僕が彼女についてわかっていることは、少し陰のある美人であること、色素が薄いこと、僕の落書きに興味を持ったこと、マイペースなこと、なぜか僕の名前を知っていることくらいだ。ううむ、これではどうしようもない。彼女が何を考えているのか分からない。僕はこの1週間で、あの落書きを「いい街」と言う彼女の持つ感覚を知りたい、理解したいと思うようになっていた。ただの落書きと1分程度の会話だと思うかも知れない。それは結構だ。でも、気にならない方がおかしいと思わないか? 気まぐれの落書きに共鳴してくれる人が、世界に何人いるだろう。それがしかも「変わった人」だったら、知りたいと思うのは当然のことだ、と言ったことを思いながらこの1週間、講義の前後に教室を見回したりしたものだが、彼女の姿は見当たらなかった。

「あら、久しぶりじゃない」
そしてあの日からちょうど1週間後、同じ講義の日、彼女はさも当然のような顔で隣に腰掛けた。茶色のセーターにジーンズ、今日も地味な格好だ。
「探しましたよ、この1週間」
「こっちもよ」
「僕は普通に講義に出てましたよ」
「しょうがないじゃない、学部違うんだから」
「は?」
「今日この後は空いてる? 5限の後なんて暇よね。会わせたい人がいるのよ」
意味がわからん。
僕はある日、大学の講義で、変わった女と会った。
その講義は確か、中世のイギリスにおける政治改革についてのものだった。前から3列目で真面目にノートを取っていたものの、ノートを見なければ、内容は思い出せない。そんなに興味のある話では無かった。
彼女は恐らく偶然隣に座っていただけで、僕に気があったというわけでは無さそうだ。僕の方は、彼女が隣に座った時からどことなく落ち着かなかったのだが。しかし彼女は、僕が講義中に書いていた落書きに目を留めたのだろう、講義が終わるや否や、声を掛けられた。
「それ、素晴らしいわね」
錆びた鉄を擦り合わせたような声だと思ったことを覚えている。
「はい?」
「凄くいい街じゃない」
「これですか、ただの落書きですよ」
「雰囲気あるわよ」
彼女が言っているのは、ペストの話――衛生問題やら下水が整備されていなかった街が汚れていたとかいった話――を聞きながら端に書いた落書きのことで、「いい絵」では無く「いい街」という言い方、その言葉の選び方が何か魅力的で、僕は少しこの人の話を聞いてみようという気になった。
「落書きしている最中、ずっと見てたんですか?」
「そんなわけないじゃない。授業聞いてたわけでもないけど、あなたの落書き見ながらペストについて考えていただけよ。それじゃあまた会おうね、鎌倉君」
予定も無い月曜日の朝、お腹が空いて目が覚める。
今、僕は数年後の大学小説を書き始めたのだ。

世間に大学小説は余る程溢れ出した。
「平成の大政奉還」を機に日本の教育が大きく舵を切ったという意見が、画面の中の知識人らによって盛んに言われるようななったのは、去年の春頃からだ。
細かい善悪は別とし、少子化に歩調を合わせ行われた教育改革の成果は、大学進学率という形で現れた。「大学進学」をステータスから常識へと変えたことは、日本にとって素晴らしいことだと、僕も思う。知識人もそう言う。検挙率などから治安も向上したと言うが、これも教育がもたらした、教育改革の副産物だ、と言う能の無い政治家の声高な主張には辟易するが、一理あるだろう。
少なくとも、僕は今の日本の教育と治安には満足している。
ある夜、僕は小説を書き始めた。

僕は、非常につまらない生活をしている。
何かに追われながら生きているつもりが、「いっつも、何しているんですか?」と、後輩に聞かれれば、答えに詰まる。また明日、頑張って「何か」しなきゃいけない。
そんなつまらない僕だが、小説は好きだ。
だから、小説を書いてみる。いや本当は、ずっと書いてみたかったんだ。
現実のあれやこれやに目を瞑って、明日の朝、目を開ければ、そこには僕が描き出す小説の世界が広がっている。
一人でひっそりと書いていると長続きしなさそうなので、
ブログに書くことにしました。
楽しみにしてもらえるよう頑張りたいです。