地震で思ふ
この地震で被災に遭われた方々、
心よりお見舞い申し上げます。
そして、最愛の方を失った方々に
哀悼の意を捧げます。
自然の力の前では人間は非力です。
「天災は忘れた頃にやって来る」
物理学者、随筆家であった
寺田寅彦氏の言葉だとされています。
今回の地震は、忘れていたとか、
無防備だったとかではなく、
想定外の規模の災害だったと思います。
僕が学生の頃、寺田寅彦氏の本をたくさん読んでいて
また読み返したら以下の記事を見つけました。
昭和9年に書かれた内容ですが、
現代の今でも結構当てはまる点があると思います。
ちょっと引用させて頂きます。
~
日本はその地理的の位置がきわめて特殊であるために
国際的にも特殊な関係が生じ
いろいろな仮想敵国に対する
特殊な防備の必要を生じると同様に、
気象学的地球物理学的にも
またきわめて特殊な環境の支配を受けているために、
その結果として特殊な天変地異に
絶えず脅かされなければならない
運命のもとに置かれていることを
一日も忘れてはならないはずである。
地震津波台風のごとき
西欧文明諸国の多くの国々にも全然無いとは言われないまでも、
頻繁にわが国のように劇甚(げきじん)な災禍を及ぼすことは
はなはだまれであると言ってもよい。
わが国のようにこういう災禍の頻繁であるということは
一面から見ればわが国の国民性の上に
良い影響を及ぼしていることも否定し難いことであって、
数千年来の災禍の試練によって日本国民特有の
いろいろな国民性のすぐれた
諸相が作り上げられたことも事実である。
しかしここで一つ考えなければならないことで、
しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。
それは、
文明が進めば進むほど天然の暴威による災害が
その劇烈の度を増すという事実である。
人類がまだ草昧(そうまい)の時代を脱しなかったころ、
がんじょうな岩山の洞窟の中に住まっていたとすれば、
たいていの地震や暴風でも平気であったろうし、
これらの天変によって
破壊さるべきなんらの造営物をも持ち合わせなかったのである。
もう少し文化が進んで小屋を作るようになっても、
テントか掘っ立て小屋のようなものであって見れば、
地震にはかえって絶対安全であり、
またたとえ風に飛ばされてしまっても復旧ははなはだ容易である。
とにかくこういう時代には、人間は極端に自然に従順であって、
自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。
文明が進むに従って
人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。
そうして、
重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。
そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、
どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、
自然があばれ出して
高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。
その災禍を起こさせたもとの起こりは
天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである、
災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、
いやが上にも災害を大きくするように努力しているものは
たれあろう文明人そのものなのである。
~中略~
昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積して
その教えにたよることがはなはだ忠実であった。
過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、
時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守して来た。
それだからそうした経験に従って造られたものは
関東震災でも多くは助かっているのである。
大震後横浜から鎌倉へかけて被害の状況を見学に行ったとき、
かの地方の丘陵のふもとを縫う古い村家が存外平気で残っているのに、
田んぼの中に発展した新開地の新式家屋が
ひどくめちゃめちゃに破壊されているのを見た時に
つくづくそういう事を考えさせられたのであったが、
今度の関西の風害でも、
古い神社仏閣などは存外あまりいたまないのに、
時の試練を経ない新様式の学校や工場が
無残に倒壊してしまったという話を聞いて
いっそうその感を深くしている次第である。
やはり文明の力を買いかぶって自然を侮り過ぎた結果から
そういうことになったのではないかと想像される。
~
「寺田寅彦随筆集 第五巻~『天災と国防』」より
「人間は考える葦である」
フランスの17世紀の思想家パスカルの言葉ですが、
人間は自然のなかで葦の様に弱いものですが、
しかし、考える偉大なる葦です。
人間は過去の過ち・災害・歴史から学び取り
進歩する知性を持ち合わせていると
僕は信じています。
われわれの尊厳のすべては、
考えることのなかにあるのです。
【追記】
東北地方太平洋沖地震募金Tシャツ購入しました。
↓↓

心よりお見舞い申し上げます。
そして、最愛の方を失った方々に
哀悼の意を捧げます。
自然の力の前では人間は非力です。
「天災は忘れた頃にやって来る」
物理学者、随筆家であった
寺田寅彦氏の言葉だとされています。
今回の地震は、忘れていたとか、
無防備だったとかではなく、
想定外の規模の災害だったと思います。
僕が学生の頃、寺田寅彦氏の本をたくさん読んでいて
また読み返したら以下の記事を見つけました。
昭和9年に書かれた内容ですが、
現代の今でも結構当てはまる点があると思います。
ちょっと引用させて頂きます。
~
日本はその地理的の位置がきわめて特殊であるために
国際的にも特殊な関係が生じ
いろいろな仮想敵国に対する
特殊な防備の必要を生じると同様に、
気象学的地球物理学的にも
またきわめて特殊な環境の支配を受けているために、
その結果として特殊な天変地異に
絶えず脅かされなければならない
運命のもとに置かれていることを
一日も忘れてはならないはずである。
地震津波台風のごとき
西欧文明諸国の多くの国々にも全然無いとは言われないまでも、
頻繁にわが国のように劇甚(げきじん)な災禍を及ぼすことは
はなはだまれであると言ってもよい。
わが国のようにこういう災禍の頻繁であるということは
一面から見ればわが国の国民性の上に
良い影響を及ぼしていることも否定し難いことであって、
数千年来の災禍の試練によって日本国民特有の
いろいろな国民性のすぐれた
諸相が作り上げられたことも事実である。
しかしここで一つ考えなければならないことで、
しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。
それは、
文明が進めば進むほど天然の暴威による災害が
その劇烈の度を増すという事実である。
人類がまだ草昧(そうまい)の時代を脱しなかったころ、
がんじょうな岩山の洞窟の中に住まっていたとすれば、
たいていの地震や暴風でも平気であったろうし、
これらの天変によって
破壊さるべきなんらの造営物をも持ち合わせなかったのである。
もう少し文化が進んで小屋を作るようになっても、
テントか掘っ立て小屋のようなものであって見れば、
地震にはかえって絶対安全であり、
またたとえ風に飛ばされてしまっても復旧ははなはだ容易である。
とにかくこういう時代には、人間は極端に自然に従順であって、
自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。
文明が進むに従って
人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。
そうして、
重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。
そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、
どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、
自然があばれ出して
高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。
その災禍を起こさせたもとの起こりは
天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである、
災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、
いやが上にも災害を大きくするように努力しているものは
たれあろう文明人そのものなのである。
~中略~
昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積して
その教えにたよることがはなはだ忠実であった。
過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、
時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守して来た。
それだからそうした経験に従って造られたものは
関東震災でも多くは助かっているのである。
大震後横浜から鎌倉へかけて被害の状況を見学に行ったとき、
かの地方の丘陵のふもとを縫う古い村家が存外平気で残っているのに、
田んぼの中に発展した新開地の新式家屋が
ひどくめちゃめちゃに破壊されているのを見た時に
つくづくそういう事を考えさせられたのであったが、
今度の関西の風害でも、
古い神社仏閣などは存外あまりいたまないのに、
時の試練を経ない新様式の学校や工場が
無残に倒壊してしまったという話を聞いて
いっそうその感を深くしている次第である。
やはり文明の力を買いかぶって自然を侮り過ぎた結果から
そういうことになったのではないかと想像される。
~
「寺田寅彦随筆集 第五巻~『天災と国防』」より
「人間は考える葦である」
フランスの17世紀の思想家パスカルの言葉ですが、
人間は自然のなかで葦の様に弱いものですが、
しかし、考える偉大なる葦です。
人間は過去の過ち・災害・歴史から学び取り
進歩する知性を持ち合わせていると
僕は信じています。
われわれの尊厳のすべては、
考えることのなかにあるのです。
【追記】
東北地方太平洋沖地震募金Tシャツ購入しました。
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