アンリ・マルディネ『眼差し・言葉・空間』を読みながら(3) ― 感じること・危機・驚き | 内的自己対話-川の畔のささめごと

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クレティアンの序論の他の箇所(p. 19)を読みながら、マルディネ哲学の核心を探ってみよう。

マルディネ哲学の核心にあるのは、「感じること」(« sentir »)である。

しかし、それは、知解に対立する感覚的なもの、五感の多様性、共通感覚への転移など、哲学が古来考察してきたことがらを重んじるということではない。マルディネにおいて、感じることとは、それによって心身ともに私がこの世界に到来し、世界が私へと達し、私を捉える出来事にほかならない。この到来する出来事(événement-avènement)の比類のない力は、それのみが私に言葉を与えるものであるが、あらゆることについて決する、まさに「危機」(« crise »)にほかならない。この感じることにおいて到来する危機が、私にあるものであることを強いる。と同時に、自分で決めなければならないという可能性についても、その射程と範囲を規定してくる。

マルディネは、この危機へと様々な記述を通じて繰り返し立ち返る。感覚をめぐる伝統的な問題を扱うときでさえ、出発点はこの危機にある。この危機において感じることとは、ある一個の感覚主体において時に応じて生じるあれこれの情感などではなく、開かれた以上はもはや決して閉じられることのない開けによって私を世界に開くことそのことなのである。

この「驚き」(« surprise »)があらゆる「手掛かり」(« prise »)に先立つ。マルディネは好んでこう言う。このテーゼに従えば、この驚きをもたらさずにはおかない危機から出発しない哲学的思索は、すべてその出発点において間違っている、ということになる。