明日、10月26日、親父の誕生日です。
生きていれば、ちょうど80歳ですな。うん、そういえばそうだ。。。80か、80って何寿だ?
今調べたら、「傘寿」だって。さんじゅって読むんだって。知ってた?こんなの知らんかった。
一人で墓参り行ってこうようかな~。久々に。
うちの親父はほとんどアル中でした。
酒を飲んでくだを巻いているとき、僕が高校生でしたけど、親父が僕の友達の悪口を言ったので、僕親父の頭を引っぱたいちゃったんですよ。若かったし。。。そしたら、翌日親父はくも膜下出血で救急車で運ばれました。
それから、入退院を何年間も繰り返し、あげく最後は少し認知症の症状まで出て、69歳で亡くなったのでした。
親父は本当に酒飲みで、オフクロや子供に迷惑かけっぱなしの男だったけど、人には愛されていました。
僕が小学校低学年の頃、一緒に死のうと言うので、僕は親父の言うとおり、お互いにマッチをすって、火をつけあいっこすることになりました。僕はあまりにも素直に親父が持っているマッチの火を受け入れようとし、僕は親父に火をつけようとしましたが、すぐに親父は僕に差し向けているマッチの火を「ふっ!!」と消して、顔をぐしゃぐしゃにして、おいおいと泣きました。多分僕も泣いたと思いますが、よく覚えていません。
こういうナイーブで弱い人間だった親父はますます酒に溺れて行ったのでした。
でも、なぜか僕やオフクロや僕の兄弟は、これを暗いとか、苦労したとか思っていないのです。
むしろこんな話はとてもおもしろくて、親父の弱いところと、いきがっているところなんかを話ながらいつもゲラゲラ笑っているのです。
親父はハワイアンのバンドで、ボーカルとウクレレをやっていました。
俳句もよく書いていました。
俳句は親父が亡くなったあと、僕が編集して、ご近所の方のお力添えもあって1冊の句集にしました。
この俳句がなんとも親父を表していてとても良いのです。宝物です。
最後、親父はぼけてくれてよかったです。死ぬときに頭がボケているほうが家族としては安心しました。
ただ、親父がCPUに入る前日、なぜか僕に握手を求めたことはやけに記憶に残っています。
見舞いに行っても、握手することなんてなかったですから。
親父は今の自分が入っている墓を買うとき、俳句とは言えないような歌を披露し、
俺が死んだらこれを墓石に彫れと言いました。
横浜市にあるお寺で田園都市線「あざみ野」駅近くの寺に親父の墓があるのですが、
「あざみ野の四季を愛して寝心地よし」墓にはそう彫ってあります。
むむむ、、、寝心地が良いとは、シャレのきいたいかにも親父らしい明るい歌だと思いました。
明日が親父の誕生日であること、さっき思い出したんです。
明日、行ってこうようっと。