多摩川行ったり来たり

多摩川行ったり来たり

多摩川を行ったり、来たり、渡ったたり、見ながら、感じながらの毎日
そして診療所の事

 

 なんと社会人になってからこの方、検診以外に他の検査をしたことがなく34年間過ごしてきたので、還暦も過ぎたし、昨年自分より若い方と小学校の同級生が相次いで亡くなったので、今年は、ワンランク上の人間ドックを受けようと思っていました。

 いわゆる高級人間ドックのセットだと、平日で今の仕事に穴を開けてしまうので、何とかできないものかと、色々画策していたところ、バラバラだと結構できることが判明したので、雨☔️予定の本日にまず第1弾として

   ”男性・全身がん検査MRI(DWIBS )+ 脳MRA+肺CT"

なる一連の検査を受けてきました。

 DWIBSなる検査は、つい最近知人より教えてもらい、日本人が考案した画期的な検査で自分の勉強不足を嘆きました。この世界は、常に勉強を怠ってはならないことを痛感しました。全身のがんが一発で画像でわかる検査。PETより廉価でただ寝ているだけ情報量の多い検査でびっくりしました。ただ胃腸と大腸は不正確なので、それは、第2弾、第3弾として上部消化管内視鏡と大腸内視鏡検査にわけてやる、と考えていました。

 が、ここも日進月歩(あるいは俺の勉強不足…)で大腸は3D-CTなる検査が、一部の検査期間でできて、下手すると内視鏡より精度は良いと言われています。円筒を平面的に開いて凸凹を見るような感じになるみたいです。欠点は、検査時(その場で)すぐに手術ができないの事です(大した欠点ではない、すごい悪性でなければ………)。なかなか日曜日で大腸3D-CTをやってくれるところがなかったのですが、ありました、東京に。ただすでに1月、2月の予定はいっぱいなので3月10日になってしまいました。

 胃腸の検査は、食道も同時に見てもらいたので、これは内視鏡検査と考えています。ただどうも上部消化管内視鏡検査単独は、現在はあまりなく、しかも日曜日はなかなかなく、現在も調査中である。

 

あとオプションで男性5種の腫瘍マーカーも血液検査してもらいました。

 

走れない日曜日は、俺の体の中を磁気と放射線が右往左往と走り回っていました。

 

 

 

 

 

すっかり忘れていました。

ちょうど日本からスイスのバーゼル大学への留学でやっとバーゼルについての初日の早朝のホテルのCNNのニュースで

日本の神戸の大地震を知った日です。

びっくりして、時差ボケが一気に吹っ飛んでしました。

そのままバーゼル大学Felix Platter-spital の整形外科に行くと初めてなのにみんな寄ってきて、挨拶なしでいきなり日本の事を

心配してスイスはすぐに赤十字のレスキューチームを派遣するから大丈夫と言われ、いきなり何も挨拶なしに

とても大切にしていただきました。

もうあれから29年も経ったとは、本当にすっかり忘れてしまい申し訳ないです。

日はまた昇る。頑張れ震災国日本!!

 

 

 明けましておめでとうございます。


 久しぶりの連続投稿です。

東京は、快晴です。

今年も宜しくお願い🙇致します。

 

 2023年も終わる前に記録として残しておきたいので

久しぶりにブログを書きます。

 

 ちょうど今年が日本に帰国して50年目です。

1973年7月に帰国しました。まだ成田空港が開港する前の

古い羽田空港に帰国しました。アンカレッジ経由のJALでした。アンカレッジでは数時間のターミナルでの待ち時間があり、数階建てのターミナルビルを何回も往復した覚えがあります。

 

 古い羽田空港は、東京に入るには確かトンネルがあり、そこを抜けると東京に入ったような気がします。

 

 とにかく7月だったので、湿気のない国(ドイツ)からの帰国でしたので、何ていうクソ暑い国

に帰ってきたしまった、と当時は思いました。

 

 まだ家は決まっていなかったので、しばらく品川駅前のホテル・パシフィック(もう今はない)に数週間と泊まっていたと思います。色々手続きがあるのか、毎日母とあっちこっちに行かされました。

 その度にホテルを出ると湿度と暑さで死ぬ思いでした。また品川駅前の人の多さと人が喋る音が雑音

に聞こえ怖かったです。ものすごい早口で喋るんだと当時思っていました。(自分が喋れない外国語の聞き取りにくさの感じ………)

 

 そうこうしているうちに中野にマンションが見つかり、そこに住むことになりました。そして9月から中野駅そばの桃丘小学校に転校することとなり、今でもその時のクラスの仲間とは交流があります。

先月もクラス会を開き、ワイワイ騒いだものです。その中心にいつもいたW君が、12月19日に亡くなりました。桃丘小での在籍は1年半ぐらいだけど、そこでのW君をはじめ、クラスのみんなといっぱい遊んだのが今の自分の原動力になっているのは間違いない。

 

 1973−74年って、石油ショック、小野田さん発見、MIG21?函館空港不時着、成田空港建設反対運動、田中角栄ピーナッツ、パンダ来日、ペレと握手、なんか色々毎日が目まぐるしく動いていた時代だった。そう、中島みゆきの”時代”を最前列で見ていた(世界歌謡祭、父の仕事関係)。

 

 さて2024年はどんな年になるのかな。

 まだ知りたい、習いたい事はいっぱいある。やりたい事もいっぱいあるがほとんどできない事も知っている。だから毎日毎日を必死に生きようと思う。

 

久しぶりにブログを書いた。次はいつかな…

 

 

 

 

 


 

昨日は、ワクチン接種翌日念のためランoff にしたため今日は無理して早朝ラン。

 すると前からリズム良く走ってくる人と遭遇した。あの選手だ。速い。

 こっちも自然とペースが上がる。

今週も頑張ろう!