ひざ小僧のブログ

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第10章 散切り頭
35 仇討本懐
 
 
嘉永6年(1853年)、浦賀沖に黒船がやって来た。アメリカ国のペリーとかいう男が、黒船の大砲で脅し日本国に開港を迫った不埒な事件だ。狂歌に『太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった四杯で夜も眠れず』とあるが、四艘の黒船が徳川260年の平和に 楔 ( くさび ) を打ち込んだのだ。

翌年、ペリーは黒船6艘を引き入れ、江戸湾に入った。アメリカの 恫喝 ( どうかつ ) に屈し、徳川幕府は日米和親条約を締結、伊豆下田と函館を開港した。

下々にはお上のすることは仔細にわからないが、異人が大砲を乗せた鉄の船でやってきたことは突然の災禍と一緒で、不安に 慄 ( おのの ) く町民の数は徐々に増えていった。

とはいえ、このころの四谷はまだ平和の惰眠をむさぼっていた。

「ねえねえ、左娘~、黒船の噂、聞いた? 」

「品川宿まで行ってみたら、みんな大騒ぎだったわよ、お岩ちゃん。見たって人がたくさんいて、なんか大きくて、煙がもうもうと出ていて、大筒(注:大砲)がこっちにらんでて・・・ こわかったらしいわよ」

「異人は見えたって? おいらも見たかったなあ、黒船」

私は、お江戸は四谷にある小さな稲荷神社で神様修行中。私の住まう 社 ( やしろ ) から見て左側に鎮座している白狐が左娘、右側が右坊。名前がないので、便宜上そのように呼ぶことにしている。

左娘は冷静沈着、小憎らしいほど落ち着いていて、私よりも大人な感じがする。もっとも、私なんかよりずっと昔から神の眷属なんぞやっているから、よっぽど神の『先輩』であるわけだが、なぜか人型に化けると年のころ10歳前後の少女になるのだ。

右坊は腕白坊主、どちらかというと阿呆くさいのだが、優しい性質のわりに芯のしっかりしたところもあって、男の子だなあと思うことがしばしば。左娘は度々彼をからかうのだが、好きだという気持ちが見え隠れして、可愛いなあなんて思ってしまう。いいのか、神の眷属として?

私が現世からおさらばしたのは寛永13年(1636年)、3代将軍徳川家光様の治世のうちだ。まさか、連綿と続く徳川様の御代に陰がさすなんて思いも及ばなかったが、それは今から少し後の話。

夕方の日差しがまだ暑くて眩しい季節に、黒船の噂話に興じていたところに、一人の武士がやってきた。

月代は伸び放題、無精ひげも生えてみすぼらしく、取り柄と言えば若く、顔立ちは涼しげで優男風なことだけのような男だ。・・・ もっとも、私はいい男は決して嫌いではない。

「お岩ちゃん、汚らしいけど、結構いい男じゃないか」

「おいら、侍はあんまし興味ないや」

「しっ! このお方の願い事、聞き逃すよ! 」

侍は境内に入り、手水で手を洗い口をすすぐと、祠の前にやってきた。・・・ 賽銭はないらしい。すぐに柏手を打ち、手を合わせ頭を垂れると・・・

「・・・  仇討本懐 ( あだうちほんかい ) を願い奉る! 」

ど・よ~ん・・・ なんちゅう、重い願い事! この侍、仇を打とうてかい!

仇討とは、武士社会の自助裁判・執行システムだ。武士Aが武士Bを何らかの理由で殺害したとする。武士Bの家は、跡取りの有無にかかわらず、そのままでは断絶お取りつぶしになってしまう。武士Bの家では、「仇討」をして、武士Aを殺害しなければならない。武士Aの殺害に成功すると、武士Bの家の再興が許される。仇討の現場で、「返り討ち」をしても許される(この場合は武士Bの家の負けで終了)。しかし、武士Aの家の子孫には武士Bの家に対する再度の仇討(重仇討)は認められない。

侍は、静かに社から出て行った。

しかしまあ、なんだ。若い男の願いは、放っておいたら神の名がすたる。仇討なんて、さぞかし重いわけがあるに違いない。どうだい、助けてやってもいいんじゃないか?

「何言ってんのさ。どうせ暇なんだろ、いつものセリフ、言っておくれよ」

・・・ 左娘、身も蓋もないねえ。じゃあ、いくよ。

私は、おごそかに宣言した。

「さあ、あの侍を、追っていくよ!」