朝起きると鼻の頭にハエがいた。
 身体を起こして振りほどこうとしても全く動かない。金縛りだろう。私には何度も金縛りの経験があったのでさほど驚きはしなかったが、しかし、ハエをはたけないのが不快ではあった。

「起きましたか」
 声が聞こえる。首を動かそうとしても動かない。声を出すことには苦はないため、返事をする。
「起きてはいますが金縛りのようで。申し訳ありませんが、鼻の上のハエを追い払ってくれませんか」

 それはできません、と返答がある。私がそのハエで、金縛りを起こしているのは私だと。
 ハエは話し始めた。

「昨日、ゴキブリを殺しましたね」そうだ。私は昨晩、ゴキブリを殺した。妻がゴキブリが出たと騒いだので、私はそのゴキブリを丸めた新聞紙で叩き潰した。

「実は今、この家を巡り、私たちはゴキブリと抗争中なのです。しかし、ゴキブリは厄介です。私たちよりも生命力が強く、なかなか倒せません。身体も大きく力も強いので私の仲間は次々に倒れていきます。このままでは私たちは負け、この家はゴキブリの手に渡ってしまうのです。どうか、あなたのお力を貸してはいただけませんか?」

 正直、私はこの申し出に対して「どうでもいい」という感覚しかない。どちらが勝ってもどちらでもいい。妻には大事かもしれないが。いや、妻は虫全般が嫌いなので、どちらもいなくなることを望むだろう。そもそも、何故ハエはこのような負け戦に挑んだのだろうか。

「嫌だ」
私は答えた。「どうでもいいよ、そんな抗争。」

 ハエは「残念です」と言ってどこかへ飛んでいった。何処へ行ったかは分からないが、私の家の中に作った巣にでも帰ったのだろう。

 その翌日、私は屋内用殺虫剤を散布した。


※この物語創作です。私の家にはゴキブリもハエも出ません。夏に時々クマバチが挨拶しにくるくらいです。