よく聞かれる!私が葬儀屋になった「衝撃の理由」 | 33歳 葬儀屋社長の日常

33歳 葬儀屋社長の日常

29歳で独立開業した、葬儀業界では稀有な存在です。

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当時23歳 医療系の専門学校を卒業した私の葬儀屋人生は、東村山市にある葬儀社に就職したことから始まります。

医療系専門学校から葬儀社に就職した生徒は、後にも先にもきっと私だけです。

就職活動に入る時期、親戚が亡くなりました。

近所にある老舗葬儀社、そこの自社ホールでの葬儀でした。

寒い時期でしたが、暖房も効き温かいホールでスタッフは淡々と仕事をこなしていきます。

当時の私は接客業のアルバイトを長年していましたが、笑顔を見せるというのが苦手でした。

そんな時「あ、葬儀屋って笑顔を見せることもなく淡々と案内するだけの仕事なんだ!」と勘違いしたところから全てが始まります。

たったそれだけ、それだけの理由で葬儀の仕事に興味を持ち私は就職しました。笑

当然、中身も知らずに就職したためギャップは凄まじかったです。

東村山の葬儀社は1年2ヶ月で退職し、その2ヶ月後から縁あって千代田区の葬儀社で働き始め5年程で退職しました。

私の基盤を築いた会社を悪く言いたくはありませんが、正直とんでもない会社でした。笑

給料は最大で7ヶ月の未払い、社会保険もなく、夜中も私用で連れ回され、時には運転中に上司から蹴りを入れられ(笑)

 

日中も働きながら24時間の宿直業務(葬儀屋はいつ仕事が発生するのか分からないため)を最大29日間やってました。

ストレス過労の影響で、急性虫垂炎で入院もしました、帯状疱疹にも二度なりました、風疹にもなりました、溶連菌と言う喉の病気で40度近い熱があっても働き、悪寒で手を震わせながら必死に営業して見積もりを取っていました。

 

溶連菌が完治する二週間で7キロ痩せました。

7キロ痩せた時、砂漠でビールとドーナツを食べる夢を見て早く元気になりたいと自身を鼓舞してました☺

本当に色々なことがありすぎて書ききれませんが、29歳の年末に退職し「あすか葬祭」を設立しました。

実家が葬儀屋でもありません、どこかの二代目を継いだ訳でもありません。

もうあんな辛い思いをしたくない、心身共に健康で適切なサービスを提供していきたい。

そんな思いで作った会社です☺

 

 

社名:株式会社 あすか葬祭
住所:東京都中野区江原町2-21-15
TEL:03-3565-4478
H P :https://asukasousai0205.co.jp
代表取締役社長 北居晃太

当社は中野警察署・野方警察署・碑文谷警察署、都内私立病院一つからも定期的にご依頼を頂き霊安室業務を任される安心の葬儀社です。

霊安室業務とは‥‥

各警察署 私立病院にてご逝去され、ご遺族様が葬儀社の心当たりがない場合紹介される仕組みです。

当然、出入りには審査があり信用がなければ出入りは出来ません。

ご依頼の際には故人様のため、ご遺族様のために。誠心誠意、真心を込めてをお手伝いをさせて頂きます。

事前相談・急逝の際も24時間365日対応致します。