ふつつかなきねづか・工藤咲良 詩・エッセイ 日本語/한국어 救いとなることばだけをつづる。読む人にも、書く人にも。
しんどくていくら薬を飲んでも利かない日どうしても考えてしまう私を助けられる人は誰もいないと私の苦しみは誰にも分らないとそんなことはないといくら自分に言い聞かせても拭い去ることの出来ない疑いと失望人間は弱いものだ苦しみのただ中では何も信じられなくなるかつて確信したことも抱いた希望も泡のように心から消え去るでもそれが人間なのだ弱い存在であることをあえて選んだ人はいない誰もみな強くあろうと賢くあろうと心優しくあろうと頑張っているでも病が襲う時人は知る自分の力で自分を強くすることなど出来ないということをそれを知った時人の心はやわらかくなる強くあろうとすることを諦めるからそれでいいのだそれこそが自分に正直になるということ本音で生きるということ誠実であるということ誠実な人は腰の低い人を裁かない器のおおきな人間だ書籍のご購入はこちら
ペーパーバック書籍「うつ病は幸せになるためにやって来る」の内容を増やし、書店に並べることの出来るソフトカバー書籍として出版する夢を抱いています。書き下ろしの詩や文章の一部をご紹介してゆきます。うつ病を患っている人は何を感じているのかもし、うつ病の疑似体験が出来たなら、当事者の置かれている状況が、より正確に周囲の人に伝わるのではないかと思いました。そうすれば、より的確な対応が可能になるかも知れません。しかし、疑似体験には限界があります。なぜなら、たとえ抑うつ気分を感じてみることが出来たとしても、それが毎日、何度も襲ってくる苦しみは、病気になってはじめて体験するものだからです。抑うつ気分の感じ方は一人一人異なります。しかし、抑うつ気分がもたらす症状には、いくつかの共通点があります。代表的な症状は「動けない」というものです。しんどくて起きられない、食事がとれない、風呂に入る気力が起きない、外に出られないなどです。なぜ、そうなってしまうのか。うつ病を経験したことのない人にはなかなか分からないかもしれません。そこで、抑うつ気分、いわゆる「うつの波」とはどういうものなのか、詩の形でここに綴ってみることにしました。これはあくまでも私の感じ方ですが、典型的なうつ病のエッセンスが含まれていると思います。うつ病とはどういう状態なのか、少しでも分かって頂ければ幸いです。詩 「うつの波」が来るそいつは全身に巻きついて動きを奪う太い腕みたいだ胸の真ん中から生え出て枝分かれしながら伸び頭と胴体と四肢を縛り上げてゆく目に見えない腕喉の奥から突き上げてくる無力感と絶望身を染める孤独周りの景色は波打って膨れ上がりとてつもなくおおきくなるまるで水の中にいるかのように音が遠のく自分の体が果てしなく小さくなってゆくやがて蒸発し周りの空気に溶けて消えそうだ力が出ない起き上がる力も動く力も息をする力さえ一度こうなったら出来ることはただ一つ薬のある場所まで這ってゆきそれを飲み下すそして毛布をかぶり眠りが訪れるのを待つ詩 「うつの波」が心をむしばむたまにやって来るだけならそれほどに心がむしばまれることはないかも知れないしかしうつの波は繰り返し押しよせて来る来る日も来る日も体と心を縛り上げるやがて人は苦しみと闘うことに疲れ果てる疲れ果てても苦しみはやって来る逃れることの出来ない波が心と体をむしばんでゆく考えてみてほしいこの状況で食事の支度が出来るだろうか気分転換が出来るだろうか瞑想が出来るだろうか運動が出来るだろうか唯一出来ることは休むことだすべての義務から解放されて罪悪感も焦る気持ちも忘れて眠ることだ詩 「うつの波」が静まる日必ずうつの波から解放される日が来る何年もかけて少しずつ波が来る頻度は減る波のことを忘れて過ごせる日々が増えてゆく美味しいものが食べたいどこかへ出かけたい何年も忘れていた気持ちが心に戻って来るある日波が完全に静まる日が来るいくら待ってももう波はやって来ない心の底が揺らぐことのない大地になるからだ水面にさざなみが立っても大波は生まれることがないその時、人は忘れていた幸せを思い出す生きている喜びを噛みしめるうつ病が終わる日それは必ず訪れる
先日の「ライアーの夕べ」では、30人ほどの方々にご参加頂き、あたたかなひと時を分かち合うことが出来ました。雨の中はるばるいらしてくださった方々、素晴らしい歌声を聴かせてくださった後藤田慈さん、本当にどうもありがとうございました。皆さまの応援と祝福に包まれ、幸せをかみしめて います。次回のライアーコンサートは7月30日(日)15時~、都営大江戸線&ゆりかもめの「汐留」駅直結の「汐留ホール」で行います。日仏文化協会の1階です。以下ご案内です。ーー☆ーーーーーーーーーー二人のシュタイナー音楽療法士によるライアーとうたのコンサート。二台のライアーによる即興演奏や後藤田慈(うた)工藤咲良(ライアー)によるアンサンブル、アカペラの二重唱、楽しいお話も交えながらお届け致します。ご参加のお申し込みはこちらのお問い合わせフォームよりお名前と参加人数をお知らせください。お手数をお掛け致しますが、前回同様、当日封筒に参加費3,500円を入れお名前をご記入の上、お持ちください。コンサート前の受付簡略化のため何卒ご理解ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。後藤田慈さんはドイツに在住されています。この次はいつ帰国出来るか分からないとのことで、急きょコンサートを企画しました。この機会にたくさんの方々に慈さんの美しい歌声を聴いて頂ければ幸いです。皆さまのご参加を心よりお待ち申し上げます。汐留ホール、とても素敵なホールです!
「うつ病は幸せになるためにやって来る」。ようやく紙の書籍として販売開始されました! 実際に手に取ってみたら薄くて軽い本でしたが、内容は読みごたえがあると思います。17年うつ病を患い、現在も闘っている著者から、同じ境遇にある方々とそのご家族ご友人へのメッセージです。「うつ病は幸せに向かうのだよ……」というメッセージ。本を読むことが難しい方でも、気軽に手に取って頂ける厚さだと思います。プレゼントにも最適です。ぜひご活用ください。著者工藤咲良よりご購入はこちら→ Amazonリンクこちらは仮印刷のためグレーのラベルが付いていますが実際は付いていません。
Photo by Volffi私、2冊目の本を書こうと思います。今度はフォトブックです。文章は1ページに1、2行だけ。前回の本「静寂なほど人生は美しい」の写真を撮ってくれた韓国の写真家の友人Volffiが1年ほどかけて写真撮影とデザインをし、日本語版と韓国語版を自費出版します。病気や事故の後遺症により障害を持って生きる道を歩み始めた人。障害のあるお子さんを授かったご両親。そんな人たちへのエールとなるような一冊にしたいと思います。私の言葉だけではなく、病気や障害とともに勇敢に生きてきた友人たち、それを助けて来られたお医者さん、臨床心理士さんからもアイデアをもらって、きれいごとや慰めではなく、みんなのリアルなパワーがぎゅっと詰まった本にしたいと思っています。そのためにFacebookグループを作りました。失うことでしか得られないものは何? | Facebook健康や成功にばかり価値が置かれるこの社会。でも病気や障害とともに生きてこそ培われる「何か」がある。それは人間にとって一番大切なものであり、人類の行く末を左右するくらい重要な要素です。その「何か」についての本を書きたいと思います。...www.facebook.comテーマは「健康を失うことでしか得られないもの」(仮)。実績や成功ばかりに価値が置かれるこの社会。でも、自分の無力さが身に沁みて分かり、それを受け止めた人だけが心に培うことの出来るものがある。それこそが、人間にとって一番大切なものであり、人類の未来を切り開く鍵なのだと、私は思います。このグループの目標は本を作ることだけではありません。ここでつながった人たちの中から、たくさんの善きアイデアと実践が生まれることを願っています。一番弱い立場に立たされている人が見ている景色を、いっしょに見ることの出来る方々のご参加をお待ちしています。この本は韓国語での出版も考えているので、日本語のできる韓国人のお友だちにもお声かけをしています。여러분 진심으로 환영합니다! 일본어도 한국어도 상관없으니까 꼭 글을 남겨주세요^^#フォトブック作成#障害#後遺症#心の病#精神科医#臨床心理士#韓国の写真家#エール#みんなのパワー`#한국어#Volffi
善い道を通ってやって来なかったお金と、善い行き先を持たないお金は、たとえ悪いことに使われなかったとしても、持ち主のオーラから輝きを奪います。なぜ、そう言えるのか。残念ながら、たくさんの実例を目の当たりにして来たからです。「善い」とは何でしょう 。人間の良心は、それをちゃんと知っています。すべての言い訳と、誰々が言っていることと、「ふつう」という基準を捨てれば、良心の声が聞こえてきます。良心に反して懐に収めたお金で裕福になると、周りの人の心と身体に、うっかり傷を負わせることがあります。お金によって負った傷は、なかなか癒えません。なぜ、そう言えるのか。残念ながら、私も傷を負った人間だからです。気前の良い心で寄付をしたお金は、受け取った者にとって、一生の宝となります。その思い出は、困難に直面しても自分の価値を見失わずに生きてゆくことが出来る、大きな力となります。なぜ、そう言えるのか。幸福なことに、私はたくさんの奨学金をもらった人間だからです。お金も、働いてお金を稼ぐことが出来る健康な身体も、粘り強さも、手の技も、賢さも、すべて天から与えられた贈り物だからです。決してみんなに平等に与えられるわけではない、貴重な贈り物です。そう、「努力できる」という才能も、実は贈り物なのです。山に降った恵みの雨は、岩の間から真っ白なしぶきをあげて流れ出し、集まって清い流れとなり、やがて河となって大地を潤します。もし、山が水を注ぎ出すことを拒んだら、どうなるでしょう。地滑りが起き、村々が流され、大変な被害をもたらします。それと、同じことです。
告白すると、どこかで分かれ道があったような気がするのです。「うつ病になったのは偶然の不幸」とは言い切れない自分がいます。健康で生きるか、病と生きるか。人生の分岐点に立った時、病を選んだバカ正直でクソ真面目な音楽療法士の自分がいたような気がするのです。そいつが呟いた言葉を覚えています。「人を治療するだなんておこがましいことをぬかすな。」「クライアントに寄り添うだって? 同じ立場で同じ苦しみを噛み締めたこともないくせに何を言う。」「先生と呼ばれていい気になってる井の中の蛙にだけはなるもんか。」病を背負って歩む者として、病の中にある人の友となり、力になりたい。私はそう思いました。その時、目に浮かんでいたのは、寒くて臭くて汚い馬小屋で生まれ、十字架に釘打たれて死んだイエスキリストの生々しい生き様でした。捕まる前の夜、弟子たち一人一人の足を洗って拭ったキリストの姿。襲ってくる病を上手に避けて通る道が、なくはなかったのかも知れません。ちょっとズルくなれば、神さまではなく、自分中心の選択をすれば、そっちへ行けたのかも知れない……でも、私にはそれが出来なかった。もしそちらへ行ったら、私が私ではなくなってしまうような気がしたのです。負け惜しみ? 自己正当化? 言い訳?そうかも知れない……そうかも知れないけれど、本当はただ、車輪の下に引きずり込まれてしまった弱っちい奴なだけなのかも知れないけれど……でも今、私はこの道を選んで良かったと心から思っています。今歩いている道が「私の道」だと、100パーセント言うことが出来る。結んでいる実が一見小粒でも、その一つ一つを私は誇りに思っています。さまよったことはあります。でも、自分自身に嘘をついたことは一度もありません。自分に嘘をつくことは、私が一番愛するイエスさまに嘘をつくことだからです。
誰でも、自分が関心を持ち、勉強し、実践していることには熱意があります。愛情もあります。それが○○療法にしろ、○○教育にしろ、○○の法則にしろ、同じです。これは、とても自然なことです。でも、その○○療法が「誰にとっても良いもの」だと考えるならば、それは錯覚です。人にはそれぞれ、合うもの合わないものがあり、好きなもの嫌いなものがあります。一つのことに長年関わっていると、この事実を忘れがちです。「○○療法の良さをもっとみんなに知ってもらいたい」「もっと広めたい」…… この気持ちが行き過ぎると、宗教の勧誘と同じになってしまいます。音楽療法を受けるか受けないか。たとえ、医師からの処方だったとしても、その選択権はクライアントにあります。「やりたい」という本人の意志と好意無しに、音楽療法はまず効きません。問題は、クライアントにとって「断ることが難しい」状況です。病院や介護施設、デイサービス等で行われるレクリエーション、慰問コンサート、音楽療法。医師や看護師に勧められ、病棟の他の患者はみな参加しているのに、「私は参加しません」と言うのは勇気の要ることです。「せっかく企画してくれたのに。せっかく慰問に来てくれたのに。」という、断っては申し訳ないような気持ちも湧くでしょう。でも、気が進まないのならば断わることが大事だと、私は考えます。スタッフ側にも「断る」という選択肢を快く受け入れる体制が必要です。また、「その日、その時の気分」というものもあります。決して音楽が嫌いではなくても、「今は静かにしていたい」という時があります。患者さん利用者さんのためのプログラムであるならば、最も尊重されるべきはその方のその時の気持ちです。私はうつ病で、精神病院に何度も長期間入院しました。幸い、担当医が理解のある人で、「作業療法の参加は任意」とカルテに書いてくれたので、強制されることはありませんでしたが、「今日は参加しませんか?」というお誘いすら、しんどいことがありました。体調のすぐれない時、痛みのある時、苦しい時、人はとても敏感になります。苦しさと闘うだけで精一杯です。それ以上頑張って、我慢して何かをすることはとても出来ません。もちろん、音楽療法を楽しみに待っているクライアントもいます。病院で生の演奏、生の芸術に触れられることは、素晴らしいことです。楽器など触ったこともない人が、音楽療法士の助けを借りて、初めて楽器を手にし、音楽を奏でる喜びと出会い、他の人と一緒に演奏をする楽しさを知る。手足が動かず、微かな声を出すことしか出来なくても、音楽療法士のサポートにより、その微かな声から音楽が生まれ、豊かな響きとなる。それを通して自分自身の中に眠っていた音楽性に、芸術性に、生きる力と尊厳に気づく。こういう治療は、クライアントと療法士が同じ空間を共有してこそ、可能です。私は、音楽療法の力の大きさを知っています。ですから、現場で活動する療法士の方々を、いつも心の中で応援しています。一方で、現場に立つことが出来ない身体になってしまった以上、私はもう一つの道を開拓したいのです。それが、「音楽療法の届かない場所に届ける音楽」であり、「音楽療法のない日に聴くことの出来る音楽」です。前述のように、クライアントの体調と、病院の日程と、音楽療法士が訪ねてゆける時間がぴったり合うのは、なかなか難しいのが現実。だからこそ、病気の人も、特に病気ではない人も、心が音楽を求める時に、スマホを使えばいつでも聴ける温かな演奏を配信したいと思っています。ただ配信するだけではなく、演奏も音質も、可能な限り洗練されたものにしてゆきたい。これが私の目標です。
面会できない時にこそ必要な人のぬくもりそれを届けられるのが音楽ですいわゆるヒーリングミュージックなら、世の中に溢れています。でも、聴く人の心を癒すのは曲ではなく演奏だと私は思っています。演奏者の息づかいが伝わってくる静かで温かな音楽は、聴く人を慰め、孤独から救い、生きる力を与えます。ドイツのある病院では、コロナ病棟でも音楽療法士が患者さんの傍らで演奏をします。生演奏による心のケアの重要性が認知されているからです。しかし、厳重な感染対策を必要とする病院や施設で音楽療法を行うのは、なかなか難しいのが現実。それならば、生演奏にはかなわなくても、可能な限りそれに近い「演奏による癒し」をオンラインで届けられないだろうか。そんな夢を実現するために昨年立ち上げたコミュニティは現在22人のメンバーに支えられ、着実に成長を遂げています。ライアー演奏ライブを毎週メンバー限定で配信しています。皆さんからのフィードバックを頼りに改善を重ね、生演奏に近い響きでの配信に成功しました。この試みをたくさんの方々に知っていただくために、今回はそのライブ配信を特別一般公開します。「演奏」の癒しの力をぜひ体験してみてください。12月18日(日)19時~20時YouTubeチャンネルにてライブ配信その後一週間アーカイブにてご視聴いただけます。ライアー演奏、タオライアー即興演奏、うた、お話:工藤咲良参加方法:YouTubeチャンネル「音楽療法士くどうさくらの演奏とお話」にてライブ配信 直接リンクはこちら※イベントに関するお知らせはチャンネルに投稿致しますので視聴ご希望の方はチャンネル登録をお願いします。参加費:無料(投げ銭歓迎。投げ銭の方法はライブ終了後にお知らせします。)
今日ご紹介する詩は、私の友だちゆうちゃん(仮名)に書いたものです。詩を送った後、ゆうちゃんが素敵なボイスメッセージを送ってくれました。実際にどんな声を聴いて、詩が生まれ、そこから音楽が生まれ、朗読と合わさって動画が作られるのか、具体的に感じ取って頂けると思います。ゆうちゃん(仮名) 30代 女性私が送った詩詩のイメージから作曲しピアノで演奏した曲をBGMに私が朗読した動画ゆうちゃんからの感想(ボイスメッセージ)ゆうちゃん、本当に勇気づけられました。どうもありがとう!声リーディングは一人一回だけのものだと勝手に思っていたけれど、言われてみれば、その人の永遠に変わることのない「本質」と同時に、「今のその人の状態、姿」も聴きとっているわけで、それを詩という形で言葉にしてもらうことは、生活の後押しや励ましにもなるんだ、と気づきました。その人が「生きてゆく力」を取り戻すきっかけを作ることができたなら、こんなに嬉しいことはありません。そして、「他の人の声に対して書かれた詩」を読んだり聴いたりすることも、もしかしたら、素晴らしいことなのかも知れないと思いました。日常生活の中で、人はどうしてもお互いを理解できなかったり、相手をゆるせなかったりすることがあります。それは、自然なこと。でも、声リーディングを通して、自分や相手の尊い姿や、可愛らしさ、愛おしさ、そしてどうすることもできない弱さや恐怖心、抑えた気持ちに目を向けることができたら、お互いをゆるし合うことができるかも知れない……そんなことを考えました。詳しくはこちら。くどうさくらのホームページにて↓声リーディング | 工藤咲良(くどうさくら)のホームページ (sugaonomamade.com)ライン公式アカウントを友だち追加頂くと声リーディングで作った詩の朗読動画(ライアー演奏つき)や公募情報をお届けいたします。友だち追加はこちら↓LINE Add Friendlin.ee
私は弱視で人の顔や表情が見えない分、声を聞くと、その人がどんな人か、だいたい分かります。例えば、その人がどれくらい自分の声を「作っているか(意識的であっても無意識であっても)」も分かります。だから私は今まで、詐欺に遭ったり、信頼していた人から裏切られたりしたことがありません。たぶんこれは、身を守るために自然に身についた能力です。これを、良い形で人の役に立てられないかなぁ、と考えていて思いついたのが「声リーディング」です。実際には、1分程度の話し声をラインのボイスメッセージで送ってもらい、そこから聴きとった「あなたらしさ」を私が詩に書き、写真を入れてデザインしてお届けするという方法で行います。実際にある方にお送りした詩です。続いて詩のイメージから私が作曲しライアーで演奏した曲をBGMに詩を朗読した動画です。これができるのは、生まれつき弱視であるというだけでなく、私が音楽療法を実践する中で培って来た能力でもあります。自分では気づいていない素敵なところ、なかなか人に分かってもらえない本来の姿を、声によって認識してもらい、言葉にしてもらうことで、その人が力を得ることができたらいいな、という想いでやってみることにしました。私が聞き取るのは、「性格」とは少し違います。人が生まれながらにして携えている「その人らしさ」です。アントロポゾフィー(シュタイナーの思想)では、これを「精神」や「自我」といいます。「精神」は、決して病気になることも汚れることもない、健全で崇高な存在です。重い障害をもって生まれた子供も、心を病んでしまった人も、脳の病気になってしまった人も、精神は健康です。アントロポゾフィーの教育(シュタイナー教育)、特殊教育、医学等はすべて、この認識を前提に実践されています。つまり、良い声も悪い声もありません。人と比較できるものでもありません。発声法を改善すればより良い声になる、という意味での「耳に聞える声」ではありません。一人一人ちがった「精神」の色合い、輝きがあり、それが声に現れるのです。ですから、悩み相談やアドヴァイスはしません。もちろん、悩んでいることについて話してくださった場合は、詩の中に、お話してくださった内容が盛り込まれるかも知れませんが、それは「答え」ではありません。詳しくはこちら。くどうさくらのホームページにて↓声リーディング | 工藤咲良(くどうさくら)のホームページ (sugaonomamade.com)ライン公式アカウントを友だち追加頂くと声リーディングで作った詩の朗読動画(ライアー演奏つき)や公募情報をお届けいたします。友だち追加はこちら↓LINE Add Friendlin.ee
コミュニティ開設からもうすぐ半年になります。現在20人のメンバーが、私の音楽活動を支援してくださっています。みなさん、本当に素敵な方々です。経済的な支援はもちろん、それ以上に、お一人お一人とのご縁が、私にとってかけがえのない支えとなっています。深く感謝申し上げます。今日は、この半年、私が受け取った数々の奇跡についてお話したいと思います。今、うつ病と闘っている方、社会復帰を目指している方、新しい働き方を模索している方々に、勇気を持っていただけたら幸いです。「あなたは体が弱すぎる。」仕事を辞める話をした時、上司にそう言われました。私は深く頷きました。自分でもまったくその通りだと思ったからです。自分の力ではどうしようもないと、はっきり分かっていることは、指摘されても、あまり傷つかないものなのかも知れません。体が強ければ出来たはずの数々のことに対する執着は、すでに消えていました。音楽療法を教える仕事、またドイツへ行くこと、ライアーコンサートをすること、公開講座の講師を務めること、どれもこれも。正直に打ち明けます。それまで私にとって大きな喜びだったこれらの仕事が、うつ病のせいで、ただただ、重荷でしかなくなっていました。ひとつ仕事を終えると、疲れ果てて、自分が空っぽになってしまったかのような虚しさに襲われました。体と心が回復するまで、数日間、時には数週間、一日の大半を、体を丸めて毛布にくるまって過ごしました。苦しくて、悔しくて、悲しかった……こうなってしまった以上、もはや私は、職に就くことの出来ない役立たずな人間なのだと考えたこともあります。一生、障害者として年金の世話になりながら、細々と暮らしてゆく以外ないのかも知れない、と。せめて、視覚障害がなかったなら、まだ何かしらのチャンスがあったかも知れません。でも、視覚障害者で、精神障害の認定まで受けているような人間には、開かれた道などないような気がしました。こんな悶々とした日々の中で、奇跡のように湧き出して来た確信がありました。「私には芯の力がある。今まで培って来たものを工夫して活かせば、体が弱くても出来る仕事がきっとある。必ず、それを見つけてみせる。」この確信は、希望へとつながってゆきました。私は、考え方を180度変えて自問しました。今の私にでも無理なく出来ることは何か。それは、自宅で出来る仕事で、なおかつ、雇われてする仕事(ノルマや期限のある仕事)ではないこと。こう考えると、結論は一つ。自営業という道しかありませんでした。幸い、尽きることのないアイデアと実行力、粘り強さを、私は天から授かっています。これらの力をフル活動させて、私は自分の作品(文章、楽譜、演奏動画等)によって収入を得る試みを始めました。最初に手をかけたのがアフィリエイト、いわゆるブログの収益化です。結局、アフィリエイトではまったく稼ぐことが出来ませんでしたし、この方法は自分に合わないことが分かりました。でも、やってみてよかった。どういう記事が多くの人に読まれるのか、訪問者の推移を見てゆくと、いろいろな発見がありました。同時に、ライアー、ピアノ、ピアノ弾き語り等、自作の曲を含め、さまざまな演奏を撮影して編集し、YouTubeにアップしました。ここからも、多くのことを学びました。最後に辿り着いた答えは、「集客のため」にやることは、たとえ一時、多くの人が目を向けてくれたとしても一過性で、発展がないということ。それに対して「自分が楽しいからやること」は、大勢の関心を集めることはなかったとしても、必ずそこから「人との縁」が生まれる、ということでした。そんな時、ある音楽家の知り合いが、コミュニティというものの存在を教えてくれました。ずっと昔、演奏家は宮廷や貴族に雇われて演奏し、その代わりに養ってもらっていた。ある時から、彼らは独立し、自分の作品や演奏を売って生計を立ててゆくようになった。しかし、今、コロナで演奏活動が自由に出来ない状況下で、昔の形が復活しつつある。つまり、その演奏家の音楽を好む人々が集まり、みんなで継続的に演奏活動を支えるという形だというのです。大変興味深い話だと思いました。周りを見回してみると、確かに、私が何を書こうが、何を演奏しようが、必ず反応を返してくれる人たちが数人いました。大切な友人として、私を見守っていてくれる人たちでした。いざ、コミュニティを立ち上げた時に、最初にメンバーになってくれたのも、この人たちでした。コミュニティを開設したのが昨年の12月だったのですが、今年2月、突然に、私が住んでいたマンションのベランダの前で、古いアパートを解体する工事が始まりました。当時住んでいたマンションは19㎡のワンルーム。持ち物が少ない私だからこそ、なんとか生活出来てはいたものの、演奏動画を撮るのも一苦労。電子ピアノを机代わりにしてパソコン作業をしていました。この狭い場所で、朝から夕方まで工事の騒音に耐えるのは、容易ではありませんでした。もう引っ越しする以外、逃げ道はありませんでした。急きょ家を探し、3月半ばに今の家に引っ越して来ました。本当に、奇跡のように見つけたこのマンションは、30㎡の1DK。最上階の角部屋で、壁の下半分が板張りの物件の最後の一部屋でした。少し東京からは遠くなりましたが、生活するには何も不便の無い場所です。以前より1万5千円、家賃が高くなりました。ちょうど、みなさんが寄付してくださる毎月の合計金額が、1万5千円を少し超えたところでした。職のない私は、もしみなさんからの支援がなかったら、引っ越すことも出来なければ、騒音のせいで演奏も続けられなくなっていたことでしょう。引っ越して来たこの家には、まだまだ、たくさんの奇跡が隠されていました。壁と床に使われている木材が、ライアーの音をとても美しく響かせてくれるのです。窓ガラスは二重で、とても静かです。以前のように隣の迷惑にならないよう、控えめの音で弾く必要もありません。何よりも有難いのは、リビングの広い空間のおかげで、ライアーレッスンが可能になったことです。メンバーの中から希望者を募り、ライアーレッスンの様子を撮影し、編集してYouTubeにアップすることが出来るようになりました。今まで伝えることが難しかった私の演奏に対する想いを、リアルに伝えることが実現しました。仲間たちとのつながりと、存分に演奏が出来る心地よい空間のおかげで、私のうつ病は確実に癒されつつあります。1年前には想像すら出来なかった場所に、私は立っています。まだまだ、音楽で稼げているとは言えない状態ですが、私は焦っていません。必要な時に必要なものが必ず与えられるということを、この半年で体験したからです。コミュニティの素晴らしいところは、大切な仲間たちと親密なやり取りができることです。その関わり合いの中から、新しいアイデアが生まれます。これからも、大切に、このコミュニティを培ってゆきたいと思っています。みんなで音楽の喜びを分かち合い、その喜びの中から、たくさんの価値あるものが生まれてゆくコミュニティを目指して。最後に、今、毛布にくるまって一日の大半を過ごしている人たちへ。病のせいで仕事が出来なくなってしまった自分に絶望している人へ。もう一度社会の中で、自分の力を発揮して働きたいと願っている人へ。あなたが失ったもの、あなたが持っていないものの数を数えるのではなく、あなたが天から授かったものの数を数えてみてください。それを工夫して活かせば、必ず道は開かれてゆきます。大切な仲間たちと出会います。一歩一歩がゆっくりであっても、必ずものごとが動いてゆきます。あなたに出来ることは、あなたが知っているより、ずっと多いのです。あなたを大切に思ってくれる仲間たちは、あなた以上に、それをよく知っています。言い尽くせぬ感謝をこめてくどうさくらコミュニティページはこちら
心をゆさぶる、感動的な演奏をするために必要なものは何でしょう。「感情表現」という言葉を度々耳にします。「感情をこめて演奏する」ことが大切だと思っている人たちがたくさんいます。正直、私はそうではないと思っています。(中略)自分の心の中に湧き出るあらゆる感情、喜びも、ときめきも、悲しみも、悔しさも、憎しみも、後悔も、絶望さえも、勇敢に味わう力。決して分析したり、否定したりすることなく、ただありのままに噛みしめる勇気こそが、芸術家精神に欠かせないものだと私は思います。(中略)ハン・ガンという韓国人の作家が、私は大好きで、日本語でも原語でも、彼女の作品をよく読みます。光州事件の真相を描いた「少年が来る」という小説があります。さまざまな立場でこの事件を経験した登場人物たち(生き残った人も、犠牲となった人も含めて)に当時のことを回想させる形で、この本は書かれています。何一つ、包み隠すことなく想いのたけを語る登場人物たち。恐ろしいほどに生々しく読者の脳裏に立ち現れる当時の様子。(中略)生と死の境まで、人間の魂の痛みを追いかけてゆく彼女の勇敢さこそ、真の芸術家の姿であると、私は思います。彼女はアジア人として初めて、マン・ブッカー賞を受賞した作家です。記事の完全版はこちら完全版はCAMPFIREコミュニティメンバー限定公開となります。<完全版を限定公開にする理由>YouTubeにアップする演奏動画と同じように、ブログも一記事一記事、たくさんの力と時間を注いで書いています。どちらも「作品」であると認識しています。私は、広告収入というものがあまり好きではありません。自分が心の底から提供したいと思うものによってのみ、代価を頂きたいと思っています。CAMPFIREコミュニティメンバーの方々は、まだまだ未熟な私の音楽活動に心を寄せ、応援してくださる方々です。私は、この方々の応援無しに、活動を続けてゆくことが出来ません。もしも、私の文章に、価値のある何かを見出して頂ける方がいらっしゃいましたら、是非、コミュニティにご参加頂きたいという願いから、記事の完全版は限定公開とさせて頂いております。
2018年、日本で計13人のアントロポゾフィー音楽療法士が誕生しました。ベルリンの私の母校から3人の講師が来日し、日本の医師たちも同席して試験が行われました。試験に臨み、巣立って行った仲間たちは皆、真摯にクライアントに寄り添う温かな心と、力強いパイオニア精神を持った人たちです。彼女たちの卒業を機に、私は音楽療法士育成の仕事を辞めました。一番差し迫った要因は、うつ病でしたが、もし、それだけの理由だったら、またいつか音楽療法士として、また音楽療法を教える講師として働く道を残したかも知れません。しかし、私がこの仕事から完全に離れた本当の理由は、私の心がアントロポゾフィーから離れたからでした。もちろん、それまで約20年間、アントロポゾフィーと深く関わり、学び、実践して来たので、知識として人に伝えることは出来ます。深く考えずに、音楽療法のことや、楽器の奏法だけを教え続けるという道もあったかも知れません。でも、私は心の底から納得し、共感し、大切に思っていることしか、人に伝えることが出来ない性格です。少しでも自分の本当の気持ちに嘘をつくと、体がボロボロになってしまいます。決して私は、アントロポゾフィーの考え方が嫌いになったわけではありません。正しくないと思っているわけでもありません。ましてや、批判しようとはまったく思っていません。ただ単に、個人的ないくつかの体験によって、幼少期から持っていたキリスト教の信仰へ、教会へ、戻る決断をしただけです。どんな体験か。それは、心から尊敬する二人の伝道師との出会いでした。一人は韓国人、もう一人は朝鮮系中国人の伝道師です。(中略)東京のある教会で、私は彼女たちに出会いました。うつ病の症状が酷く、やっとやっと教会へ行った時、彼女たちは必ず、私の背に手を置き、あるいは手を握り、渾身の力を込めて祈ってくれました。「主よ、どうかこの僕を通して、この愛する姉妹を癒してください」と、文字通り、身が粉になってしまうのではないかと思うほどに、主の前に身を投げ出して、声を振り絞って、祈ってくれました。日々、朝から夜中まで祈り、聖書を読み、信仰を養っていなくては、とても出来ない祈りです。私は彼女たちの内に、神の愛を感じました。それは燃える炎のように熱く、凍り付いた私の心と体を溶かし、温めてくれました。人のために、こんなにも全身全霊を捧げて祈ることが出来る人たちがいる……彼女たちが歩いている道を、私も歩きたい。伝道師という形ではなくても。「自分の能力」ではなくて、「神さまの力」に完全に頼って、人に安らぎを与える者となりたい。そう、私は思いました。そして、もう一度教会へ戻ろう、信仰に戻ろう、と決意しました。(続く)記事の完全版はこちらCAMPFIREコミュニティメンバー限定公開記事になります。<完全版を限定公開にする理由>YouTubeにアップする演奏動画と同じように、ブログも一記事一記事、たくさんの力と時間を注いで書いています。どちらも「作品」であると認識しています。私は、広告収入というものがあまり好きではありません。自分が心の底から提供したいと思うものによってのみ、代価を頂きたいと思っています。CAMPFIREコミュニティメンバーの方々は、まだまだ未熟な私の音楽活動に心を寄せ、応援してくださる方々です。私は、この方々の応援無しに、活動を続けてゆくことが出来ません。もしも、私の文章に、価値のある何かを見出して頂ける方がいらっしゃいましたら、是非、コミュニティにご参加頂きたいという願いから、記事の完全版は限定公開とさせて頂いております。
以前、ベルリンの空港で、日本人観光客のグループが、列を作って並んでいるところに出くわしたことがあります。9時に出発するはずの飛行機が、10時を過ぎても出発しません。濃霧のためでした。1時間以上、誰一人不平を言わず、みんな、笑顔で談笑しています。隣にいたドイツ人の友人がそれを見て、ショックを受けていました。「ずっと立って待っているの、辛いだろうに。イライラするだろうに。なぜみんな、笑っているの?」「日本はそういう社会なの。怒ったって仕方ない状況では怒らない。」私は答えました。「でも、いつも正直な気持ちを抑えていたら、病気になるじゃない。」「まあね。家族とか、自分より弱い立場の人を叱って、ストレスを発散する人も時々いるけれど。」それぞれが自分の気持ちよりも「場の雰囲気」を優先するのは、悪いことばかりではありません。その正反対の社会、ドイツで暮らした6年間、「少しは周りの人のことを考えてよ。」と思うこともありました。でも、もう少し、悲しい時には誰の前でも遠慮なく泣き、腹が立つ時には、誰に対してであっても怒れる、そんな社会になったらよいと思います。なぜなら、自分の悲しみを表現できず、人の悲しみを受け止めることができない人間が、あまりにも多いと、私は感じるからです。このような環境では、人間が成熟しません。病気にならなくてもよい人が、心を病みます。抱えきれない苦しみを、独りで抱えなくてはならない孤独な人々が増えてゆきます。自分の前で、誰かが悲しんだり、苦しみを訴えたり、怒ったりした時、「上手にそれに対処」する必要は、無いのです。「上手な言葉で慰める、なだめる」必要も、無いのです。ただ、「そうか。自分には理解できないけれど、この人は苦しいのだ」と、認識するだけでよいのです。「どうしよう……」という、自分自身の戸惑いから逃げずに、堂々としていればよいのです。「そうか。私には理解できないけれど、悲しいのだね」と、正直に言ってもよい。多くの場合、相手が一番、求めているのは、アドヴァイスでも、上手な対処でも、勇気づける言葉でもなく、ただ、自分の気持ちを「認識してもらう」ことだからです。どんな場面でも、誰が誰に対してであっても、上司が部下に対してであっても、先生が生徒に対してであっても、サービスを提供する側がお客さんに対してであっても、こういうことができるようになればよいと思います。えっ? 逆ではないの?もちろん、逆もしかりです。でも、まず先に、感情を表現することが難しい立場にいる者が、素直な気持ちを表すことが大切です。もちろん、「自制の効いた程度で」。この国が、「優しい顔をした国」だけではなく、「心底、優しい国」になることを願って。
YouTubeにライアー演奏動画をアップし始めてから、かれこれもう6年以上経つのですが、チャンネル登録数が300人の手前で伸びず、再生回数も200回の手前で伸びず・・・ YouTubeで音楽チャンネルをされている方で、私と同じような悩みを抱えていらっしゃる方、いますか? とにかく似たようなチャンネルが多すぎて、コツコツやっていてもなかなか難しいですよね~ライアー演奏のチャンネルもどんどん増えていて、もうこれは、相当に独自性を出さないとダメだなぁ、と思い、音楽療法士だからこそできることとして、リラックス効果のある曲を、入眠効果やリフレッシュ効果など、目的に合わせて、ちゃんと根拠のある作曲をして、ライアーで演奏し、アップする試みを始めました。以前、音楽療法の現場でやっていたことですが、動画の場合、誰が見るか分からないので、人によって合うものと会わないものがあると思います。よろしかったら聴いてみてください。いくつか作りました。音楽療法士がクライエントさんのために作曲し、生演奏をすることに意味がある、というアントロポゾフィー音楽療法(シュタイナー音楽療法)のお話もしてみました。人に必要とされるような音楽ビデオを、必要とする人に届ける。これを目標に、これからもいろいろな試みをしてゆこうと思います。もし音楽を気に入って頂けたら、「いいね」とチャンネル登録、どうぞよろしくお願い致しますm(__)mくどうさくら