この考え方は恐ろしい。
パッと字面だけ見て
この考え方のどこが恐ろしいのか
疑問に思う人もいるだろうが
ポイントは是非を判断する人にある。
物事の是非を判断するのは誰か?
未成年の場合は
保護者が判断してくれる場合もあるが
成人の場合はほとんどが自分自身だろう。
何かが発生する度に
神様や仏様がその都度出現して
「それはあなたが正しい」とか
「今回はあなたが間違っている」などと
教えてくれるなら
自分自身の判断は
100%正しいと確信を持つことも
できそうだが、そういう訳にもいかない。
私も含めて、この事実をわかっていない、
もしくはわかっているが認めることが
できていない人が多いように感じる。
生身の人間である自分自身が
いつも正しい判断ができると
断言できるだろうか?
コンディションが良い日もあれば
悪い日もある中で、常に正しいことを
選別し続けられるだろうか?
もっというと
そもそも、その判断は
どこに基準を置いたうえでの
是非なのか?
数日前、外食先でこんなやり取りを目撃した。
子供「もうお腹いっぱい〜」
母「残さず食べなさい」
子供「え〜、もう食べれないよ」
母「ダメ、出されたものは食べなさい」
子供「持って帰ったらダメ?」
母「ダメ、どうせ食べないでしょう?」
遠目ではあるが、子供は本当に
辛そうにしていて、食事を残すのは
良くないことだとわかっていても
本当にそれ以上食べれない様子だった。
母「みんな待ってるんだから早く食べて」
子供「・・・」
母「口に入れてしまいなさい!」
子供「(無理やり口に入れる)」
次の瞬間、
その子の口からそれまで食べた物を含む
嘔吐物が吹き出した。
幸い、吐いたらすっきりしたようで
大事には至らない様子だったのだが
帰り道、この出来事を振り返りながら
なぜあのような状況になってしまったのか
考えていた。
無理に食べさせた母がいけないのか?
一概にそうとは言えない。
食べ物を粗末にしない。
出された物は全部食べる。
これらは、誰がどう聞いても
正しいことと言っていい。
しかし、正しさを大切にしすぎるあまり
元々の食事の目的だったであろう
健康・子供の成長・家族団欒からは
程遠い結果を招いてしまった。
事実、子供が嘔吐したあと
夫婦喧嘩が開始された。
実は、このような
一般的にいう正しさを
重要視しすぎた為に
様々な問題に発展するケースは多い。

ネット上の誹謗中傷や
少し前、話題になった煽り運転などは
わかりやすく加害者側の正しさを
激しく主張した結果だろう。
正しいことをするのが
良くないと言いたい訳ではなく
何かを激しく主張する前に
こういう自問自答を
習慣化するのはどうだろう?
「自分の主張は未来永劫、
万人が正しいと思うか?」
「何を基準に置いた是非なのか?」
もし、感情的になり
こういう自問自答ができない状態なら
もはやそれは、正しさを
主張しているように見せかけた
暴力と言っても過言ではない。
とはいえ、私自身も
思い当たる節があり過ぎるほどあるので
自戒の念も込めて
このテーマについて書いてみた。