ある一定の共同体の複数の行動形態を比較し、それらの間に見出だせる「家族的類似」(この語をレヴィ・ブリュール自身が使っているわけではない)を「心性」としてまとめて見、その他の行動形態と区別するという方法は、比較主義が陥りやすい二つの陥穽から免れることをレヴィ・ブリュールに可能にしている。その一つは、自分たちの文化と異なる共同体に生きている者たちの信仰に自分たちのカテゴリーを投射することであり、もう一つは、ただ単にその信仰が自分たちのそれとは異なると言うだけにとどまることである。
ここで独り言を差し挟む。
今日でも、比較研究というのは、人類学や民族学にかぎらず、社会学・言語学・文学・哲学などでもなかなか盛んである。フランスで外国人が博士論文を書く場合など、自国の例とフランスの例とを比較するケースが少なくない。このような場合、上記の二つの陥穽とはまた別の陥穽が待ち構えている。それは、「私たち」と「彼ら」の「共通点」を過度に強調するだけに終始することである。ちょっと挑発的で意地の悪い例え方をすれば、そのたぐいの研究は、とどのつまり、「人間とサルは、ともに目が二つ、耳が二つ、鼻が一つ、口が一つであるから、そっくりである」と言っているに過ぎないことが多い。そういうことを縷々と何百頁にも渡って「論じている」のを審査のために読まされるのは、この世の地獄である。
以上、独り言でした。
民族誌的事実は、たとえそれらの一つ一つを見るときは意味がよくわからなくても、そこに外から恣意的な意味を投射するのではなく、それらを互いに類似したものとしてまとめて見るとき、それらの間に自ずとそれぞれの事実の意味が浮かび上がってくる。この方法を説明するのに、晩年のレヴィ・ブリュールは、『手帳』(Carnets)にこう記している。
« Au lieu de faire parler les faits [...], avoir la prudence scientifique de les laisser parler, et ne rien présupposer
qui puisse empêcher qu’on ne les voie tels qu’ils sont » (Carnets, op. cit., p. 61-62).
事実に強制的に「話させる」(faire parler)のではなくて、「話すにまかせる」(laisser parler)という学問的慎重さを持ち、事実をあるがままに見ることを妨げる何ものをも予め想定しない。このような方法は、民族誌的事実を前にして、それを記述する者がほとんどその姿を消すことを前提としている。しかし、このような態度は、単に学問的良心から来る謙虚さの表れではない。「心性の論理」を理解し、その組織化の過程の記述を可能にする概念装置を作成するという学問的情熱をその火床としている。