出来ない事が当たり前 | HAPPY理論実験ブログ

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そもそも私達は大いなるものの、一部。

自分自身が神。

自分の中に宇宙がある。

などと言うけど、一体何故今人間やっているのか?

それは何でも出来る存在というものは退屈だから何も出来ない人間ドラマをしに来たのではないかな?


だからそもそも人間であることは、何も出来ない、が前提。

そして宇宙や神は身体がないから、身体を使って感じたり表現する、と言うのが前提。


ある意味こんな精神の話や目覚めに興味なく人間ドラマやってる人の方が成功なのかもしれない。


しかし私達は目覚めとかに興味があり、色々と知識を知ってしまった。

知ってしまったのに、突き抜けない〰とか今まで通りで変われない〰とかで悩んだりする。


そもそも、何も出来ない、自分が全能の存在というのを忘れると意図してきてるのだから、今どんなに何もできなくても、その状態が全肯定。

どんな事を感じても、感じにきてるんだから、全肯定。

これがHAPPYちゃんの言う源からの全肯定かも🦆


昔から喜怒哀楽って感情があるから、全て感じても良いんじゃない?って思ってたけど無意識で怒と哀はさけようとしてたなー

むしろ積極的に感じに来てたとは😁


出来そうにないから、とか結果出そうにないから、で止めるのではなく、出来ないままやってみることがしたくて人間やってる今 

どーせ死んだら(?)何でも出来る存在に戻るんだろうから。

ならば人間の間にしか出来ない、出来ないままやる体験を一つでも多くした方が人間を存分に楽しめる!


出来ることが目標ではなく、出来ない状態の人間がやってみたらどうなるのか?と実験感覚でやってみたら結果もこだわらないし、やるのに腰も重くならないだろうね


イマココで思いついたやりたい事、紅茶飲みたいとか寒いから暖房つけたいとか(今の私、紅茶飲んでヒーターつけた)何でもいいからやっていこう


出来ない前提なんだから、なんでも出来る!!