いつか付き合えたらいいなと片想いしてたあの子がどこかの町で母親になり、

 

自分も当時想像もしていなかった場所で父親になる。

 

毎日のように海までドライブして、夜は浴びるように飲んでいた地元の仲間たち。

 

最後に全員で会ったのはいつだったかな。5年前か、10年前か。

 

写真を見返せば昨日のことのように思い出せるけど、

 

僕達の甘酸っぱい青春は、遥か遠い過去の出来事。

 

この一か月で感じたことを箇条書きにする。

 

・性別が同じで目鼻立ちも似ているからなのか、他者の人生ではなく、自分の人生2週目のような錯覚を感じることがある。

生まれた時代も土地も家庭環境も異なるが、それがまた転生モノのようで興味深い。

 

・父親がどこまで育児にコミットするべきなのか温度感が難しい。

育児は女の仕事だろというスタンスの人から、育休何か月も取って妻と完全対等な育児をしている人までいる。

私の職場は残念ながら男の育休には理解もなければ実績もないので、完全対等の貢献は不可能だが、

それでも在宅時間を完全に1/2育児に費やさなければならないのか、あるいはそこまでは求められないのかとか、

同世代の友人に父親がほとんどいないこともあり、手探りのような状況である。

なお、現状は、深夜時間帯のオムツとミルクを2サイクル(5~6時間)ほど引き受けてその間に妻が寝室で眠る、

沐浴は2オペ、休日昼間のオムツとミルクは基本2オペ、たまに妻一人で出かけられる時間をつくる、このような運用をしている。

 

・何だかんだ一人前の大人をしているような達成感はある。

マウンティングの意図ではないが、やはり独身でいた頃、

あるいは仕事を辞めて親の金で研究者やバックパッカーの真似事をしていた頃と比べると、

自分の生き方や人生に負い目がなくなっていると感じる。

「妻」「子供」「住宅ローン」は三大不良債権だといった言葉もあるが、それを全て抱えることになった今、

あれは自虐風自慢の言葉だったのだろうと悟った。

※ただし専業主婦は認めない。

大学時代、入学当初から可愛いと思って憧れていた女の子がいました。

 

名前をTちゃんとします。

 

Tちゃんは、

整った顔立ちなのに童顔。

ボーイッシュなのに可愛い。

シンプルな服装なのにオシャレ。

ギャルじゃないのに目立っている。

目立っているのに課外活動とかにわりと真面目。

 

という不思議な女の子でした。

 

学科も違いましたし特に接点もなかったので、遠くから「今日も可愛いなあ」と眺めているだけだったのですが、

大学3年生の秋に転機が訪れます。

 

私と同じゼミだった女性(Yさん)が、たまたまTちゃんと仲が良く、

私が陰ながらTちゃんに片思いしているのを見かねて、一緒にキャンプをする企画を催してくれたのです。

 

参加メンバーは、Tちゃん、Yさん、Yさんの彼氏、私、それからゼミの同期4名の合計8名でした。

今思えば、男女混合でキャンプなどもう10年近くしておらず、なんとも青春らしい話です。

 

夜は、みんなの協力もあってTちゃんと話し込んだのですが、理想と現実はかなり違っていました。

 

この頃、私のゼミのメンバーはだいぶ就活準備モード、卒論準備モードになっていたこともあり、

私の興味関心はそういう真面目なトピックスに関するものだったのですが、

そういう話を振っても、「わかんないw」「就活とかなんとかなるっしょ~」で流され、

他方でTちゃんの興味関心は、体育会野球部の〇〇先輩って知ってる~?めっちゃ目立ってるから知ってるでしょ~?とか、

この前〇〇先輩のBMW乗せてもらったんだけどその前に飲み過ぎてゲロ吐いちゃってさ~とか、

まるで中高生が運動部の目立つ先輩に可愛がってもらっていることを自慢するようなことにありました。

 

こちらとしては、

「大学3年生にもなってそれが自慢のつもりなのか?」

「飲み過ぎてゲロ吐いた話が面白いなんてせいぜい大学1年生までだろ」と思ってしまい、

誠に勝手ながら、気持ちがスーっと引いたのをよく覚えています。

 

さらに極めつけは翌朝、ロッジの中にTちゃんがいないなと思い、

よくよく見るとYさんの彼氏もいないぞ、となり、

ロッジ内がざわついていると、

「眠れなかったからYちゃんの彼氏とずっと散歩してた」と朝帰りしてきたことです。

 

Yさんの彼氏は、ジャニーズ系のルックスで、この日の男性メンバーの中ではダントツのイケメンだったので、

目立つ先輩に可愛がってもらっていることを自慢に思う彼女の価値観からすると納得の行動です。

 

3年間憧れていた女の子の価値観が想像以上に残念な感じだったショックやら、

軽く寝取られたプライドの傷やら、

協力してくれたYさんへの申し訳なさやらで、

大変微妙な空気に終わったキャンプとなりました。

 

あれから10余年。

Tちゃんの現況は分かりません。

もういい年でしょうし、どこかで幸せな家庭を築いてくれているといいのですが。

 

ちなみに今私の愛車がBMWなのは、あの時の残念な経験に起因しているのかどうか定かではありません。

が、今になって思えば、分かりやすい力の象徴も大事だと思います。

独りよがりな理想論・正論だけでは世の中うまく渡れませんからね。