はじめまして。みゅうと申します。
こちらは、私が患った突発性難聴について書いてみたいと思います。
病院の先生に書いてみて欲しいと言われたのがきっかけで書き始めています。
拙い文書ですが目を瞑って読んでいただけると幸いです。
私が突発性難聴を患ったのは今から約5年前、当時14歳でした。
きっかけ、というか理由というものは当時は分かりませんでした。ストレスを抱えてるとも思ってなかったですし、生活習慣は今よりももっと良い質でした。ですが、俯瞰的に見れる年齢になり、考えた時思い当たるものがいくつか出てきました。親の離婚、親権争い、親友の悪戯心での裏切り、部活動での怒られ役、実行委員の仕事で上手く立ち回れないこと、思い出せるだけでもポンポンと出てきてしまって思わず笑ってしまいます(笑)
私は、突発性難聴になるにあたって予兆というものがありませんでした。色々な方の見ると数日前から耳鳴りがあったと多くあります。ですが私のように予兆がない人もいるようです。
部活中、突然左耳が "プツッ" と何か切れるような音がし、そこから一気に聞こえなくなっていました。ですが、中耳炎などにもなったことがなかったため、「これが世に言う中耳炎か!」と1人納得し過ごしてしまいます。次の日の朝、目を覚ますと、世界がグルグルと回っていました。目眩です。親には一応申し出ましたが、仕事があるからとりあえず学校に行けとの事だったので、それに従い登校しました。ですが、思うように動けず直ぐに保健室行きになります。学校から連絡が行き、その日に市内の総合病院に連れ行ってもらいました。ですが、そこの病院の検査ではなんとも言えないと診断され、都内の大学病院を紹介されます。次の日に、そちらで聴力検査(音感検査?)や平衡感覚など色々な検査、問診を受け突発性難聴と診断されました。即座に入院命令が下されその日の午後から入院薬投与が始まります。私の入院期間は1週間ほどでその期間で点滴で強めのステロイドと血中濃度や血流を促進させる薬など2つを服用していました
補足として、入院に繋がった聴力検査の際、測定している耳ではない方では、すきま風のような雑音が流れていますが、その音が左耳では全く聞こえていませんでした。
そして、入院します。
次に退院後をかきたいと思います。
こちらは、私が患った突発性難聴について書いてみたいと思います。
病院の先生に書いてみて欲しいと言われたのがきっかけで書き始めています。
拙い文書ですが目を瞑って読んでいただけると幸いです。
私が突発性難聴を患ったのは今から約5年前、当時14歳でした。
きっかけ、というか理由というものは当時は分かりませんでした。ストレスを抱えてるとも思ってなかったですし、生活習慣は今よりももっと良い質でした。ですが、俯瞰的に見れる年齢になり、考えた時思い当たるものがいくつか出てきました。親の離婚、親権争い、親友の悪戯心での裏切り、部活動での怒られ役、実行委員の仕事で上手く立ち回れないこと、思い出せるだけでもポンポンと出てきてしまって思わず笑ってしまいます(笑)
私は、突発性難聴になるにあたって予兆というものがありませんでした。色々な方の見ると数日前から耳鳴りがあったと多くあります。ですが私のように予兆がない人もいるようです。
部活中、突然左耳が "プツッ" と何か切れるような音がし、そこから一気に聞こえなくなっていました。ですが、中耳炎などにもなったことがなかったため、「これが世に言う中耳炎か!」と1人納得し過ごしてしまいます。次の日の朝、目を覚ますと、世界がグルグルと回っていました。目眩です。親には一応申し出ましたが、仕事があるからとりあえず学校に行けとの事だったので、それに従い登校しました。ですが、思うように動けず直ぐに保健室行きになります。学校から連絡が行き、その日に市内の総合病院に連れ行ってもらいました。ですが、そこの病院の検査ではなんとも言えないと診断され、都内の大学病院を紹介されます。次の日に、そちらで聴力検査(音感検査?)や平衡感覚など色々な検査、問診を受け突発性難聴と診断されました。即座に入院命令が下されその日の午後から入院薬投与が始まります。私の入院期間は1週間ほどでその期間で点滴で強めのステロイドと血中濃度や血流を促進させる薬など2つを服用していました
補足として、入院に繋がった聴力検査の際、測定している耳ではない方では、すきま風のような雑音が流れていますが、その音が左耳では全く聞こえていませんでした。
そして、入院します。
次に退院後をかきたいと思います。