お久しぶりです  ちゃん子ですニコニコ

 

今日は李氏朝鮮 最高の聖君と名高い世宗の息子と孫であり

あとに続いて王様となった文宗と端宗について話します。

 







聖君と呼ばれた世宗のあと続いた王様は聖君だったのか?

まさか暴君ってことはないだろうと、調べてみたところ

何ということか悲劇の王様でありました。




 

世宗の長男 5代目の王となった文宗は心優しく学問を好む父親似の性格でした。

ドラマ 大王世宗では弟の首陽にいじめられてました。

しかも怒りもせず自分が悪いんだと弟をかばいます。

(ドラマの話ではありますが)



 

大きくなった文宗は世宗の代わりに政治を行ないますが、

病気がちだった文宗は王になりわずか2年4ヶ月で亡くなってしまいます。

 



そのあと王になったのは文宗の長男 端宗です。

端宗はこのときわずか11歳でした。

 

当然のように権力争いが起きてしまいます。

 



まず重臣だった金宗端(キム ジョンソ)が端宗の後ろ盾として権力を握ります。

彼はドラマ 大王世宗でも出てくる儒生です。

 



しかし世宗の次男でありつまりは端宗の叔父でもある首陽が乱を起こし、

重臣たちを次々と殺していきます。

そして端宗から王位を譲り受け 7代目王 世祖となります。

 

世祖も様々な功績を残しますが、

甥から王位を奪った王様としてあまり評価(評判)はよくないようです。

 

今も大王世宗を見ている人間としては、

あのドラマの登場人物の今後がこのようになっていると思っていると

悲しくなります。

 




ドラマではここまで描かれないでしょうが、

韓国映画「観相師」がちょうどこの時代が背景になっています。

 



偉大な王 世宗も自分の死後、

息子や孫がこのような状況になってしまったとは思いもしないでしょう。


聖君のあとに聖君が続くのは、

難しいことのようです。



ちゃんこコーヒー