テレビ・ラジオ時評

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テレビ・ラジオを見て聞いて思ったこと…

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 7月クールのドラマが始まった。
 が、今回は残念ながら、不作揃いである。

 「不作」といっても、自分の好みに合わないというだけの話なので、そこはスルーしてください。

 ところで、4-6月期は、見事に推理ものと学園ものに占められた。基本的にどちらも好きな分野なので、録画も溜まる一方だったが、ドラマそのものの内容とは関係ないのだが、どうしても気になることがあった。

 それは、学園ものでよく描かれる、「父親が市議会議員」→「権威」→「だから子供も学校ででかい顔をしている」という構図である。


 そもそも、市議会議員は、現実に、教師とかPTAとか教育委員会が怖々(こわごわ)接するような存在なんだろうか。ふだん、議員と接することが多く、それも対等に接しているので、どうもその感覚が分からない。

 以前、知り合いの東京のある区議会議員が、「町の便利屋さんみたいなもの」と、卑下するわけでもなくサラッと言っていて、なんか好感が持てたのだが、市議会議員も同じような感覚を、議員も支持者も持ってほしいところである。


 そもそも、議員を「先生」と呼ぶこと自体、まったくもっておかしな習慣である。

 実際、議会などに行って、議員が役所の誰彼なく「先生」と呼ばれているのを見ると、これは勘違いするやつが出ても不思議じゃないよな、と思ってしまう。


 もし、「うちは議員を『先生』と呼ばないし呼ばせない」という政党が現れたら、きっと無条件で応援したくなるだろう。


 「大切なことは全部映画が教えてくれた」と言ったのは、淀川長治でしたっけ。
 私の年代で言うと、「大切なことは全部テレビドラマが教えてくれた」と言い換えてもいいかもしれません。

 少し前、実家に行ったときに、何十年ぶりかで、BSで再放送されていた「三人家族」を見ました(我が家はBSが見られないので)。最初に放送されたのは、たぶん、小学校の2年か3年の頃だったと思います。
 このドラマは本当に大好きで、私のテレビドラマとの関わりの原点と言ってもいいくらいのものですが、今見ても、全然色褪せていませんでしたね。主題歌も、ほぼ歌えましたしw。

 ナレーションの冒頭に、ドラマのテーマが語られます。

 「行きずりの人であれ、微笑むがいい。見知らぬ人であれ、求めるがいい。誰もが寂しいのだから。誰もが強く行きたいのだから」

 ドラマはこのテーマのままに、若き竹脇無我と栗原小巻が、毎朝の通勤電車の中で互いを見初め、恋に落ち、結婚にこぎ着けるまでを描いていますが、今のドラマのように荒唐無稽な展開もなく(ハラハラドキドキはけっこうありますが)、脚本の木下恵介は「家庭」を基盤に、淡々と描いていると思います。
 まぁ小学校の低学年だった初見の時は、深いところまで理解できず、その後、何度も繰り返された再放送を見て、だんだんと奥深さを知っていったのかもしれません。

 そんなんで、このドラマのことを語ればキリがないのですが、先日の再放送を見ながら一つだけ強く思ったのは、どうして今はこういうドラマが作れないのか、ということでした。
 もちろん、実生活の中でさまざまな山坂を乗り越えてきて、現実はドラマが教えてくれたことよりもずっと波瀾万丈であり、たいへんであることを、流石に理解する年齢にはなりましたが、「行きずりの人であれ、微笑むがいい」というのは、今も自分の中で息づいている、大切な「教え」の一つでもあります。

 それとも今の若い人たちはそれなりに、今のドラマから、何か「大切だと思えること」を学んでいるのでしょうかね。

■風の街