こんにちは!
私達が引退ブログを書くとは、時の流れは早いものですね。
軽い気持ちで入ったラクロス部でしたが、ラクロス部に入ったことで、私は大きく成長することができました。
私の4年間を振り返っていきたいと思います。
長くなりましたが最後までお付き合い下さい。
バスケ🏀からラクロス🥍へ。
まさか自分がラクロスをやるなんて全く思ってなかったです。
そして自分がこんなに夢中になれるスポーツになるとも思っていませんでした。
1、2年生の頃の記憶はそこまで鮮明に覚えていなくて、覚えているのは、純粋にラクロスが楽しくて、向上心しかなくて、先輩達みたいに上手くなりたいって思ったことぐらい。
上手くなりたくて、空きコマにパスキャとかダッチとかひたすらやっていました。
2つ上の先輩が引退した後、
ATリーダーになって自分のラクロス人生が大きく変わりました。
リーダーになったにも関わらず、自分は弱い人間で、チームを引っ張っていくために強い人間でいなければいけないのに、偽りの自分を常に作っていなければいけないのが、すごくもどかしくて辛くて苦しくて勝手に思い悩んでいました。
毎日毎日
自分にはリーダーは向いてないなぁって。
そんなことばかり考えていました。
リーダーは、嫌われる立場で常にいないといけないと私は思っていたから、厳しいことを部員に言ったこともあったけど、
正直、私は楽しくラクロスできればいいし、楽しくラクロスやって上手くなれれば最高じゃん✌️って思っていたから、練習もふざけまじりで楽しくやりたいって思っていました笑
それが立場があるとできなくて、なにより同期・後輩を怒る時がすごく心が痛かったです。
自分の中でたくさん葛藤があって、立場が人を変えるっていうけど、その立場にとらわれ過ぎてた私は、もっと自由にできていたら、もっと楽にラクロスを楽しめていたのかな。
と今となって思います笑
リーダーになって
関東ユースにも入ることができて
プレッシャーが重くのしかかりました。
チームを自分がしっかり引っ張っていきたい反面、自分はまだまだ下手くそで自信がない。
色々なことを考えていたら、いつのまにか自分らしくプレーできなくなった時期がたくさんありました。
そんな思いを抱えたまま、時間があっという間に過ぎていき、3年のリーグ戦。
その時の4年生は人数が少なく、ほぼ自分達の代が主で出ているような感じでした。
たくさん負けた。しかも大差で。
試合で何もできなかった自分が情けなすぎて、試合を終えてひたすら泣いた
みんながいる帰りの電車でも隠れて泣いた
隠れきれてない自分を同期が隠してくれてまた泣いた
もう涙出ないんじゃないかってくらい泣いた
自信がない自分のプレーが、そのまま出たような試合ばかりをして、リーグ戦後から気持ちが切り替えられなくなって、ラクロスに全く気持ちがはいらなくなりました。
そんな時に、
コーチからWorldcrosseのトライアウトの話がきました。このままじゃダメだと思って応募してみたものの、何回かあったトライアウトを体調不良を理由にサボりました。
頑張りたい反面、気持ちが万全に戻っていない自分が、ラクロス大好きな人達とやることに権利がないというか、罪悪感というか言葉で表せないものがあって…。
そんな中でも、私を補欠で取ってくれて試合をさせてもらうことができました。
その試合をして、
自分の中の気持ちが大きく変わりました。
海外の選手と戦って、自分がもっと成長してこの人達と互角に戦えるようになれたらかっこいいなって。
やっぱりうまくなりたい
もっと強くなりたいと思いました。
今できることをがむしゃらにやろうと思って、沢山クロスとボールに触れました。
その後にあったトライアウトで、全国強化指定の選手に入ることができました。
練習会もラスト一年で沢山入るはずでした。
やっと。
ほんとにやっと自信になって、もっと頑張りたいって思ったし、気合が入っていました。
''チームの為に自分が出来ることをやって勝ちに繋げる''
情けない試合はもうしない。
チーム的にも個人的にも楽しみで楽しみでしかたなくて、全てをラスト一年にかけようと思っていました。
そんな矢先、活動自粛。
そんなに長いものになると思ってなかったから、ちょうど腕を怪我していた私は、
やっと休める!ラッキー🤞って思っていました笑
自粛期間は、コーチとATこんなことやりたいねって話して、わくわくして活動再開が待ち遠しくて、少しでも早く練習したくて自分も色々動いたけれど、
結局、大学から活動再開は認められなくて…
それでも、ひたすらみんなで与えられた課題を諦めずやっていました。
その後、
リーグ戦ができないと聞いて
自分の中でスイッチが切れた気がしました。
自分たちの代で一部昇格を目標にしてきて、それがなくなるってこんなに辛いことあるの?って思ったし、
唯一、教会側が開催してくれる特別大会の参加許可も出してもらえない中で、何を目標にやればいいんだろうって思いました。
そんな中でもトレーニング、個人練をひたすらやり続けてる自分。部員が諦めないで個人練を続けている動画を1人で見て、虚しすぎて悔しくて泣きました。
地区練がやっとできるようになって、
あと少し、あと少しって思ってたけど、全体練習はなかなか許可してもらえず、他大の試合がどんどん始まっていました。
その試合を見て
羨ましくて羨ましくてたまらなくて…
羨ましいから見るのをやめました。
気持ちの波と戦いながら、どんどん時間が過ぎていき、やっと全体練習の許可が出て、大会参加の許可も認められました。
すでに11月。
遅すぎだよって。
あと一か月で何ができるんだろって。
正直、いつ負けてもしょうがないなって思っていました。
以前の私だったら、勝つことが全てって考えだったけど、私自身がそうだったように、みんなの気持ちに波があった事はもう分かっていたから。
そんな状況の中でも大会に出るって決断をしてくれたし、みんなで出ることに意味があるからいつ負けてもいいって思っていました。
勝てたら嬉しいなぐらい。
大会が始まり、
一回戦、大差で勝利
二回戦、また大差で勝利
この二戦、一人一人が個人でひたすら頑張ってきた結果が見えた試合でした。
楽しすぎて、ずっとこのまま続けられたらいいのにって。
決勝リーグに進めることになって、あと残り1週間しかみんなと練習できないってなった時、はじめて引退するんだと実感しました。
終わりたくない!って思いました。
でも、
決勝リーグに進んでも準決勝で敗れ、決勝に進むことが出来ませんでした。
今まで負けたことないし、絶対に勝てた相手に負けました。
試合が終わった直後泣けなくて、負けたと思ってないというか今も実感がない。
勝ちたかったけどなぜか悔しくなかったです。
全体練習ができるようになってからの一ヶ月間は、練習時間も短くなって、週に限られた時間しかできなくて、全てを満足いく練習にすることができなかったけど
チームのみんなとラクロス出来る時間が
めちゃくちゃ嬉しくて、
めちゃくちゃ楽しくて、
めちゃくちゃ幸せだったから。
みんなとできる喜びを感じることができて、こんなに最高な一ヶ月間をみんなと過ごすことができたから、私はどこで負けても、きっと悔しくなかったと思います。
何より、ラクロスを心から楽しめた。
本当に本当に楽しかったんです✨✨✨
コーチ・トレーナーさんへ
こんなに最高で最強の人達に出会えると思ってなかったです!出会いに感謝✨ってまさにこのことですね!私達をずっと愛してくれてありがとうございました🤣
後輩達へ
この一年本当に辛かったね。辛い状況の中でも最後まで4年とプレーしたいって言ってくれて、4年を信じて最後までついてきてくれて、一緒に頑張ってくれてありがとう😌
私達が叶えられなかった目標を絶対叶えてね!
同期へ
本気で私達の最後の一年返してほしいって、これから先もずっとずっと思うと思う。
一度は大会に出ないって決断したけれど私のわがままで戻ってきてくれてありがとう。
最後にみんなとフィールドに立てて嬉しかったなぁ。
4年間本当にありがとう!
(私の顔面強打を喜ぶ同期達)
最後に、、、
私がラクロスを始める上で立てた目標は2つあって、前回のブログでそれは何か言わなかったので話したいと思います。
1つは
''関東ユースに絶対なって、もっと上の選考会に呼ばれるような選手になること''
⇧
日本代表になるって言えって当時の自分😂笑
もう1つは
''後悔なくやりきること''
1つ目が叶って、2つ目が叶うことを信じてやってきたけど結局叶いませんでした。
高校の時とはまた違う形で後悔が残るとは当時の私は全く思ってなかっただろうな。
私の人生そんなもんなのかな笑
4年間、周りの人達にたくさん支えられて最後まで突っ走ることができました。
本当に感謝しかないです。
そして、ラクロスに出会えたことに感謝!
大切な宝物を手にすることができました。
ほんっとうに楽しい4年間でした!
#33 下川未加子 なな
お次は
リーダーとして共に突っ走ってきたらきへバトンタッチします!