高校の同窓会に出席した。実に久しぶりの出席であった。老人ばかりで、面白くない。それが同窓会に対する印象だった。久しぶりに出てみてびっくりした。自分が、結構な老人クラスなのには驚くのほかはなかった。
同窓会は懇親会がメインである。たいてい、その前に添え物的に講演会がある。その夜にも講演会が付いて居た。陸上自衛隊の将校が、東日本震災について語ったものだった。その講演会は、決して添え物ではなかった。講演を終えて将校が会場を立ち去る時、拍手は長く続いた。尊敬することのできる後輩だった。
救護活動は、すさまじいものだった。瓦礫の撤去ではなく、その主眼は遺体の収容だったことを知った。隊員はがれきの間に挟まる遺体を泥の海を這いずり回って回収した。其のスナップを見たが、その異様な光景には胸衝かれる思いとともに頭の下がるものであった。隊員は、たいてい瓦礫で傷だらけになったが、誰も怪我を申告しない。申告すれば後方に下げられる。誰も後方に下がろうと思わなかった。隊員は怪我を隠して遺体の収容を続けたそうである。
給食と風呂を被災者にふるまったが、隊員たちがそれをエンジョイすることはなかった。ひとつでもひとりでも多くの人に給食と風呂を楽しんで欲しいと思ったようである。
震災後、東京中からペットボトルのミネラルウォーターがなくなった。自衛隊がそれを買い上げ、被災地に運んだ。その水で遺体を洗ったそうである。被災地には、遺体を洗えるきれいな水がなかった。
その遺体に多くの中国人が群がって、金品を盗んだ。多くの中国人が、被災地に向かったことは知られている。それをマスコミは決して報道しない。原発があれだけの事故を起こして、平穏に終息したことも、彼らの主たる関心であった。
日本中から救援物資が届いた。必ず、数量が予定より多めに届いた。「どうせ余っていますから」と。日本中の物資が払底し、余っていなかったことは誰でも知っていることである。が、誰も不平をいうことはなかった。その物資の輸送も、たいてい予定時刻より早く届いた。トラックのドライバーは途中で休憩することなく、前のめりになるように被災地に急いだ。誰に命じられた訳でもない。同胞を思う心であろう。
米軍はオトモダチ作戦というネーミングで、救護活動を助けた。そのネーミングの意味するところが判らなかった。それはこう言う意味だ。米軍は、世界中の被災地において救護活動をした。その際は、武装して、まず被災地の秩序を回復してから、救援物資を被災者に平等に行き渡るように武器で威嚇しながら進めることが通例であったそうである。米軍は、東北に上陸して驚愕した。自衛隊が丸腰で救護活動をしており、秩序は破壊されていなかった。米軍は武装を解除して救護活動を進めた。米軍初めての経験であったそうである。
われわれは、この国をもっと誇りにおもっていいのではないか?
