの美容部員など、他にもいろいろな仕事をしましたが、教員と占い師だけはずっと続けています。

その中で細々とシュタイナーの本を読み続け、あるとき高橋先生の吉祥寺での講座で、たまたま隣に座ったSさんという女性にオイリュトミーの舞台に誘っていただきました。そこで初めて観たオイリュトミーの舞台が『黄道十二宮』でした。

それは本当に素晴らしく、今もその余韻が胸に残っています。Sさんは天使館のオイリュトミー・シューレの方でした。

あのとき感じたことを言葉で描写するのは難しいのですが、強く感じたのは——「この舞台は宇宙を模した神殿だ。シュタイナーの本に書かれていたことが、そのまま目の前にある。わたしの自我は確かに神々の身体のかけらであり、わたしも目の前の人間も、宇宙にたった一つしか存在しない、そして無限に存在する“星”なのだ」——ということでした。

 

シュタイナーの本との向き合い方は人それぞれですが、わたしの感触としては、「オイリュトミーをしない限り、『神秘学概論』や『神智学』、『自由の哲学』を本当に自分のものにすることはできない」という感じです。オイリュトミーをしなければ、子どもの頃に予感した「存在の秘密」に辿り着けないと感じたのです。わたしたちが思考と呼んでいるものは、どこから来るのか。エーテル体とは、、アストラル体とは、、自我とは、、、。

 

そうして、笠井叡先生のもとに通うようになりました。最初に受けたワークショップは「日本語オイリュトミー初伝講座」でした。

わたしにとって笠井先生は、『黄道十二宮』で拝見したときと同じように「風」のような方です。先生の「動き」そのものが「言葉」だと思いました。初めて近くで足の動きを見たとき、本当に驚きました。同じ人間のはずなのに(おこがましいのは承知ですが)、「なぜわたしは、自分の身体をこんなふうに作ってこれなかったのだろう」と、自分に絶望しました。

同時に、「今、光を見つけた。たとえ時間がかかっても、いつか“目”が開く」という希望も持つことができました。

天使館のオイリュトミー・シューレにも入学させていただき、しばらく、午前中は仕事、夕方からオイリュトミーという生活をしました。ただ、シューレは個人的な事情があって、二年生で中退しました。(当時、ある夢を見ました。小さい女の子を抱いている夢でした。目が覚めて、『これは、わたしの未来の子どもからのお告げだ』と確信して、シューレをやめることを決めました。)

 

シューレをやめてからは、年の数回のワークショップに参加するようになりました。オイリュトミーを続けていると、ときどき、雷に打たれたように、この世界の秘密をカラダが受け取る瞬間があります。目の前に見える、ある事柄が、今まで関係ないと思っていた別の事柄とつながっていたと気づく瞬間があります。また、オイリュトミーを通して、生まれて初めて体験する感情もあります。それから、たしかに、このカラダを取り囲む死者を感じます。

 

家族や身近な人と、哲学や思想の話をすることはあまりなく、シュタイナーやオイリュトミーのことを誰かに説明するのはとても難しいと感じますが、誰かと共有したいという思いは年々強くなっています。

日々の雑事に追われてゆっくり読書する時間もなかなか取れませんが、名古屋でのオイリュトミーのワークショップに参加すると、また新たな気持ちで「わたし」に向き合うことができます。

いつのまにかオイリュトミーは、「わたしとオイリュトミー」ではなく、「わたしのオイリュトミー」となり、わたしのカラダになりました。一緒にオイリュトミーをする仲間の魂の動きが、わたしの中にも流れ込んできます。皆、それぞれのカラダで、霊が語る声を聴いているのが伝わってきます。

 

わたしの好きなシュタイナーの言葉です。    「人間よ、お前は宇宙の縮小された姿だ。宇宙よ、お前は遥かな果てにまで流れ出た人間の本質だ。」

オイリュトミーをすると、この言葉が、自分の内側から聴こえます。

 

この名古屋のオイリュトミーの会に参加させていただけること、そして今回、このように思いを書く場をいただけたことに、心から感謝しています。

どうもありがとうございました。

 

西湖