私は「可哀想」って言葉が嫌いだった


特に義母が、身障者の方に対して言う

「可哀想やな」

「大変やわ」


その言葉が、どうも引っかかる


なんだか

一段高いところから、言ってるようで


でも、その言葉に引っかかってたのは

「私自身」だった


だって私

可哀想な私でいると

愛されるって思い込んでたのに


可哀想って言われると

哀れまれてるみたいで、胸がザワつく💦

(面倒くさい矛盾🤣


さらに

「やっぱりデリカシー無いよね😇」って


義母にもイラッとする

ダブルでしんどい🤣


じゃあ私は

「可哀想」をどう定義してるんだろう?


人より大変そう

苦労してそう


それが、私の中の「可哀想」だった


でも

大変さも苦労も、測れるものじゃない


みんなそれぞれの状況で

ただ一生懸命生きてるだけ


比較なんて必要ないし

そもそも、できるものでもない


だったら

「可哀想な人」なんて

本当はいないのかもしれない


ただ私が

「この人は可哀想」

「この状況は可哀想」

って勝手に決めてただけ


なら

可哀想な私も人も、存在しないのかも🍀