令和6年2月6日最愛の息子が天国に旅立ちました。4歳幼稚園の年少さんでした。
葬式では同じクラスのお友達、先生などいっぱいの人達に見送られ寂しい思いをせずに天国に行けたと思っております。
私たち残された家族悲しみに明け暮れ未だ立ち直れてないのが現状です。
少しでもお子さんがいる人に見てもらえたらなと思いブログを書くことにしました。
令和元年8月元気に次男として生まれた秀翔。
小さい時は4つ上の姉3つ上の兄に可愛がられすくすくと育っていきました。
4歳になり幼稚園も年少さんになり
お友達と遊ぶことお外で遊ぶことが大好きで
家では必ず姉や兄にくっついて自分も姉や兄がすることができるんだって言って
なにもかも真似てやってました。
お調子者で走りまわりよく喧嘩もしますが
兄弟の中で一番優しくお菓子なども一人占めせず
みんなに分けてあげる子でした。
親の私たちからしたらすごくかわいくて自慢の息子でした。
ある日長男がインフルエンザにかかってしまい
それにつられて秀翔も熱が出ました。
熱が出たのが夕方だったので病院に電話すると
今日検査しても反応が出ないので
明日来てくださいとのことだったので
明日予約をしました。
その日は坐薬を入れたらすっかり元気になって
いつも通りな秀翔でした。
夜中になると坐薬の効果も切れてきて熱が高くなってきたのでもう一度坐薬を入れておやすみと言葉を交わし眠りにつきました。
次の日の朝目が覚めて私は会社に行きいつも通りな変わりのない日でした。
しばらくして嫁から電話がかかってきて
秀翔が息してないどーしよって電話があり
すぐ救急車に電話するよう伝え急いで帰りました。
帰りの道中どーゆーこと?なんで?
いやいや秀翔が死ぬわけないやん
ってずっと呟きながら急いで帰り帰ってみた光景がいつも通りの顔で寝てる秀翔ですがほんとに息をしてなくて呼びかけにも応じませんでした。
必死に嫁が心臓マッサージしてて私と交代でし続けました。
程なくして救急車が到着して病院に向かいました。
向かってる間ずっと大丈夫。絶対大丈夫。
秀が死ぬわけないやん。
大丈夫。ずっとずっと言ってました。
病院につくと待合室に通されしばらく待ってると
医者が入ってきて聞きたくない言葉を言われました。
病院にきた時点ではもー。。
嘘やろ?なわけないやん?
夢か?
そー思ってたら隣で震えながら息子に会わせて下さいって嫁が言ってました。
そーや見たらいつもみたいに笑顔でママパパってゆうやろそー思ったのですがやっぱり怖くて怖くて。
会いに行くといつも通り寝てる顔の秀翔。
反応は全くありません。
先生のご臨終です。の一言で現実なんやと思い涙が溢れてわんわん泣きました。
程なくして刑事さんがきて4歳児が自宅で亡くなった場合解剖しないといけないと言われ息子さんは警察署で2日間預かります。その後解剖します。
と言われました。
この2日間私たち家族は放心状態でした。
まともにご飯も食べれず眠れず。
周りの人はしっかり秀翔を送ってあげよって言ってくれましたがそんなこと言葉も理解できない状態でした。
死因も分からずもしかして苦しんでたのかな?
ママパパ助けてって叫んでたんやろか?
もし病院行ってたら大丈夫やったんやろか?
ずっと後悔と自分達を責めて責めてでした。
そして解剖が終わりやっと秀翔を迎えに行けました。ですが解剖結果を聞くのが怖くて怖くてたまりませんでした。
しかし聞かないわけもいけません。
警察署の別室に通され聞かされたのが
急性喉頭蓋炎でした。
細かく説明受けてインフルエンザの菌が喉にまわりその菌のせいで喉が気道を塞ぐほど腫れて窒息死ということです。
と言われ質問はありますか?と言われました。
もし夜中の熱が出た時病院行ってたら助かってたんですか?と聞くと刑事さんも疑問に思ってたので先生に聞いたらしいのですが
もし夜中インフルエンザと診断されたとしても薬出されて帰される思うので状況は変わらないでしょうとのことでした。
苦しんでたんですか?
そー聞くとおそらく夢の中の状態で窒息してるので苦しかったりはしてないと思います。
っと言われてそれだけが救いで。
痛いのが嫌いな秀翔なので
痛かったり苦しんでたりしたらと思ってたので
ほんとにそれだけは救いでした。
それからは秀翔と一緒に葬儀場に行きずっとずっと一緒にいました。
今は火葬して骨になりましたが
やっと家に帰れて秀翔も喜んでるのかなと思ってます。
まだまだ亡くなって日が浅く常に思い出しては泣いてます。
この気持ちをブログに書いて同じことで苦しんでる人とお話ししたりすると少しは気が落ち着くかなと思い書きました。
またお子さんがいる人も読んで頂ければ
インフルエンザの怖さなども改めて理解できるのかなと思っております。
また少し気持ちが落ち着いたらブログを書きたいと思います。
秀翔天国でも元気に笑顔でね。。