こんばんは。
第一歩として報告を実施するのは、私が住む埼玉県所沢市に位置する所沢通信基地です。

↑基地西側ゲート
1911年に大日本帝国陸軍により開設された所沢陸軍飛行場を第2次世界大戦の日本敗戦により米軍が接収し、その後何度かに分けて区域の返還が行われましたが、未だ全面返還に至らず通信施設として使用されているのです。
基地内には通信用の様々なアンテナが建てられています。



アンテナのほか、倉庫や舎屋も建てられており、閑散とはしていますが車両が留まっていた事から人員の出入りはあるようです。

↑倉庫

↑舎屋と倉庫、駐車場。
キャンピングカーや乗用車、軽トラックが確認出来ました。
2020年に基地のほぼ中央を貫く東西連絡道路が開通し、基地の西側と東側の移動所要時間が短縮されました。

↑東西連絡道路(東側入口)

この基地の中心を通る、両脇をフェンスに囲まれた連絡道路を通ると、「日本の中に米軍基地がある」のではなく、「米軍基地の中に日本がある」と感じます。いわゆる「戦後80年」が経過してもなお、米国による植民地支配が終わっていないことをまざまざと突きつけられます。

↑英語と日本語で記された立入禁止の物々しい警告表示
なお、単なる通信施設というわけではなく、2018年には輸送機オスプレイが飛来したこともあり、航空機の離発着も可能な模様です。
返還された区域には現在、所沢航空記念公園や航空記念館などが建てられており、市民憩いの場となっていますが、そのすぐ近くに今なお軍事施設があるということを忘れてはなりません。