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kmcha13さんのブログ

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叔父が離婚した。母の弟。
子供は3人、すべて叔父が引き取った。
叔父は仕事をしている。
今までは奥さんがやっていたこと
すべて、叔父がやらなければならない

そんなこと、いきなりできるわけ
がなかった。頑張ってたけど。

そんなとき、母は叔父の家に行く。
寂しかった。いつも、いとこ優先。

私のことはあとまわし。
それは高校卒業まで続いていた。


私は年の離れた兄と姉がいます。
だから、ほとんど一人っ子状態で
育てられてきました。

いつも、家に帰ればみんないる。
父、母、兄、姉、祖母、ネコ。
本当にふつうな暮らしをしている
ふつうな家族だったのです。

私は幼い頃から病気ばかりし、
入退院、毎日の通院、そんな日々で
いつも母がとなりにいました。

成長していくにつれて私も健康な
体になっていきました。
それでも心配な母はとても過保護
に私を育ててきました。

学校が終わったらまっすぐに帰宅
帰宅したら遊びに行ってはいけない
登下校は母が毎日自転車で送迎。

明らかにやりすぎでしょ。
ってくらい過保護に育てられた。

違和感ぜんぜんなかったよ。
らくちんな毎日だったし。
遊べないのは寂しいけど。



でも、ある日、私はなぜか違和感
を感じた。そこからなにか、人生
の歯車がズレ始めてきたんだね。

なんで、学校から帰ったら
遊びに行っちゃいけないの?
みんなは遊びに行ってるよ。

よそはよそ、うちはうち。
なんでも同じ返答ばかり。

その頃、兄は悪い方に進み、
毎日毎日騒々しかった。
親に刃向かえる兄が羨ましく
思えた毎日だった。

そして、兄がすることを
真似するようになっていった。

勝手に遊びに行ったり、
友達と電車で出かけたり。

小学校6年生だったかな。

家に帰りたくない。
毎日、下校時刻ギリギリまで
教室にいた。グラウンドの
ベンチで1人座っていた。

先生は心配してくれたけど
結局は親の見方しかしない。

1人孤独な毎日を送っていた。

はじめまして、closeと申します。

closeは二十歳になりました。

今、不安障害と躁うつ病と戦い

ながら介護職をしております。


closeは病院に通い始めたのは

去年のことです。

症状は前からあったのですが

親が理解してくれる親ではなく

自分で行くしかなかったから…


ってなことで心から信頼できる

主治医の先生と共に闘い

なんとか生きてます...orz


これから、暇をつけて少しずつ

書いていきたいと思います。


今、悩んでいる子供たちに

悩みを抱える子供を持つ親に


私が闘ってきた20年を知り

少しでも私のような子供が

減っていくように…。


そんな立派なことは書けません。

ただ、こんな考え方もあるんだ。

そう思ってもらえるとうれしいです。


思い出しながら書いていくので

年代が前後するかもしれません。


国語が苦手なので文章が変に

なっているかもしれません。


大目に見てやってください。


それとこれは私が生きてきた

道であり、正しいものとは言えません。

参考程度に見てください。


2011/6/28  close