みなさんこんばんは。
今日は3月11日ですね。
忘れちゃいけない、大切な日です。
四年前の今ごろ、僕はまだ中学3年生で、
もうすぐ卒業だなと、9年間通った学院への感謝と寂しさを日々感じ、
同時に新しい高校生活への期待と不安を抱いていました。
でもそんなの、たいしたことではなかったんですよ。
だってそんなことを考えてる時に、大勢の、本当に大勢の方々が津波に飲み込まれ
倒壊した家の下敷きになり、火事に遭い、かけがえのない命が失われたのです。
学校から帰ってきて、祖母がいつものようにニュースを見ていました。
でも、映像が、いつもの穏やかな天気情報とかではなく
津波の、見てない人はいないでしょうあの恐ろしい映像だったのです。
あのとき、ああ、この年は絶対忘れないな。
卒業式の数日前にあんなことがあって、忘れるわけがないと。
あと、何かしなくちゃ。何かできることはないかなと。
その、何かできることに、もちろん募金も入っていましたが、
現地に行ってボランティア活動をしたいという気持ちが主でした。
高校生活の間はさすがに現地に赴くことはできないだろうと思っていて、
でもそんなところに、高校の修学旅行の行き先が東北へと決まったのです。
日中関係が悪化し、中国へ行けなくなりました。
それで東北へ、数百名の旅費、宿泊費を東北へお金として落とし
ボランティア活動も行うということができる、そういう予定でした。
これが決定した時、僕は本当にうれしかったです。
『やっと、自分の手で支援ができるぞ』と思いました。
しかし、
実際に行くことも、活動することもできなかったのです。
修学旅行前日、震度5ほどの地震が現地で発生し、修学旅行の行き先を変更
急遽、鎌倉東京観光へと変わったのです。
やっぱり修学旅行ですから、仲の良い友人たちと観光してワイワイ騒いで
楽しかったですよ。
でもやっぱり心に引っかかるものがありました。
それ以来、僕はまだ東北へ行ったことがありません。
今朝の新聞で、死者1万5891人
行方不明者2584人
そして、今なお仮設住宅に暮らしている方々が22万8863人
と記されていました。
あのとき、死者数の数が増えるごとに、
自分の心の冷たさを見たような気がしました。
数が多すぎてうまく心まで染み込まなかったのでしょうか。
この数は単なる数じゃない。
人の命の、必要でなかった命など一つもない、
これまでの人生と、これからも続いていくはずであった
そんな命の一つなのです。
これは絶対に忘れないようにしなきゃと、思っています。
いま四年前に戻ったら、あの時の自分をぶっ飛ばします。
あの数の意味をちゃんとわかってるのかと。
頭ではわかっっているけど、心ではわかってはいなかった
そんな気がします。
僕は、あの日以来、
一度は必ずあの場所へ行って、自分のこの両手で
何かできることをやらなきゃいけない
そう思っています。
いつその日が来るかはわかりません。
でも、できれば就職する前に行かなければと思っています。
長くなりましたが、この日は特別ですから。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。
これって色々考えさせられる言葉ですね。
原発の再稼動、やはり不安です。
あれだけの事が起こっても、日本は使い続けるのかな
原子力の利益は確かにお大きいですけど
やはり不安だな。
長崎生まれで、現在広島で大学に通っているので
なおさらその気持ちも大きいです。
抗がん剤と、原子力って、とても似ているなと最近感じています。
確かに有益なものではあるけれど
リスクが大きすぎるよな。
でも現状今すぐには捨てられない。
利用しない道も選ぶことができるけど、
それもまた難しいところがあって。
いつか、どっちもなくなって
他の方法で十分成果を上げられる
そんな日が来るのかな。
最後に、
復興支援ソング『花は咲く』、これを母がお箏で弾いたのを思い出します。
片手で歌の一つ一つの音だけですけど、僕も弾けるようになりました。
今はもう無理かもですけど。
あのメロディーと深く考えさせられる言葉
印象的です。
フィギュアスケーターの
羽生結弦さんがこの曲で演じているのを見たとき
涙がこぼれました。
下のリンクには、
花は咲くを作詞した方や作曲した方の言葉が書いてあります。
一度は目を通してみたらいかがでしょうか?
「明日へ」復興支援ソングのご案内
最後の最後になりましたが、
亡くなった方々の御冥福を心からお祈りいたします。
そして、その親族の方々や今も避難転居、仮設住宅で暮らしている方々
この震災で影響を受けた多くの方々が
元通りになることはないでしょうが、
少しでも良い方向に向かい、多くの笑顔を取り戻せますように。
自分もこの国の一人の人間、
少しでも役に立てればと思います。
『微力だけど無力じゃない。』
今日は3月11日ですね。
忘れちゃいけない、大切な日です。
四年前の今ごろ、僕はまだ中学3年生で、
もうすぐ卒業だなと、9年間通った学院への感謝と寂しさを日々感じ、
同時に新しい高校生活への期待と不安を抱いていました。
でもそんなの、たいしたことではなかったんですよ。
だってそんなことを考えてる時に、大勢の、本当に大勢の方々が津波に飲み込まれ
倒壊した家の下敷きになり、火事に遭い、かけがえのない命が失われたのです。
学校から帰ってきて、祖母がいつものようにニュースを見ていました。
でも、映像が、いつもの穏やかな天気情報とかではなく
津波の、見てない人はいないでしょうあの恐ろしい映像だったのです。
あのとき、ああ、この年は絶対忘れないな。
卒業式の数日前にあんなことがあって、忘れるわけがないと。
あと、何かしなくちゃ。何かできることはないかなと。
その、何かできることに、もちろん募金も入っていましたが、
現地に行ってボランティア活動をしたいという気持ちが主でした。
高校生活の間はさすがに現地に赴くことはできないだろうと思っていて、
でもそんなところに、高校の修学旅行の行き先が東北へと決まったのです。
日中関係が悪化し、中国へ行けなくなりました。
それで東北へ、数百名の旅費、宿泊費を東北へお金として落とし
ボランティア活動も行うということができる、そういう予定でした。
これが決定した時、僕は本当にうれしかったです。
『やっと、自分の手で支援ができるぞ』と思いました。
しかし、
実際に行くことも、活動することもできなかったのです。
修学旅行前日、震度5ほどの地震が現地で発生し、修学旅行の行き先を変更
急遽、鎌倉東京観光へと変わったのです。
やっぱり修学旅行ですから、仲の良い友人たちと観光してワイワイ騒いで
楽しかったですよ。
でもやっぱり心に引っかかるものがありました。
それ以来、僕はまだ東北へ行ったことがありません。
今朝の新聞で、死者1万5891人
行方不明者2584人
そして、今なお仮設住宅に暮らしている方々が22万8863人
と記されていました。
あのとき、死者数の数が増えるごとに、
自分の心の冷たさを見たような気がしました。
数が多すぎてうまく心まで染み込まなかったのでしょうか。
この数は単なる数じゃない。
人の命の、必要でなかった命など一つもない、
これまでの人生と、これからも続いていくはずであった
そんな命の一つなのです。
これは絶対に忘れないようにしなきゃと、思っています。
いま四年前に戻ったら、あの時の自分をぶっ飛ばします。
あの数の意味をちゃんとわかってるのかと。
頭ではわかっっているけど、心ではわかってはいなかった
そんな気がします。
僕は、あの日以来、
一度は必ずあの場所へ行って、自分のこの両手で
何かできることをやらなきゃいけない
そう思っています。
いつその日が来るかはわかりません。
でも、できれば就職する前に行かなければと思っています。
長くなりましたが、この日は特別ですから。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。
これって色々考えさせられる言葉ですね。
原発の再稼動、やはり不安です。
あれだけの事が起こっても、日本は使い続けるのかな
原子力の利益は確かにお大きいですけど
やはり不安だな。
長崎生まれで、現在広島で大学に通っているので
なおさらその気持ちも大きいです。
抗がん剤と、原子力って、とても似ているなと最近感じています。
確かに有益なものではあるけれど
リスクが大きすぎるよな。
でも現状今すぐには捨てられない。
利用しない道も選ぶことができるけど、
それもまた難しいところがあって。
いつか、どっちもなくなって
他の方法で十分成果を上げられる
そんな日が来るのかな。
最後に、
復興支援ソング『花は咲く』、これを母がお箏で弾いたのを思い出します。
片手で歌の一つ一つの音だけですけど、僕も弾けるようになりました。
今はもう無理かもですけど。
あのメロディーと深く考えさせられる言葉
印象的です。
フィギュアスケーターの
羽生結弦さんがこの曲で演じているのを見たとき
涙がこぼれました。
下のリンクには、
花は咲くを作詞した方や作曲した方の言葉が書いてあります。
一度は目を通してみたらいかがでしょうか?
「明日へ」復興支援ソングのご案内
最後の最後になりましたが、
亡くなった方々の御冥福を心からお祈りいたします。
そして、その親族の方々や今も避難転居、仮設住宅で暮らしている方々
この震災で影響を受けた多くの方々が
元通りになることはないでしょうが、
少しでも良い方向に向かい、多くの笑顔を取り戻せますように。
自分もこの国の一人の人間、
少しでも役に立てればと思います。
『微力だけど無力じゃない。』