ブン。

不意に、雑音のような振動が脳内に響いて

「・・?」

思わずこめかみに手をやった。


「・・・」

何も、無い。 

「目眩・・?」

不快な雑音は一瞬で消え失せ、いつもどおりクリーンな視野と思考。


「・・、いや。違う」

普通なら、気のせいか、とやり過ごしそうな僅かな違和感だけど

自分はこの違和感に、覚えがあった。


一一一


「智くん」

「んー?」

「・・ちょっと、話があるんだけど」

「お。・・気づいた?」


俺の表情や声色で、何があったかすぐに察しがつく智くん。

やっぱり彼には敵わない。


「うん。多分、同じ症状だと思う」


研究用クローンという特性上、脳に特化して負荷をかけられている俺たち。

短命なのは全てのクローンに共通する宿命だが

研究用クローンは当然、脳から老化していく。


30代半ばという一般的には働き盛りの年齢で、すでに老化が始まっていることに

あらゆる生命・生態系分野の天才である智くんは、いち早く気付いていた。


「夕方くらいになると雑音がして、脳の操作がブレんだよ。

はじめは一瞬。だんだん増えてく」

「・・・」

「まともな研究するには、あと10年と持たないだろうな」



研究用クローンとして選抜されてからずっと

朝起きて眠るまで、頭脳をフル稼働で研究に没頭してきた。

「あと10年か・・」


覚悟していたし、受け入れてもいた。

与えられた任務は順調に遂行してきたし、結果も出している。

このまま思うように研究が出来なくなったとして、後悔はない。


なのに何故だろう。

言いようのない不安感が、心の隅にじわじわと根を張っていく。


誤差はあれ、クローンの寿命は大体一般人の半分くらい。

つまり、ほとんどのクローンは50歳を待たずに死を迎える。


あと少しで、俺も智くんも、ニノも

まだまだ元気で働き盛りの風間や雅紀、松本を置いて

この世から消えてしまうんだ。


「呆気ないね」

「そーゆうもんだろ」

「・・、だね」

「でもさ。ちょっと、調べて見ようと思ってんだ」

「へ?」

「何かあるかもしんないじゃん。解決策?みたいなやつ」

「・・・」

「まあ、期待すんなよ。

なんせココに来て、おいらほとんど成果ゼロだからな(笑)」

「ふは。確かに」

「ひでえ(笑)」


天才・大野博士の気まぐれな台詞で

不安に侵食されそうだった心に、ひとすじの希望の光が差したような気がした。


一一一


「だって、滝沢くんはもうすぐ火星に戻るだろ」


俺が何気なく言った台詞に松本が顔色を変える。

それが何でかめちゃくちゃ面白くない。


「・・なに。滝沢くんがいないとそんな嫌なわけ?」

「嫌ってわけじゃ」


台詞とは裏腹に、眉を寄せ、めちゃくちゃ嫌そうな顔で俯く松本。


長い睫毛が瞳に被って影を落とす

ぎゅっと眉を寄せたその表情すら、溜息が出るほど美しかった。


「・・お前には智くんがいるだろ」

思わず心の声が口をついて

「?・・どういう意味ですか?」

俯いていた松本が顔を上げて、真っ直ぐに俺を捉える。


「・・なあ、それ」

質問には答えず、

無意識に伸ばした俺の手を避けるように、松本がぎゅっと目を閉じて

思わず手が止まる。


あの日、触れることが出来なかった長い睫毛。

息がかかるほど近くに顔を寄せて、まじまじと見つめていたら


キスしたい


いきなり思いもよらない単語が頭を掠めてギョッとした。

一一馬鹿か、何考えてる

コイツは智くんの。


行き場を失った手がそのまま、長い睫毛に触れる。

・・長っ。

「なんでこんな長いの?」

造りものかと思うほど長いのに、そうじゃない。

されるがままの松本が、擽ったそうにびくんと身を捩る。

細かく震える睫毛と

紅いくちびる。


今なら

誰も見ていない


このままキスしたい。


心の声が煩い。

これまで誰かにそんな欲求を感じたことはなく

初めて湧き上がる衝動に激しく動揺していた。


松本が目を閉じてるのをいいことに、

おそるおそるその紅い唇に自分のそれを近づけて

そのまま頬を指で撫でようとして

「・・ッ、」

ギリギリのところでやっとその手を離す。


「・・博士?」

少し目を潤ませた松本が、頬を赤らめて俺を見る。


へんなやつ。

そう思っているだろうな。

「勝手に触ってごめん」

「別にいいですけど・・」

恥ずかしそうに俯くから、長い睫毛がふたたびその瞳に影を落として


「綺麗だな」

「・・は?」


潤んだ瞳と濡れた睫毛が俺を見つめて

不思議そうに揺れる。


飾ることのない、そのままの、持って生まれた松本の美しさ。

人工的に造られたクローンやヒューマノイドとは何もかもが違う。



・・馬鹿だな

なに血迷ってんだ。


逃げるように松本を残してその場を後にし、自分の部屋に戻る。


だけどひとりになっても、全然動悸が収まらなくて

さっき触れた柔らかな睫毛の感触も

俺を見つめる潤んだ瞳も

思わずキスをしそうになった、目を閉じた松本の顔も


なにひとつ頭から離れなくて

その夜は眠れなかった



*潤くん41歳のお誕生日おめでとうございます💜

やっと潤くんの舞台に行けるよー😭