klubnika's note

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徒然なるままに国際情勢把握と美的追求を、美味いものもだ、常々考えているが現実は非なり。 モスクヴィチカ通り28番地のアパート55号室元住人のつぶやき。

ソフィアの聖アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の雪景色、ネオ・ビザンティン建築様式で建てられた聖堂はブルガリア正教会の主教座聖堂である。教会の名は中世ロシアの英雄として讃えられ、正教会で列聖されているアレクサンドル・ヤロスラヴィチ・ネフスキー(Александр Ярославич Невский )の名を冠している。ノヴゴロド公国の公を経てウラジーミル大公国の大公(在位:1252年 - 1263年)となったアレクサンドル・ネフスキイ、アレクサンドル1世とも言われている。
大聖堂の建設が開始されたのは1882年、その際に礎石が置かれたが、その後1877-78年の露土戦争で戦死したロシア兵を追悼するために1904年から1912年にロシア帝国の支援で建設された。この戦争により、ブルガリアがオスマン帝国の支配から解放された。



ソフィアのライオン橋とKnyagina Maria Luisa Blvd.を走るトラム、新型車輌ですね、左奥に尖塔がバニャ・バシ・ジャーミイ Централна джамия гр. София - джамия „Баня Баши“、正面に聖ネデリャ教会 Катедрален храм „Света Неделя“、その先がヴィトーシャ通り、そして、ヴィトーシャ山。2025年12月30日の写真、小綺麗になっている。
ライオン橋の先、左側、ジャーミイの手前のグロリアパレスホテルに1996/97年に何度か宿泊した。通貨危機真っ只中で、ヴィトーシャホテルでクレジットカード決済が出来ない通知があり、決済できるホテルがここだった。部屋が通りに面していてオンボロなトラムの走行音がうるさかったが直ぐに慣れた。毎日毎日、ブルガリアヨーグルトを朝食に食べていた。

冬至

2025年の冬至は、12月22日(月)、昨日でした。北半球において日の出から日の入りまでの時間がもっとも短い日のことで、太陽が沈んでいる夜が最も長い日です。

冬至がいつになるのかは天文学的に決まり、毎年、12月21日か22日です。南半球では同じ日が、もっとも昼の時間が長い日である夏至になる。

 

冬至や夏至は、地球の回転(自転)軸を「地軸」に関係し、地軸は1年をかけて太陽の周りを回る「公転面」に対して、約23.4度の角度を持っている。この傾きが太陽の方に向いている時期は、暑く、昼が長くなります。反対に、太陽とは逆の方に向いている時期は、寒く、昼が短くなります。

 

「夏至」や「冬至」という日本での呼び方は、二十四節気という古い暦が基にになっている。二十四節気は太陽の動きにもとづいた暦で、月の動きをもとにした太陰暦が普通だった時代にも使われてきました。1年を24等分して、夏至・冬至や、その中間の日(昼と夜の長さが同じ日)を春分・秋分と定めている。

冬至the winter solstice

夏至the summer solstice

 

かぼちゃと柚子湯

冬至には、かぼちゃを食べ、柚子湯に浸かると言われていいる。かぼちゃは、体内でビタミンAに変わるカロテンや、ビタミンB1、B2、C、E、食物繊維をたっぷり含んだ緑黄色野菜で、新鮮な野菜が少なくなる時期、冬を乗り切るためにも冬至という節目にかぼちゃをたべ栄養をつけようというものです。かぼちゃの原産地は中南米で夏から秋に収穫され、風通しのいい涼しい場所だと2~3カ月間は保存することが可能です。

 

いつから冬至にかぼちゃを食べるようになったのかと言うと、江戸時代の文献には「冬至にかぼちゃ」という記述はなく、明治以降に生まれた比較的新しい習慣のようです。

 

もう一つの冬至の風習が柚子湯で、この習慣は江戸時代からあったようです。1838(天保9)年に刊行された、江戸の年中行事を紹介する「東都歳事記」によると、「冬至 今日銭湯風呂屋にて柚湯を焚く」との記述があります。「冬至」を「湯治」にかけ、「柚子」を「融通が利く」(体が丈夫)にかけて、銭湯が始めたとされています。

 

柚子は11月~12月が収穫期です。柚子の果皮には、風邪予防や保湿にいいとされるビタミンCや、血行改善を促すといわれるヘスペリジン(フラボノイド)などが豊富に含まれおり、旬の柚子が健康にいいことを経験的に知っていたのでしょう。

デジタル社会の進展とはいえデンマークで郵便配達配達中止、郵便事業自体は民間企業に引き継がれる。

デンマークの郵便サービス会社PostNordは、12月30日に最後の郵便配達を行い、400年以上続いた伝統に終止符を打つ。

 

PostNordは今年初め、急速なデジタル化と郵便物の急激な減少を理由に、デンマーク国内での郵便配達を終了すると発表した。オンラインショッピングの普及に伴い、同社は1,500人の人員削減と同数の赤い郵便ポストの撤去を予定している。デンマークにおける郵便物の配達は、過去25年間で90%以上減少している。

 

既に撤去済みの赤い特徴的な郵便ポスト1,000個は、今月初めに売りに出されたところ、わずか3時間で完売した。状態の良いものは1個2,000デンマーククローネ(268ユーロ)、少し使い込まれたものは1個1,500デンマーククローネ(201ユーロ)で販売された。

 

PostNordはスウェーデン国内での郵便配達を継続し、未使用のデンマーク切手については限定的な払い戻しを行いますが、デンマーク国内の郵便サービスは民間企業のDaoに引き継がれます。Daoは1月から事業を拡大する予定です。これは、デンマークの法律により郵便の選択肢が維持されることが義務付けられているためです。

DW記事より

ジョージア(グルジア)とアルメニアの言語地図がSNS(Xだったか?ソースはReddit、それを引用)で見かけた。ジョージアに滞在中の方だったかも、Batumiでトルコ語地区がある云々の投稿だったと思う。それは15世紀にオスマン帝国支配下になり19世紀末の露土戦争でロシア帝国配下になったことが影響しているのだろう。(コメントにYouTubeの映像リンクを貼ってあります。)
この両国、10年ほど前になるが現地踏査と称して各地に赴いたことがある、ジョージアの東部を除いて。



この言語地図を見ると、現在の未承認国家や紛争の火種となった民族の配置がよくわかる。また、認識していなかったSvanやMingrelian言語が見られる。それらはこの地域の歴史に由来する。
前述のBatumiは、ジョージア国内のアジャリア自治共和国Autonomous Republic of Adjaraの首都、ジョージア第二の都市である。住民の8割が民族籍をカルトヴェリ人Kartvelian (グルジア人)やその支族(ミングレル人、ラズ人、スヴァン人に分類され、この地方のグルジア人の多くがアジャール人と呼ばれるイスラム教スンナ派を信仰するカルトヴェリ(グルジア)系の民族グループである。地図にはグルジア語話者との分類だが宗教が異なる。
ナゴルノカラバフは白地になっているが、as for 2024なれど配慮が伺われる。ジョージアの中にもアルメニア系居住地がある。ジョージア南部はアルメニア系のようだ。その他、ジョージア内のアルメニア系はギュムリからトルコ国境沿いに北上したアハルカルキ/アハルツィヒ辺り、そこから東進するとボルジョミ渓谷へとなる。アルメニア内のクルド系(Yazidis)は認識してしていたがジョージア内にも存在する。
ジョージア国境に近いアルメニア北部にはアゼリ族の居住地があったがソ連邦崩壊とナゴルノカラバフ紛争(第一次)により出国しアルメニア領内には殆んど残っていないが、ジョージア南東部にはアゼリ系が居住している。
その他、アルメニア北部にギリシャ系とロシア系の居住地がある。ロシア系はモロカンと呼ばれるロシア正教異端のコミュニティで、18世紀後半にセヴァンとトルコのAmasyaへ移住したセヴァン地区の子孫。エレバンでも彼らはよく見かけた。Svanはコーカサス言語族の一つでジョージア北西部の山岳部のSvan族の言語、Minglerianはジョージア西部及びアブハジアの言語で民族的にはMingreliansとなる。何もジョージア語と混成して使われている。
ギリシャ系はアナトリア北東部を起源とするPontic Greeksと呼ばれオスマン帝国の拡大とともに各地に広がっていった、その子孫である。
このように地図のとおり、コーカサス地域は地形とともに民族言語が複雑に入り組んでいる土地である。
2025/11/6付け、
東急バス五反田駅行き、渋72、渋谷駅東口19:10始発が来ない。現在19:25。渋71洗足駅行きはすんなり出発済み。
今日はアップルストア渋谷の周りくどい対応と言い、出来んなら最初から言えよ。新機種とかiCloud増量とか言わんと。運が↓向き、
バス、満席程度に並んでいるのですが、東急バスよ、どうなの?
 
渋谷駅東口、ヒカリエ前、東急バス渋72来ず。結局、バスが来たのは洗足駅行きが2台来た後の約40分遅れの19:50ごろ。
運転手の遅延説明は交通渋滞、もう少し具体的に、ボトルネックが知りたかったのだが、、、。よく乗っているバスだがこんな遅延は初でした。そして後を見ると、次のバスが後ろを走っていた。
 
10数年前にリトアニアのビリニュスに滞在した時、バス停で運行状況が路線ごとに表示されていた。次のバスまでの待ち時間が不明なのは不便、あれば便利。後で気が付いたが、スマホで検索すればバスの場所がわかったのだが、始発なので直ぐに来るとの思い込みが邪魔して判断の遅れに繋がった、結果として。

 

 

 
 

スタリ・モストStari Most / Стари мостは

ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタル旧市街、ネレトヴァ川に架かる16世紀、オスマン帝国スレイマン1世の命により建造された石橋(全幅 4.49m、全長30m、水面からの高さ24m)。モスタルの名にもなっているこの石橋がボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争(1992-1995)中の1993年11月9日、クロアチア人勢力により破壊された(2004年6月23日に復旧)。
旧ユーゴスラビア解体に伴う各紛争は非常に複雑でなかなか平易に説明ができないが、スタリ・モストはその渦中で破壊されたので触れておく。


1989年の東欧民主化で東側諸国に民主化が広がり、社会主義政権が相次ぎ崩壊した。ユーゴスラビアにおいてもユーゴスラビア共産党による一党独裁を廃止して自由選挙を行うことを決定し、構成する連邦各国ではチトー時代の体制からの脱却を開始し、ユーゴスラビア解体が進展した。


1991年6月、クロアチアの独立宣言をきっかけに、クロアチア警察軍とユーゴスラビア連邦軍との間で武力衝突が勃発した(クロアチア紛争)。これを受けてセルビア人は自治区を設立して独立の動きに対抗しようとしたが、ボシュニャク人(ムスリム人)が主導権を持つボスニア・ヘルツェゴビナ政府はセルビア自治区を認めなかったため、両者間での武力衝突が生じるようになった。


1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言。当時、同国には約430万人が住んでいたが、44%がボシュニャク人(ムスリム人)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人と異なる民族が混在していた。ボシュニャク人とクロアチア人がボスニア・ヘルツェゴビナの独立を推進したのに対し、セルビア人は分離を目指した。


1993年春、ボシュニャク人勢力とクロアチア人勢力の間での対立が深まり、クロアチア人勢力は同年8月にヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国(1991-1996)の樹立を宣言した。クロアチア人勢力はセルビア人勢力と同盟を結びモスタルなどでは、ボシュニャク人勢力とクロアチア人勢力の間で激しい戦闘が開始された。


 モスタルは東西に分断され、西側はクロアチア勢力が、東側はボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の勢力それぞれ支配することになった。1993年11月8日には両勢力の対峙により、クロアチア勢力側によりスタリ・モストは破壊された。


ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争は1994年に入り米国が介入、NATOがセルビア人勢力へ空爆を行った。


1995年、NATOが攻勢をかけセルビア人勢力はクロアチア方面で敗退しただけでなくボシュニャク人勢力からの反撃にも対抗できなかった。この情勢によりセルビア人勢力も和平交渉への参加を決定し、10月13日に停戦が実現して戦闘が終結した。

ベルギーと言えばチョコレートなのだが、歴史があるようだ。
 
16世紀から17世紀前半までは、ベルギーの大半はスペイン領でした。スペイン人エルナン・コルテスがメソアメリカからカカオを持ち帰り、献上したのが時のスペイン王・カルロス1世です。カルロス1世は、ベルギーの古都・ゲント生まれ、そのため、スペインの修道院かとの繋がりでベルギーにもカカオが伝わり、1635年には最初と思われるカカオの記録が残されている。イタリアやフランスなどと同じく、ベルギーにもカカオが伝わっていた。
 
ベルギーのチョコレート産業が大きく発展したのは、1885年に国王レオポルド2世が、アフリカ・コンゴを植民地としてカカオ生産を始めてからです。スイスのチョコレート製造技術を導入し、ベルギーでチョコレートの生産が増大した。
 
それに先んじて、1857年にスイスからやってきたジャン・ノイハウスはブリュッセルで薬局とお菓子屋を始め、ビターチョコレートを作りました。その孫が1912年に世界で初めて、クリームやナッツのペーストをチョコレートで包むボンボンショコラを発明、これが一躍ベルギーチョコレートを世界的に有名にしたのです。
とのこと、明治製菓HPを参考に。

 

 

 

 

 

 

初めて海外へ行った1983年2月だった、ロンドンに着いて数日後にビクトリア駅から夜行鉄道でFolkstoneへ、そこからドーバー海峡をフェリーで渡り(乗車したままだったか?)、ベルギーのOstendeに早朝着き、鉄道ですぐ近くのブルージュ駅迄行き、駅から旧市街まで歩いた。そして、真冬で水面は凍っていたが写真のような美しい街が視野に入ってきた、感動の連続だった。

後に、1985年に写真のような夏季のブルージュを観たくて再訪した。

なのにヨーロッパとは縁のない仕事に就いてしまった、だが、ソ連邦崩壊により旧ソ連邦構成国やブロック圏だった東欧諸国とはその後縁ができた。



チュルク系言語ツリー、専門的な言語ツリーなのか判断できないが、馴染み(名前のみ)のある言語が目に付き、興味深い。
中央アジア諸国はチュルク系言語が多くで、一部の国で耳にしていた「トルコ語とほとんど同じで通じる」という言語がOghuz語群にまとまっている、アゼルバイジャン語、トルクメニスタン語がトルコ語と同じ語群に属しているからなのだろうと。モルドバのガガウズ語も同じ語群、オスマン帝国からの移民だったのだろうかと想像。
他方、中央アジアのカザフ語、キルギス語、カラカルパク語、タタール語などがKipchak語群に属する。ウズベク語はウイグル語と同じKarluk語群に属している。タジク語はペルシャ語系なので別扱い。
FB Eurasian Bookshelf出所.