ヘブル書には

イエスキリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられる、とある。


イエスキリストが私の罪のために十字架にかかり、死んで葬られ、3日目によみがえられた事を信じて、私は救われた。

今もイエス様の働きは、仲介者となってとりなし続けて下さるのだから、そこに信頼しようとみことばを受け取った。


その後、決断した事を人に伝える時、イエス様のとりなしを信じて、

「うまく話せるように」ではなく

「示された事を話せるように」と祈りが変わり、意識が変えられた。


あれこれ考え、自分で結論を出してから、ではなく、示されていることをあらわすと、そこに神さまが働かれた。

自分の計画ではなく神さまが導いて下さった。

それは、私の考えよりもはるかに素晴らしいものだった。


うまく伝わったかと、考える必要はない。

イエス様のとりなしに信頼し、委ねる。

こうして今、苦手意識を乗り越え、神に頼って伝える事が始まっている。


相変わらず「うまく」はならないが、それでいいのだとも受け取った。

素晴らしいのは主、その働きを味わえたことに感謝!