2021年6月、一般社団法人「濱壇保存会」(関谷光洋会長)が2日間にわたって「湖北の信仰文化と濱仏壇」と題する催しが開かれた。
2日目に講演したのは法人の顧問を務める宮川弘久(郷土史家)であった。この日の宮川は濱壇(長浜仏壇)の祖型である「和泉壇」について取り上げ、その特徴を事細かに話されていった。その中で、現在確認できる日本最古のお内仏を取り上げた。このお内仏の屋根板裏面には「延宝8年(1680)」の制作年、製作者は湖北町伊部の名工・藤岡甚兵衛藤岡重光(後の藤岡和泉)であると墨書されているという。
そして、何より衝撃的であったのは、このお内仏は旧びわ町新居の椙本家が有してきたのであるが(現在は長浜城文化博物館寄託)、「元々は明治期に速水の旧家から譲り受けたものであった」と話されたことであった。
講演後、その具体的な内容を確かめるべく、宮川に話を聞くと、速水の旧家とは柴辻家ではないかと推定しているという。私からはその柴辻家は旧速水小学校の隣にあった柴辻本家である可能性が高く、実はその御本尊は現在の念慶寺の御本尊として安置していると話をした。
柴辻家の話を聞きたいということになり、濱壇保存会の関谷会長の仲介もあって、2021年7月21日に、先の宮川、建築学を専門とする水野耕嗣(国立岐阜高専名誉教授)、宮川孝昭永楽屋会長が念慶寺に集まった。
▲和泉壇に造形の深いメンバーによる柴辻家について聞き取り(2021年)
宮川会長によれば、伝統仏壇が制作されている全国各地域に照会したところ、延宝8年以前の仏壇はないという。また、宮川と水野からは江戸期の柴辻家が酒造業にも携わっていたとの聞き取りを通して、ひろく各地の情報を収集しうる立場にあった。その中で柴辻家として木仏の御本尊を迎えたいとなったのではないかと話されていた。
戦国期、惣村の道場には絵像本尊が掛けられていたが、秀吉・家康の統一政権による政策により道場の寺院化が進み、江戸初期から中期にかけてようやく寺院に木仏の御本尊が安置されるようになる。そのような時代に先駆けて柴辻本家のお内仏には木仏の御本尊が迎えられたのである。
そして昭和42年、このお内仏に安置されていた木仏本尊が火災で消失した念慶寺の新たな御本尊として迎えられることになった。
(つづく)
