今日、心の兄貴が会社を去った。
心の兄貴とは自分が勝手に思っていたことで、本人に「兄貴と慕ってます」なんて言ったことは一度もないし、本人もまさかそんな風に思われてるとは微塵も感じていないだろう。

もっとも、会社を去ったと言ってもすぐ近くのオフィスに移るだけだし、プライベートな付き合いはもちろん続けていけるわけで。

でも、なんとなく遠くに行ってしまった気がして寂しくなった。
日中、いつでも話しかけるといつまでも話を聞いてくれて、必ず新しい発見をさせてくれる人だった。
自分を認め、褒め伸ばしてくれる人だった。

兄貴のいない日、それは、兄貴の偉大さを改めて感じた日だった。

気が付くともう4月で、今年も1/4が終わったのかと思うと到底信じられない。
世の中がなぜかざわめいていると思ったら、それは単に増税を気にする人々の動きだけではなく、桜が咲き始めた高揚感だったり、出会いと別れに対する人々の気持ちの揺れ動きなのだと気付く。

さて、4月になると気の早い大学生たちからは「外資系企業に就職したいんですが」という類の質問が先輩、内定者、社員etc.に相次ぐようになる。
私もそのような質問を受けることがあるのだが、アドバイスとしては「真剣に向き合うことしかない」の一言に尽きる。
理由としては、

1. 想像よりもきっとストレスフルな環境であるから

「学生時代から徹夜は慣れてます」「ずっと座って作業するのは苦になりません」と学生は自分のタフさをしばしばアピールする。
しかし、特に外資系のコンサルや投資銀行に就職した際のストレスは、学生時代の時間で受けるものとは質としてそもそも異なるものであると思う。
もちろんストレスは発散可能なものなのであるが、そもそもそこに投下できる時間もまた限られているわけで、「寝れば忘れる」「飲みに行けば忘れる」「そもそもストレスに鈍感」という性格ならば非常に都合がいいが、「旅行して気分転換できれば」「友人と会って話せば」という人ははっきり言ってストレス発散の機会がそう多くは取れない。
ストレスをマネージすることが難しいからこそ、そのストレスは許容可能なものか、ストレス発散の機会を自分が作っていけるか、といったことは予め考えておいた方が良い。


2. いざという時に自分を救ってくれるのは、自分の志であるから

上記のように、非常にストレスフルな環境の中で、「3年で辞めて転職」というだけの気持ちでは到底生き残っていけないというのが現実である。
もちろん、ファーストステップがセカンドステップありきで設定されているというのも立派な志なのだが、往々にしてセカンドの作り込みの甘い人が多いのが実際のところではないだろうか。
威勢の良さ、若さ故の過ちを大人は大歓迎するが、あくまでもそれは芯のある若者に対して、という前提があることを忘れてはならない。
ただミスをする若者を手放しでサポートできるほど、大人の心は広くない。

3. 企業側のコスト意識が高まっているから

コンサル業界では以前より挙げられていた問題だが、競争に伴う収益の切り下げが、コスト削減の意識へと繋がり、これまでのような丼勘定がなかなか通じなくなってきた。
また投資銀行の世界でも米系を除けば自己資本規制の強化により外圧的にコスト削減、効率化が求められるようになっている。
元々経験のない若者を一から育てようという新卒採用は、少なくとも短期的に見ればコストヘビーな手法ではあるのだが、それ故に最近では、特に長期的に自社に留まってくれる人間かどうかという点が、採用時のプライオリティとして高まっている気がする。
もちろん個社差はあるはずなので一様に述べるつもりはないが、日本の外資系企業ではまだまだシニア層がかつての日系企業出身であることも相まって、学生が単純に思い浮かべるドライな欧米型組織の人材像とはかけ離れた、ある意味で一般的な日本企業に近い思考を持っている。
そうした中で短絡的にネクストステップの話に終始するような姿勢は到底受け入れられるはずがない。
まず目の前の企業で何を成し遂げたいのか
という視点から入らねばなるまい。


就活が本格化する夏までは、長いようで短い。
就活や限ったことではないが、日々頭を働かせて生きていきたいものだ。

最近個人的に辛い時期が続いている。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ日々である。

自分の無力さを痛感し、周りの目に怯えながら日々を息を切らしながら駆けている。

まあ実際本当に跳ねるかどうかは別としても、へこんだ時こそ外に目を向け、未来に目を向け、少しでも自分をポジティブにしようという努力が大切な気がする。

きっとできる、もっとやれる、そんな空元気のような自己暗示でもいいじゃないか。
言霊ということもある。
とにかく頭をポジティブで埋め尽くしてみよう。