最近塾のアルバイトを始めました。中学生や高校生の勉強の質問をうけるアルバイトなのですが、彼らが勉強している姿を見るたびに、受験って制度も捨てたものではないなと思います。受験戦争だとか言われて受験は生徒の自由な時間だとか自由な心を束縛してしまうという意見もたしかにありますし、僕も実際勉強してきた者としてそういう部分があることは否定できません。でも、人が何かにここまで一生懸命に打ち込める機会って他にはないんじゃないでしょうか?

受験を通して僕は継続することのむずかしさまた大切さをしったし、物事を極めていくとはどういうことなのか、またそのマニュアルとは言わないまでも、ノウハウをある程度理解しました。やっぱり受験を一生懸命した人というのは将来その経験や知識を存分に生かして社会で活躍しています。勉強させられているではなく、自分の勉強に協力してもらっているというような姿勢が大切なのかなと思いました。

時間がない時間がないといっているひとに限って時間をうまく使えていないようなきがします

時間って目線をかえればいくらでも作り出せる そういう発想が大事だとおもいます

たとえば通学通勤の電車やバスの中、見方を変えればその時間は自分の時間に使うことができます 何年もそれを続けたならば、いずれは素晴らしい実りをうみだすでしょう

トイレの中にだって本を置いとけば読書タイムが無理なく確保できます ついつい長くトイレにいすぎて次にトイレ使う人が困るかもしれませんが・・・・

そのような発想があれば簡単にものごとに文句を言わなくなります 工夫をするようになります そういうアプローチを人生にしていけたらと思いますね

偉そうに書いている僕もさっきまでぼーっとしていたばかりです 意識していくことが大切ですねー

僕はバレーボールをやっています

たまにどうして試合に出れないんだろうとかどうしてもっとうまくなれないんだろうとか考えてもうバレーボールをやめてしまおうかなと思うことがあります

そう思うのは仕方がない 人間ですから

でもそうやってネガティブにネガティブに考えていくと最後には挫折と敗北感しか残りません

何事にも負の面があってそれは時折顔を出します

それについて深く考えれば考えるほどいい面が見えなくなって泥沼にはまります

そんな時は、考えるのをやめてこんなこともあるさと笑い飛ばすようにしてます

長い人生の中でこんなちいさなこと気にするかよと笑い飛ばすようにしてます

くさっていじけてあきらめたらもうそこで終わりです

簡単に時には考えることも重要かなと考える今日この頃です