◆Katadamaはパッケージデザインに非ず!(三次元構造の効力を極限まで引き出す) | 家族を見つめる(家庭教育)

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「Katadama」をコンセプトとした住環境構築は、

”施主ご本人仕様=全世界で唯一のオリジナルデザイン”であること

が求められます。

言い換えれば、人の顔はそれぞれが唯一のオリジナルであるだけに、当然のようにオリ
ジナルデザインとなるわけです。


そして象徴的なデザインの一つとして、
一見してシンメトリック(左右対称)なデザインでありながら、微妙なズレをあえて生じさせる
ことによって、施主ご本人仕様の建物を創造していくのです。

このズレを細に解説することは、当研究会の理論構築の根幹に関わる部分であり、かなり奥行きのある
ご説明になりますので、ひとまず皆さんに触り部分でも触れていただきたいと思います。
それでは、簡単な例を取り上げてみましょう。

女性の笑顔

人の顔は千差万別、人の心は十人十色。
いろんな顔あり、いろんな心ありですね。
こと人の顔に至っては、意外にも不思議な事実があります。
人の顔を縦に分割してみましょう。

すると、左右片方づつの顔となります。この顔を元通りにするには
左右どちらでも、鏡に映してしまえば元通りになるように思えますが、意外にも今までのバランスとは
かけ離れたアンバランスな顔が出来上がるのです。
女性の笑顔(左側コピー)


顔の左側を鏡に映したときと同様に、右側もやってみましょう。
女性の笑顔(右側コピー)


今度も、違った顔になるのです。
そして、元の顔に目を移してみるとどうでしょう。
女性の笑顔


やっぱりこの顔が一番自然ですよね。
では、なぜ左右が違うのか?ここも気になることでしょう。これは医学的見地から見た場合、先天性・
後天性の問題のほか、左右の筋力の差や骨格の差異、更には噛合わせ・心臓の位置や疾患など様々です。
しかし、なぜそのようになっているのかということより、もっと大事なことがあります。
それは”印象”です。
左右対称であれば、なぜか不自然に見えてしまうのです。
なぜ不自然に見えてしまうのか...なんとも不思議ですね。

これは、不完全な物事が完全なる物事に突き進むという無限の可能性を”希望”と感じる感性野の面と
私たち人間が、自然界の絶対法則のひとつである、いわゆる”不規則性”の真っ只中で生きてきた証で
もあるのです。

ここに私たち人間の類稀なる力を垣間見ることができ、そして大自然の営みに思いを馳せることができる
わけです。
このズレについては、音楽・絵画等アートの世界から階段の段数まで、キリがないほど深いものです。
ひとまずここまでとしましょう。


さて、Katadamaというと、なにやら宗教めいたコンセプトを思い起こす方もいらっしゃるかと思います
が、そんなことはありません。
言葉の霊と書いて言霊(コトダマ)となるように、形の霊と書いて形霊(カタダマ)と解釈されるよう
ですが、Katadamaは”形の魂(ソウル)と解してください。
これは、特定の宗教に偏向せず、特定の科学にも偏向しない上で人類の共通言語を基準とする考え方
を構築することから、もっとも公平なる価値基準を構築するという、私たちの揺るぎない基本姿勢です。
このことを前提に、フラットなる視点でお受け止め下さると幸いです。


Katadamaの特徴は、完全なるオリジナルデザインであるということと、年数を経ることで落ち着いたデ
ザインとなる、すなわち育つ家だということ。

個性を尊重し、歴史を素直に受け入れるカタチが、このKatadamaです。
ですから、施主ご本人に対してカタログ的な選ばせ方を提示することもありません。

なぜなら、個を見つめていくと個を尊ぶ姿勢が常に求められ、施主ご本人の趣向、性格、志などといった
要素を煮詰めていくこと以外に、その人仕様の家は出来上がるはずがないということなのです。


提供者側の経済的論理から端を発する論理や商行為は、安直なるパッケージデザインを生み出し、製造物
の大量生産と情報の大量露出によって、私たちの生活に否応なく発信し続けている昨今です。
その情報が真に有効かどうかを問う前に、自分自身の生き方・人生・目的を問うことだけで、現代社会の
歪みをただ憂い、ぼやくだけのジレンマから逃れることを可能とするのです。

Katadamaは世に問いかけます。
画一的なパッケージデザインは家庭発の社会平和に貢献するか。
個性の尊重は、家庭発の社会平和に貢献するか
、と。


答えはもうお分かりのはずです。


個を見つめ、社会を見つめることで、我が家が如何にあるべきやとの思いに至ることでしょう。
Katadamaは、その真摯なる思いからゆっくりと動き始めるのです。