カールとユング
マニアックなところでの共感
「あ!それ俺も思っとった!」の上位互換と言えば分かりやすいだろうか
僕はそれをシンクロと呼んでいるのだが、このシンクロした瞬間の気持ち良さと言ったら、どの快楽よりも素晴らしいのではないかと思っている訳です
さて、アインシュタインの相対性理論によれば、
「速く移動する空間の中で流れる時間の速さは、通常空間で流れる時間の速さより、遅くなる」
らしい
例えば光速に近い速さで移動できる宇宙船で、10年宇宙旅行してから地球に戻ると、地球では20年経過している。ということらしい
「らしい」ばかりで申し訳ないが、まぁとにかくそういうことらしい
つまり、未来へ行くことができるのです
ドラえもんのタイムワープとは違い、未来ののび太君がいるわけじゃなくて、あくまで同じ時空間での同直線上の未来へと
僕がこういったロマン溢れる話が大好きなのはご存知でしょう
これ系統の話は「でも現実的じゃないよね」で一蹴されてしまいがちですが、大事なのはロマン
ロマンこそ人生のスパイス
はち切れるほどMy dream
飛びまわれこのMy heart
どうも、カールスモーキー金内です
お久しぶりです。皆さんお元気でしょうか?
約1年半振りの更新です
かといって特にネタがあるわけじゃないので悪しからず
先日、久しぶりに映画でも観ようと、TSUTAYAへ行きました
特に観たい映画があるわけじゃなくて、友人に勧められたやつと、テキトーに2本借りて鑑賞したのです
すると、その中の1つが上で書いた相対性理論の話が中心の内容でした
ちょうどその一週間前ぐらいに、この相対性理論が気になって調べていたので、まさにタイムリーな内容だったことにシンクロを感じ
「おぉ!それそれ!俺も知ってるよ!」
でも、一週間前に調べて「へぇ~」ってなった潜在意識が無意識にこの映画を借りさせたのかもしれない
いや、たぶんそうでしょう
あの「へぇ~」がなければ借りてないと思う
そういう意味じゃ、やはり行動原理というか、何にも理由があるのだろう
だけど大事なのはシンクロしたときに感じたあの快感
理由なんてどうでもよくて、シンクロしたという事実が素晴らしいのです
今回は映画にシンクロしましたが、これが対人でシンクロしたら、そりゃもう最高でしょ
というか、それが恋だの愛だのって話なのかもしれない
女の子とシンクロしたい
同性間でも、それが友情になったりするのかな
シンクロしたあの感情を文字にすることも、定義付けすることも、今の僕にはできない
たけどそもそもそんな必要はなくて、ただ感じられればいいのです
「考えるな。感じろ」
改めましてどうも、キンナイ・リーです
女の子と何も考えず、ただひたすらに感じ合いたい
とまぁシンクロについて思うところがあったので、忘れないうちに綴っておこうと思い立っただけの話です
この話にシンクロした人がいたりして
そんなあなた、僕とシンクロしませんか?

「あ!それ俺も思っとった!」の上位互換と言えば分かりやすいだろうか
僕はそれをシンクロと呼んでいるのだが、このシンクロした瞬間の気持ち良さと言ったら、どの快楽よりも素晴らしいのではないかと思っている訳です
さて、アインシュタインの相対性理論によれば、
「速く移動する空間の中で流れる時間の速さは、通常空間で流れる時間の速さより、遅くなる」
らしい
例えば光速に近い速さで移動できる宇宙船で、10年宇宙旅行してから地球に戻ると、地球では20年経過している。ということらしい
「らしい」ばかりで申し訳ないが、まぁとにかくそういうことらしい
つまり、未来へ行くことができるのです
ドラえもんのタイムワープとは違い、未来ののび太君がいるわけじゃなくて、あくまで同じ時空間での同直線上の未来へと
僕がこういったロマン溢れる話が大好きなのはご存知でしょう
これ系統の話は「でも現実的じゃないよね」で一蹴されてしまいがちですが、大事なのはロマン
ロマンこそ人生のスパイス
はち切れるほどMy dream
飛びまわれこのMy heart
どうも、カールスモーキー金内です
お久しぶりです。皆さんお元気でしょうか?
約1年半振りの更新です
かといって特にネタがあるわけじゃないので悪しからず
先日、久しぶりに映画でも観ようと、TSUTAYAへ行きました
特に観たい映画があるわけじゃなくて、友人に勧められたやつと、テキトーに2本借りて鑑賞したのです
すると、その中の1つが上で書いた相対性理論の話が中心の内容でした
ちょうどその一週間前ぐらいに、この相対性理論が気になって調べていたので、まさにタイムリーな内容だったことにシンクロを感じ
「おぉ!それそれ!俺も知ってるよ!」
でも、一週間前に調べて「へぇ~」ってなった潜在意識が無意識にこの映画を借りさせたのかもしれない
いや、たぶんそうでしょう
あの「へぇ~」がなければ借りてないと思う
そういう意味じゃ、やはり行動原理というか、何にも理由があるのだろう
だけど大事なのはシンクロしたときに感じたあの快感
理由なんてどうでもよくて、シンクロしたという事実が素晴らしいのです
今回は映画にシンクロしましたが、これが対人でシンクロしたら、そりゃもう最高でしょ
というか、それが恋だの愛だのって話なのかもしれない
女の子とシンクロしたい
同性間でも、それが友情になったりするのかな
シンクロしたあの感情を文字にすることも、定義付けすることも、今の僕にはできない
たけどそもそもそんな必要はなくて、ただ感じられればいいのです
「考えるな。感じろ」
改めましてどうも、キンナイ・リーです
女の子と何も考えず、ただひたすらに感じ合いたい
とまぁシンクロについて思うところがあったので、忘れないうちに綴っておこうと思い立っただけの話です
この話にシンクロした人がいたりして
そんなあなた、僕とシンクロしませんか?

Money Game
近所の神社では毎年正月に、お守り的な100円を200円で販売するという詐欺が行われています。
母ちゃんは毎年騙され、僕の分まで買ってきては、きっちり200円請求してきます。
宗教的付加価値は個人の考え次第。
というより、モノの価値など全て相対的。
某アイドルのCDに100万使う人を蔑むのは滑稽。
個人が価値を見出せば、そこに価値は生まれる。
それはすべて適正な価値なのでしょう。
どうもお久しぶりです、ノスタルジー金内です。
夏の終わりに森山直太朗の夏の終わりを聴くという毎年恒例一大イベントを昨日開催し、哀愁を纏っておりました。
さて先日、昼前に目を覚まし、飯を食いに行こうと準備をしていました。
カレーかラーメンかなぁなんて考えてると母ちゃんが
「ご飯食べに行くとね?」
「そうやけど。」
するとすかさず
「何食べるつもり?」
などと聞いてきたのだ。
僕としては、いくら母ちゃんだろうと僕の昼飯に干渉する権利などないはずだと思い、訝しげに
「カレーかラーメンやけど?」
と言ってやったのだ。
語尾を上げているところに、僕の不満が表れる完璧な返しであったのは間違いない。
どうせ野菜を食えだの、栄養のあるもの食えだの言ってくるんだろう?
それに対し先手を打った僕のまさに「完璧」な返しだった。
これには諸葛亮孔明もビックリだろう。
僕はもう子どもじゃない。
僕が食べたいものは、僕が決める。
さて母ちゃん、どう反応する?
「今日の夕飯カレーだからね」
や ら れ た !!
僕の完璧な返しに動じず、さらなる最善手を打ってきやがった。
考えてみれば、「何を食べる?」というのは完全なる布石。
「何を食べる?」ではなく、最初から「夕飯カレーだからね」で会話は終了するはずなのだが
僕より優位に立つためにわざわざエサを撒いた、ということなのだ。
やられた。
諸葛亮孔明は母ちゃんで、僕は一介の歩兵だったと思い知らされました。竹やり訓練始めます。
完敗だよ。
大人しくラーメンでも食って来ます。
ということでラーメン食いに行ったのだが、赤のれんは定休日だったので、少々遠いラーメン屋へ。
味噌ラーメンの店なのだが、チャーシューがでかくて美味しいお店です。
さらにチャーシューを追加し、値段は1030円とお高めだが、美味しいのでまぁよしとしよう。
だが事件は麺が半分ほど減ったときに起こった。
やばい
財布に金が入ってなかったような気がする!!
しかし焦って財布をチェックするのはダサいし、かといって確認しないわけには・・・
ここで僕の中の孔明が助言をする
「追加で何か頼むふりをし、そこでさりげなく財布の中身をチェックするのだ」
よかろう。
落ち着いてメニューを手に取り、サイドメニューコーナーを開く。
ついでに自分が頼んだやつの値段もチェック。
やはり1030円だ。
チャーハンでも頼もうかな~的雰囲気を醸し出しつつ、
一応財布の中身確認しとこうかな~的雰囲気を醸し出す。
ふはは。
完璧に演じられている。
誰も背中に冷や汗を垂れ流しているとは思うまい。
そして確認したところ、残金は・・・
1028円
や ら れ た !!
奇跡です。
奇跡的に2円足りないのです。
落ち着け、考えろ、対策を考えるのだ。
そう、僕は諸葛亮孔明。
孔明なら、どうする・・
そうだ、カードで払えば良いじゃないか!!
いやいや待てよ。
ラーメン屋でカード払いなんて聞いたことないぞ。
使えない可能性は高い。
よし。トイレに行くふりをして、レジにカード払いの端末があるかの確認をするのだ孔明。
スッ・・・
タッタッタ・・・
チラッ・・・
見 あ た ら な い !!
やばい、やばいぞちくしょうションベンが止まらねぇ
こうなったら最後の手段
店員さんに事情を説明し、コンビニまで行かせてもらうしかない
しかしダサい
ダサすぎるぞ孔明
お前の力はそんなものなのか・・・
考えろ・・・
何か打開策があるはずだ・・・
はっ!!
お、お、お守り的な100円があったはず!!!!
急いで財布を確認。
この際どう思われようが知ったこっちゃない
どこだ
どこかにあるはずだ
頼む
正月の僕よ
どこかにしまっておいてくれ
!!!!
あ っ た !!!!
綺麗に包装され、わけわからんご利益がありそうな文字が書かれた100円が
財布の奥深くに眠っていたのです
ありがとう詐欺神社
ありがとう騙された母ちゃん
ありがとう正月の僕
大事に使わせていただきます
安心してレジへ
すると店員は元気にこう言った
「2150円になります!!」
バ カ な !!
どこで計算が狂ったというのだ
いや、そもそも一人でラーメン屋で2150円使うのは無理だろう
それかなんだここは詐欺でもやっているのか
くそがどうしてこn「あっすみませんこれ先ほどのお客様のでした!!お会計1030円です!!」テヘッ
く そ っ た れ - !!
とまぁ久しぶりの更新でした。
みなさんも財布の中身はチェックしてから出かけましょう。
でわでわ。
母ちゃんは毎年騙され、僕の分まで買ってきては、きっちり200円請求してきます。
宗教的付加価値は個人の考え次第。
というより、モノの価値など全て相対的。
某アイドルのCDに100万使う人を蔑むのは滑稽。
個人が価値を見出せば、そこに価値は生まれる。
それはすべて適正な価値なのでしょう。
どうもお久しぶりです、ノスタルジー金内です。
夏の終わりに森山直太朗の夏の終わりを聴くという毎年恒例一大イベントを昨日開催し、哀愁を纏っておりました。
さて先日、昼前に目を覚まし、飯を食いに行こうと準備をしていました。
カレーかラーメンかなぁなんて考えてると母ちゃんが
「ご飯食べに行くとね?」
「そうやけど。」
するとすかさず
「何食べるつもり?」
などと聞いてきたのだ。
僕としては、いくら母ちゃんだろうと僕の昼飯に干渉する権利などないはずだと思い、訝しげに
「カレーかラーメンやけど?」
と言ってやったのだ。
語尾を上げているところに、僕の不満が表れる完璧な返しであったのは間違いない。
どうせ野菜を食えだの、栄養のあるもの食えだの言ってくるんだろう?
それに対し先手を打った僕のまさに「完璧」な返しだった。
これには諸葛亮孔明もビックリだろう。
僕はもう子どもじゃない。
僕が食べたいものは、僕が決める。
さて母ちゃん、どう反応する?
「今日の夕飯カレーだからね」
や ら れ た !!
僕の完璧な返しに動じず、さらなる最善手を打ってきやがった。
考えてみれば、「何を食べる?」というのは完全なる布石。
「何を食べる?」ではなく、最初から「夕飯カレーだからね」で会話は終了するはずなのだが
僕より優位に立つためにわざわざエサを撒いた、ということなのだ。
やられた。
諸葛亮孔明は母ちゃんで、僕は一介の歩兵だったと思い知らされました。竹やり訓練始めます。
完敗だよ。
大人しくラーメンでも食って来ます。
ということでラーメン食いに行ったのだが、赤のれんは定休日だったので、少々遠いラーメン屋へ。
味噌ラーメンの店なのだが、チャーシューがでかくて美味しいお店です。
さらにチャーシューを追加し、値段は1030円とお高めだが、美味しいのでまぁよしとしよう。
だが事件は麺が半分ほど減ったときに起こった。
やばい
財布に金が入ってなかったような気がする!!
しかし焦って財布をチェックするのはダサいし、かといって確認しないわけには・・・
ここで僕の中の孔明が助言をする
「追加で何か頼むふりをし、そこでさりげなく財布の中身をチェックするのだ」
よかろう。
落ち着いてメニューを手に取り、サイドメニューコーナーを開く。
ついでに自分が頼んだやつの値段もチェック。
やはり1030円だ。
チャーハンでも頼もうかな~的雰囲気を醸し出しつつ、
一応財布の中身確認しとこうかな~的雰囲気を醸し出す。
ふはは。
完璧に演じられている。
誰も背中に冷や汗を垂れ流しているとは思うまい。
そして確認したところ、残金は・・・
1028円
や ら れ た !!
奇跡です。
奇跡的に2円足りないのです。
落ち着け、考えろ、対策を考えるのだ。
そう、僕は諸葛亮孔明。
孔明なら、どうする・・
そうだ、カードで払えば良いじゃないか!!
いやいや待てよ。
ラーメン屋でカード払いなんて聞いたことないぞ。
使えない可能性は高い。
よし。トイレに行くふりをして、レジにカード払いの端末があるかの確認をするのだ孔明。
スッ・・・
タッタッタ・・・
チラッ・・・
見 あ た ら な い !!
やばい、やばいぞちくしょうションベンが止まらねぇ
こうなったら最後の手段
店員さんに事情を説明し、コンビニまで行かせてもらうしかない
しかしダサい
ダサすぎるぞ孔明
お前の力はそんなものなのか・・・
考えろ・・・
何か打開策があるはずだ・・・
はっ!!
お、お、お守り的な100円があったはず!!!!
急いで財布を確認。
この際どう思われようが知ったこっちゃない
どこだ
どこかにあるはずだ
頼む
正月の僕よ
どこかにしまっておいてくれ
!!!!
あ っ た !!!!
綺麗に包装され、わけわからんご利益がありそうな文字が書かれた100円が
財布の奥深くに眠っていたのです
ありがとう詐欺神社
ありがとう騙された母ちゃん
ありがとう正月の僕
大事に使わせていただきます
安心してレジへ
すると店員は元気にこう言った
「2150円になります!!」
バ カ な !!
どこで計算が狂ったというのだ
いや、そもそも一人でラーメン屋で2150円使うのは無理だろう
それかなんだここは詐欺でもやっているのか
くそがどうしてこn「あっすみませんこれ先ほどのお客様のでした!!お会計1030円です!!」テヘッ
く そ っ た れ - !!
とまぁ久しぶりの更新でした。
みなさんも財布の中身はチェックしてから出かけましょう。
でわでわ。
超短期的大殺界
とりあえずベートーベンの月光を流してください。
話はそれからだ。
さて、第一の悲劇の話をする前に、その日がどれだけ楽しい夜だったかの説明からした方がいいだろう。
その日、僕は気の許せる友人と共に、いわゆる「花の金曜日」を満喫していた。
空はどんよりし、時折降る雨によって湿気は高く、今思えばこのときから負のオーラというか、「死亡フラグ」は立っていたのかもしれない。
不快指数の高い中、久しぶりの、とはいっても2、3ヶ月ぐらいぶりなのだが、友人との再会に乾杯をした。
とても楽しい夜の始まりの合図。
誰もがそう感じただろう。
いや、それは間違いなくそうであった。
「地元」という繋がりはとても強固で、それを媒体とした空間は最高に気持ちが良かった。
おのずとお酒の量も積み重なり、みんな良い感じに思考回路は停止しつつある時間帯に誰かが言った。
「テキーラ、ショットで」
そう言い放つ彼は、さながら石原裕次郎バリのハードボイルドさやワイルドさを纏っていると勘違いしていたに違いない。
阿呆だ。
プロの阿呆だ。
必死で反対する僕を横目にもう一人もそれに賛同。
馬鹿だ。
プロの馬鹿だ。
こうなってしまっては、もはやこの僕には止めようがない。
民主主義というのは時に残酷で、正しい意見だけが勝つ世の中ではないのだ。
一応ゲームをして、負けたやつが飲むという流れは僕以外の二人で、ごく簡単に、それがまるで自然の摂理かのごとく決まった。
僕に選択権はないことを悟る。
まぁ勝てばいいのだ、と無理やり自分を納得させ、いざ勝負。
結果から言えば三人とも一回づつ負けて、仲良く一杯づつ飲んだわけだが、僕以外の二人はキマってしまう。
いや、僕もお酒が強いわけじゃないので、キマりかけていたのは言うまでもないが、それよりも二人は完璧にキマっていた。
それ以降もテキーラを頼もうとするラリった二人を止めるのは大変だったが、それでもとても楽しい夜だった。
「このまま友人宅で飲み明かそう」
この問いかけに反対すものはおらず、タクシーで移動することに。
店を出るとき、なんとか理性を保つ僕は友人二人の忘れ物などに気を配り、鞄を持ったりしてあげていた。
「大丈夫?忘れ物無い?」
ははっ。
今考えると笑いがこみ上げてくるよ。
自分の無能っぷりに自然と笑いがこみ上げてくるのだ。
なぜかって?
そう、ここで第一の悲劇は起こったのだ。
タクシーはすぐに捕まり、友人宅の前で支払いをしようと鞄に手を入れて数秒。
僕は寒気を感じた。
財 布 が な い !!
体内に溜まったアルコールなど一気に吹っ飛ぶ。
必死でポケットや鞄の隅を探すが、ない。
ないものは、ないのだ。
終わったマジ終わった最悪マジクソめんどくせぇ。
店ではしっかり支払っていたので、そのタイミングではあったのだから、店に忘れている可能性が高い。
すぐに友人は電話をしてくれた。
しかし、返答は「ウチにはないですよ」だった。
ならばタクシーだ。
しかし、いちいち乗ったタクシーの会社など気にはしておらず、誰も覚えていない。
オーケー。
天神周辺をうろついているタクシー会社、全部に問い合せてやる。
時間がかかりそうなので、一旦友人とは別れ、とぼとぼ歩きながら主要タクシー会社に電話する。
「先ほど利用しまして、財布を忘れいるにたいです。〇〇から〇〇まで利用したんですが、そういったタクシーはありませんでしたか?」
「無線で全車両に聞いてみます・・・いや、そのような車両はありませんねぇ」
「そうですか、もし財布が見つかりましたら連絡をお願いします」
というやり取りを10社ぐらいとしたところで諦めた。
おそらく店からタクシーまでの間で落としたのだろう。
一応最後に警察に電話し、届出があったら連絡くださいというところで友人宅へ向かった。
当然飲む気にはなれず、友人の一人は眠りかけてるし、まぁおとなしく眠りにつくことにした。
もしかするとタクシー会社や警察から電話があるかもしれないからと、耳元に携帯を置いていたのが無意味だったと知る午前8時。
「おはよう、一文無しの僕だよ」
まぁ財布に関してはある程度諦めがついたので、気持ち切り替えていこう。
友人のi-tunesから元気の出る曲でもいただいて、それ聴きながら帰ろう。
そう思ったのが第二の悲劇の始まりだとは知る由もなかった。
友人に許可を取り、僕のiPodを友人のパソコンに繋いで、50曲ぐらいいただいた。
ちなみに僕のiPodには13000曲ぐらい入っているが、そのうち3分の1ぐらいはこうして各友人からいただいたやつだ。
そんなこんなで同期が終わり、iPodを外すとiPodの画面にはこんな文字が表示されていた。
「ミュージックがありません」
時が止まる。
経験が言った。
「お前は知っているぞ」
そう、僕は知っている。
この画面が何を意味しているのかを、僕は知っている。
今のiPodは2代目なのだが、初代が壊れたときと同じ症状なのだ。
そして理解する。
この状況が何を意味しているのかを、理解する。
こ わ れ た !!
「シンクログラフ反転!デストルドー反応増大!ダメです!危険です!」
というマヤちゃんの声が聞こえた気がした午前9時。
試行錯誤してもダメだ。
ダメなものは、ダメなのだ。
財布を失くし、iPodも亡くす。
細木数子先生もビックリの超短期的大殺界です。
灰色の景色に色を塗ってくれていたお金と音楽を同時に失った僕はもはや生ける屍。
もし今の僕にホイミを唱えるとダメージをくらいます。
フェニックスの尾を使えば一発で消滅します。
聖水を。
聖水をください。
聖水からのポーションをください。
思えば4年前、お金に困った僕は大事なバイクを売った。
そのお金で最初に何を買ったかといえば、それはiPodだった。
すでに壊れていた初代iPodを捨て去り、新しいiPodをパソコンに繋いだときの喜びは忘れ得まい。
それから苦楽を共にした2代目。
あんなことや、こんなこともあったっけ。
何度か落としてごめんね。
今までありがとう。
そして財布。
父ちゃんと母ちゃんがイタリア旅行に行ったときに買ってきてくれたお土産だったね。
よく知らんメーカーだったけど、職人の手作りだっつってくれた財布。
大事にしてたんだけどな。
まさかこんな別れ方をするなんて、思いもしなかったよ。
きっと雨に打たれて、見知らぬ誰かに拾われれ、中身抜かれて捨てられてしまっただろう。
ごめんね。
そしてありがとう。
~3日後~
もろもろの身辺整理を済ませ、財産という財産はないが、
一応ギターやカメラなどの割と高価なものは欲しい人にあげるという内容の遺言を書き、
ホームセンターにロープを買いに行こうと思っていた矢先、電話が鳴った。
そういや携帯も解約しとかないとな、と思いながら電話に出ると
「金内さんですか?博多臨港警察署です」
あれ、警察が何の用事だろう。何か悪いことでもしたっけな。
まぁいい、捕まるも何も、今からこの世界から旅立つこの僕には関係ない。
もはやこの世に僕を縛るものなど何もないのだよ。
ま、話だけでも聞いてやろうじゃないか
「はい、そうですが」
「財布の落し物が届けられていますよ」
時が止まる。
逝きかけていた魂が僕に言った。
世の中捨てたもんじゃない、もう少し生きてみろ、と。
「すぐに行きます。全力で生きてみせます!!」
免許証やお金も入っていて、警察曰く、普通の人が、謝礼やお礼の電話もいらないと言い残し届けてくれたらしい。
かっこよすぎるで。
ありがとうございます。
本当に助かりました。
こうして短期的大殺界は終わりを告げた。
結局iPodも曲数はだいぶ減ったけど、なんとか聞けるようにはなった。
本当に良かった。
みなさんもサイフを拾ったら警察に届けてあげてくださいね。
話はそれからだ。
さて、第一の悲劇の話をする前に、その日がどれだけ楽しい夜だったかの説明からした方がいいだろう。
その日、僕は気の許せる友人と共に、いわゆる「花の金曜日」を満喫していた。
空はどんよりし、時折降る雨によって湿気は高く、今思えばこのときから負のオーラというか、「死亡フラグ」は立っていたのかもしれない。
不快指数の高い中、久しぶりの、とはいっても2、3ヶ月ぐらいぶりなのだが、友人との再会に乾杯をした。
とても楽しい夜の始まりの合図。
誰もがそう感じただろう。
いや、それは間違いなくそうであった。
「地元」という繋がりはとても強固で、それを媒体とした空間は最高に気持ちが良かった。
おのずとお酒の量も積み重なり、みんな良い感じに思考回路は停止しつつある時間帯に誰かが言った。
「テキーラ、ショットで」
そう言い放つ彼は、さながら石原裕次郎バリのハードボイルドさやワイルドさを纏っていると勘違いしていたに違いない。
阿呆だ。
プロの阿呆だ。
必死で反対する僕を横目にもう一人もそれに賛同。
馬鹿だ。
プロの馬鹿だ。
こうなってしまっては、もはやこの僕には止めようがない。
民主主義というのは時に残酷で、正しい意見だけが勝つ世の中ではないのだ。
一応ゲームをして、負けたやつが飲むという流れは僕以外の二人で、ごく簡単に、それがまるで自然の摂理かのごとく決まった。
僕に選択権はないことを悟る。
まぁ勝てばいいのだ、と無理やり自分を納得させ、いざ勝負。
結果から言えば三人とも一回づつ負けて、仲良く一杯づつ飲んだわけだが、僕以外の二人はキマってしまう。
いや、僕もお酒が強いわけじゃないので、キマりかけていたのは言うまでもないが、それよりも二人は完璧にキマっていた。
それ以降もテキーラを頼もうとするラリった二人を止めるのは大変だったが、それでもとても楽しい夜だった。
「このまま友人宅で飲み明かそう」
この問いかけに反対すものはおらず、タクシーで移動することに。
店を出るとき、なんとか理性を保つ僕は友人二人の忘れ物などに気を配り、鞄を持ったりしてあげていた。
「大丈夫?忘れ物無い?」
ははっ。
今考えると笑いがこみ上げてくるよ。
自分の無能っぷりに自然と笑いがこみ上げてくるのだ。
なぜかって?
そう、ここで第一の悲劇は起こったのだ。
タクシーはすぐに捕まり、友人宅の前で支払いをしようと鞄に手を入れて数秒。
僕は寒気を感じた。
財 布 が な い !!
体内に溜まったアルコールなど一気に吹っ飛ぶ。
必死でポケットや鞄の隅を探すが、ない。
ないものは、ないのだ。
終わったマジ終わった最悪マジクソめんどくせぇ。
店ではしっかり支払っていたので、そのタイミングではあったのだから、店に忘れている可能性が高い。
すぐに友人は電話をしてくれた。
しかし、返答は「ウチにはないですよ」だった。
ならばタクシーだ。
しかし、いちいち乗ったタクシーの会社など気にはしておらず、誰も覚えていない。
オーケー。
天神周辺をうろついているタクシー会社、全部に問い合せてやる。
時間がかかりそうなので、一旦友人とは別れ、とぼとぼ歩きながら主要タクシー会社に電話する。
「先ほど利用しまして、財布を忘れいるにたいです。〇〇から〇〇まで利用したんですが、そういったタクシーはありませんでしたか?」
「無線で全車両に聞いてみます・・・いや、そのような車両はありませんねぇ」
「そうですか、もし財布が見つかりましたら連絡をお願いします」
というやり取りを10社ぐらいとしたところで諦めた。
おそらく店からタクシーまでの間で落としたのだろう。
一応最後に警察に電話し、届出があったら連絡くださいというところで友人宅へ向かった。
当然飲む気にはなれず、友人の一人は眠りかけてるし、まぁおとなしく眠りにつくことにした。
もしかするとタクシー会社や警察から電話があるかもしれないからと、耳元に携帯を置いていたのが無意味だったと知る午前8時。
「おはよう、一文無しの僕だよ」
まぁ財布に関してはある程度諦めがついたので、気持ち切り替えていこう。
友人のi-tunesから元気の出る曲でもいただいて、それ聴きながら帰ろう。
そう思ったのが第二の悲劇の始まりだとは知る由もなかった。
友人に許可を取り、僕のiPodを友人のパソコンに繋いで、50曲ぐらいいただいた。
ちなみに僕のiPodには13000曲ぐらい入っているが、そのうち3分の1ぐらいはこうして各友人からいただいたやつだ。
そんなこんなで同期が終わり、iPodを外すとiPodの画面にはこんな文字が表示されていた。
「ミュージックがありません」
時が止まる。
経験が言った。
「お前は知っているぞ」
そう、僕は知っている。
この画面が何を意味しているのかを、僕は知っている。
今のiPodは2代目なのだが、初代が壊れたときと同じ症状なのだ。
そして理解する。
この状況が何を意味しているのかを、理解する。
こ わ れ た !!
「シンクログラフ反転!デストルドー反応増大!ダメです!危険です!」
というマヤちゃんの声が聞こえた気がした午前9時。
試行錯誤してもダメだ。
ダメなものは、ダメなのだ。
財布を失くし、iPodも亡くす。
細木数子先生もビックリの超短期的大殺界です。
灰色の景色に色を塗ってくれていたお金と音楽を同時に失った僕はもはや生ける屍。
もし今の僕にホイミを唱えるとダメージをくらいます。
フェニックスの尾を使えば一発で消滅します。
聖水を。
聖水をください。
聖水からのポーションをください。
思えば4年前、お金に困った僕は大事なバイクを売った。
そのお金で最初に何を買ったかといえば、それはiPodだった。
すでに壊れていた初代iPodを捨て去り、新しいiPodをパソコンに繋いだときの喜びは忘れ得まい。
それから苦楽を共にした2代目。
あんなことや、こんなこともあったっけ。
何度か落としてごめんね。
今までありがとう。
そして財布。
父ちゃんと母ちゃんがイタリア旅行に行ったときに買ってきてくれたお土産だったね。
よく知らんメーカーだったけど、職人の手作りだっつってくれた財布。
大事にしてたんだけどな。
まさかこんな別れ方をするなんて、思いもしなかったよ。
きっと雨に打たれて、見知らぬ誰かに拾われれ、中身抜かれて捨てられてしまっただろう。
ごめんね。
そしてありがとう。
~3日後~
もろもろの身辺整理を済ませ、財産という財産はないが、
一応ギターやカメラなどの割と高価なものは欲しい人にあげるという内容の遺言を書き、
ホームセンターにロープを買いに行こうと思っていた矢先、電話が鳴った。
そういや携帯も解約しとかないとな、と思いながら電話に出ると
「金内さんですか?博多臨港警察署です」
あれ、警察が何の用事だろう。何か悪いことでもしたっけな。
まぁいい、捕まるも何も、今からこの世界から旅立つこの僕には関係ない。
もはやこの世に僕を縛るものなど何もないのだよ。
ま、話だけでも聞いてやろうじゃないか
「はい、そうですが」
「財布の落し物が届けられていますよ」
時が止まる。
逝きかけていた魂が僕に言った。
世の中捨てたもんじゃない、もう少し生きてみろ、と。
「すぐに行きます。全力で生きてみせます!!」
免許証やお金も入っていて、警察曰く、普通の人が、謝礼やお礼の電話もいらないと言い残し届けてくれたらしい。
かっこよすぎるで。
ありがとうございます。
本当に助かりました。
こうして短期的大殺界は終わりを告げた。
結局iPodも曲数はだいぶ減ったけど、なんとか聞けるようにはなった。
本当に良かった。
みなさんもサイフを拾ったら警察に届けてあげてくださいね。
世界は音楽である
こんにちわ、ニュートリノ・カネウチです
突然ですが、みなさんは「超ひも理論」というのをご存知だろうか
僕はこの理論の名前は知っていたのだが、内容は知らなかった
調べてみると、実に哲学的で、美しい世界の話でした
とは言っても正しく理解しているとは言い難い
理系の方なんかが読むと「バカかこいつ」となってもおかしくはない
あくまで、大雑把に理解したことで僕が感じた哲学を紹介しようと思う
かつての哲学者デモクリトスは、世界を構築する最小単位のことを「アトム」と呼んだ
物質を究極に細分化し、これ以上細分化できないもの
今では「原子」と呼ばれて、理科の授業でその名を聞いたことのない人はいないだろう
デモクリトスの時代、顕微鏡など存在しないので、当然観測できないのだが、「そうでなければ世界は説明できない」という仮説を彼は打ち立てた
それは概ね正しいのだが、同時に間違ってもいた
科学の発展により、原子をさらに細分化した存在を人類は発見した
それが「素粒子」である
世界を究極に細分化すれば、そこには素粒子があるのだ
今でこそ多くの種類の素粒子が発見されているのだが、最初の方は新しい素粒子を発見すればノーベル賞ものだったらしい
さて、その素粒子なのだが、今までは最小単位の「点」だと考えられてきた
しかしそれだとどうも世界のすべてを説明できないらしい
そこで一つの仮説を立てた
物質の最小単位は「点」ではなく「線」である
つまり「ひも」である、と
この辺は「陽子と電子」「ニュートリノ」「ヒッグス粒子」など難解な項目が続くので調べていない
しかし大事なのはそういった専門的なことではない
「世界はひもで構築されている」という事実が衝撃的すぎる
ごく簡単に説明すれば
一本のひもがどれくらい振動するかによって、様々な種類の素粒子になり、それが集まり物質を構築する
ということ
想像してくれ
ここにヴァイオリンがある
綺麗な形に加工した木材に弦をはり、それを震わせることによって音階をつくり、音楽を奏でる
それはカノンでもいいし、G線上のアリアでもいいし、弦楽セレナードでもなんでもいい
ひもを振動させることで生まれる多くの音階が集まり、ひとつの音楽を奏でる
この音階が素粒子であり、物質、ひいては世界の始まりなのである
つまり
世界は音楽なのだ!!
君の視界に映る全てはひもの振動により創出された音楽なのである
なんともドラマチックな世界の話ではないでしょうか
もちろん「だからなんなの?」と感じる人もいるでしょう
しかし僕は猛烈に感動したので、この感動を共有したいと思いこのブログを書いた次第であります
ちなみに、素粒子について色々調べていると、このことについて力説するACIDMANの大木伸夫先生を見つけました
僕がなぜACIDMANが好きなのか分かった気がしました
音楽もさることながら、こういった世界観が好きなのでしょう
でわでわ
突然ですが、みなさんは「超ひも理論」というのをご存知だろうか
僕はこの理論の名前は知っていたのだが、内容は知らなかった
調べてみると、実に哲学的で、美しい世界の話でした
とは言っても正しく理解しているとは言い難い
理系の方なんかが読むと「バカかこいつ」となってもおかしくはない
あくまで、大雑把に理解したことで僕が感じた哲学を紹介しようと思う
かつての哲学者デモクリトスは、世界を構築する最小単位のことを「アトム」と呼んだ
物質を究極に細分化し、これ以上細分化できないもの
今では「原子」と呼ばれて、理科の授業でその名を聞いたことのない人はいないだろう
デモクリトスの時代、顕微鏡など存在しないので、当然観測できないのだが、「そうでなければ世界は説明できない」という仮説を彼は打ち立てた
それは概ね正しいのだが、同時に間違ってもいた
科学の発展により、原子をさらに細分化した存在を人類は発見した
それが「素粒子」である
世界を究極に細分化すれば、そこには素粒子があるのだ
今でこそ多くの種類の素粒子が発見されているのだが、最初の方は新しい素粒子を発見すればノーベル賞ものだったらしい
さて、その素粒子なのだが、今までは最小単位の「点」だと考えられてきた
しかしそれだとどうも世界のすべてを説明できないらしい
そこで一つの仮説を立てた
物質の最小単位は「点」ではなく「線」である
つまり「ひも」である、と
この辺は「陽子と電子」「ニュートリノ」「ヒッグス粒子」など難解な項目が続くので調べていない
しかし大事なのはそういった専門的なことではない
「世界はひもで構築されている」という事実が衝撃的すぎる
ごく簡単に説明すれば
一本のひもがどれくらい振動するかによって、様々な種類の素粒子になり、それが集まり物質を構築する
ということ
想像してくれ
ここにヴァイオリンがある
綺麗な形に加工した木材に弦をはり、それを震わせることによって音階をつくり、音楽を奏でる
それはカノンでもいいし、G線上のアリアでもいいし、弦楽セレナードでもなんでもいい
ひもを振動させることで生まれる多くの音階が集まり、ひとつの音楽を奏でる
この音階が素粒子であり、物質、ひいては世界の始まりなのである
つまり
世界は音楽なのだ!!
君の視界に映る全てはひもの振動により創出された音楽なのである
なんともドラマチックな世界の話ではないでしょうか
もちろん「だからなんなの?」と感じる人もいるでしょう
しかし僕は猛烈に感動したので、この感動を共有したいと思いこのブログを書いた次第であります
ちなみに、素粒子について色々調べていると、このことについて力説するACIDMANの大木伸夫先生を見つけました
僕がなぜACIDMANが好きなのか分かった気がしました
音楽もさることながら、こういった世界観が好きなのでしょう
でわでわ
All for one for all but you are one.
「人間は自由なものとして生まれ、至るところで鎖に『繋』がれてゆく」
by te'
どうもお久しぶり、チェ・カネウチです。
思えば2~3年前、何かの道しるべになるのではないかと哲学書を読んでいた頃
人はなぜ対立し、争うのかを真剣に考えていた
考え方や宗教の違いが戦争や紛争を招いていることは明白で、それは間違っているのではないかと
ならば平和への道は統一思想の実現
皆が同じモノを信じ、それに従えば争いは起こらず、つまりはそれが平和であり、理想郷であると
おそらく争いが起こらないという点では間違いではないでしょう
しかしながらダーウィニズム的な進化論を知ることで、今僕たちを形作っているモノ一つ一つに意味があることが分かった
なぜ二足歩行なのか、なぜ性別があるのか、なぜ生きているのか
我々人間の本能は「生存」と「自己の複製」であることは前に語ったことだが
ただ単に「自己の複製」をつくればいいわけではない
これは生きとし生けるもの全てに共通することだが
大事なのは「多様化」
微妙な差ではあるが、同じ個体は存在しない
例えば他人より視力が良いとか、指が長いとか、頭が良いとか、そういった差によって
より生存競争に有利な方が子孫を残す可能性が高い
今の時代視力が悪くたってメガネやコンタクト、レーシック手術などが有り
可能性の差なんてあってないようなものだろうが
それが何百年という間隔で少しづつ、少しづつ生物は変化し続けている
だからアメーバのように同じ個体を生産するのではなく、男女各23本づつの染色体を掛け合わせ
似てはいるが違う個体を生産し続けているのでしょう
もう一度言うが
大事なのは「多様化」である
そうなってくると、考え方の違いや対立宗教の存在を肯定できるようになる
そういったものが我々人類を多様化させ、進化させてきたものであるから
行き着く場所は
「みんなちがって、みんないい」みつを
決して快楽を求めて人を殺すような人を認めているわけではない
そういった劣等遺伝子は淘汰される運命にある
だとすれば障害者だって例外じゃない
何らかの欠陥がある人間は、いわゆる通常の人間より後世に遺伝子を残せる可能性は低い
「人間みな平等」とかいうスローガンを掲げるよりは、そういった方たちのセーフティーネットを作出する方がよっぽど理性的でしょう
これは決して上から目線からの行動ではない
赤十字や福島に募金したときにも感じたことなのだが
「自分より過酷な状況の人にお金をあげるなんて、いつからそんなに俺は偉くなったの?なんか違くねーか?」
だけど募金することで誰かが助かるのであればそれは素晴らしいこと
しかしどこかで感じる上から目線な自分
そのギャップが埋められず答えは出せていなかったのだが
結局は認め合うことが大事
募金などはそれに伴う行動として間違ったことではないのだろう
話が逸れましたが、僕が言いたいこと、というよりはミスチルの桜井さんが言ってることなのだが
一つにならなくても良い
所詮は別々の個体
それぞれを尊重し
認め合えれば
それはきっと素晴らしい世界
ということ
久々の更新でした
ではまた
by te'
どうもお久しぶり、チェ・カネウチです。
思えば2~3年前、何かの道しるべになるのではないかと哲学書を読んでいた頃
人はなぜ対立し、争うのかを真剣に考えていた
考え方や宗教の違いが戦争や紛争を招いていることは明白で、それは間違っているのではないかと
ならば平和への道は統一思想の実現
皆が同じモノを信じ、それに従えば争いは起こらず、つまりはそれが平和であり、理想郷であると
おそらく争いが起こらないという点では間違いではないでしょう
しかしながらダーウィニズム的な進化論を知ることで、今僕たちを形作っているモノ一つ一つに意味があることが分かった
なぜ二足歩行なのか、なぜ性別があるのか、なぜ生きているのか
我々人間の本能は「生存」と「自己の複製」であることは前に語ったことだが
ただ単に「自己の複製」をつくればいいわけではない
これは生きとし生けるもの全てに共通することだが
大事なのは「多様化」
微妙な差ではあるが、同じ個体は存在しない
例えば他人より視力が良いとか、指が長いとか、頭が良いとか、そういった差によって
より生存競争に有利な方が子孫を残す可能性が高い
今の時代視力が悪くたってメガネやコンタクト、レーシック手術などが有り
可能性の差なんてあってないようなものだろうが
それが何百年という間隔で少しづつ、少しづつ生物は変化し続けている
だからアメーバのように同じ個体を生産するのではなく、男女各23本づつの染色体を掛け合わせ
似てはいるが違う個体を生産し続けているのでしょう
もう一度言うが
大事なのは「多様化」である
そうなってくると、考え方の違いや対立宗教の存在を肯定できるようになる
そういったものが我々人類を多様化させ、進化させてきたものであるから
行き着く場所は
「みんなちがって、みんないい」みつを
決して快楽を求めて人を殺すような人を認めているわけではない
そういった劣等遺伝子は淘汰される運命にある
だとすれば障害者だって例外じゃない
何らかの欠陥がある人間は、いわゆる通常の人間より後世に遺伝子を残せる可能性は低い
「人間みな平等」とかいうスローガンを掲げるよりは、そういった方たちのセーフティーネットを作出する方がよっぽど理性的でしょう
これは決して上から目線からの行動ではない
赤十字や福島に募金したときにも感じたことなのだが
「自分より過酷な状況の人にお金をあげるなんて、いつからそんなに俺は偉くなったの?なんか違くねーか?」
だけど募金することで誰かが助かるのであればそれは素晴らしいこと
しかしどこかで感じる上から目線な自分
そのギャップが埋められず答えは出せていなかったのだが
結局は認め合うことが大事
募金などはそれに伴う行動として間違ったことではないのだろう
話が逸れましたが、僕が言いたいこと、というよりはミスチルの桜井さんが言ってることなのだが
一つにならなくても良い
所詮は別々の個体
それぞれを尊重し
認め合えれば
それはきっと素晴らしい世界
ということ
久々の更新でした
ではまた
Thank you for the...②(追記)
先日誕生日を迎えた僕ですが
なんと知人がケーキを作ってくれました
早速写真をアップ
どーん!!!!

な、な、なんぞ!!
なんぞこのクオリティー!!
完全にプロやないか!!
いやぁほんとに嬉しいっす
幸せ者っすよマジで
っつーか食べるのがもったいないっす
スゴすぎやで
とか言いつつ美味しくいただきました!!
見た目もさることながら
とても美味しかったです
ごちそうさまでした
本当にありがとう
前々から言っとりますが
劣等感の塊である僕は
本気で生まれた理由なんかを考えたりしてました
実写版碇シンジ君みたいな僕は
「どうせ僕なんて・・・」的なスーパーネガティブ思考でしたが
それも少しづつ変わってきています
こんな僕でも誰かの力になれているのかな
そんなことを感じる25歳の誕生日です
本当にありがとうございます
そしてこれからも、こんな僕をよろしくお願いします!!
なんと知人がケーキを作ってくれました
早速写真をアップ
どーん!!!!

な、な、なんぞ!!
なんぞこのクオリティー!!
完全にプロやないか!!
いやぁほんとに嬉しいっす
幸せ者っすよマジで
っつーか食べるのがもったいないっす
スゴすぎやで
とか言いつつ美味しくいただきました!!
見た目もさることながら
とても美味しかったです
ごちそうさまでした
本当にありがとう
前々から言っとりますが
劣等感の塊である僕は
本気で生まれた理由なんかを考えたりしてました
実写版碇シンジ君みたいな僕は
「どうせ僕なんて・・・」的なスーパーネガティブ思考でしたが
それも少しづつ変わってきています
こんな僕でも誰かの力になれているのかな
そんなことを感じる25歳の誕生日です
本当にありがとうございます
そしてこれからも、こんな僕をよろしくお願いします!!
Thank you for the...②
靴紐は細い糸が絡み合い紐と成っている
それらがバラバラに解けないよう、末端を糊みたいなやつで固められている
この糊が「テロメア」である
我々の身体は細胞が分裂することでその形を保っているのだが
細胞も無限に分裂できるわけではない
分裂するたびにテロメアが短くなっていく
つまり靴紐の端の糊的なやつで固められた部分が短くなっていくのだ
それがなくなるとどうなるのか
靴紐は細い糸がほどけ始め、ついにはバラバラになってしまう
これと一緒で、細胞もテロメアがなくなるとその形を維持できなくなる
それが意味するのは「廃退」
すなわち「老化」
誰もが辿るこの道を、もちろん僕も淡々と歩いているのだけれど
輝かしい20代に多くの思い出をさりげなく置いていきたいです
25歳になりました
「四捨五入すんな!!」というのはもはやセオリー
「アラサーじゃねえ!!」「黙れ小僧!!」
なんとも微笑ましいやり取りはバイト先でのこと
決して「僕誕生日ですよアピール」はしていない
むしろ祝ってもらうのが恥ずかしくて、なるべく伏せてました
しかし素晴らしき後輩達はプレゼントを持って登場しやがった
しかもくれたのは「アロマキャンドル」
なぜアロマキャンドルなのかというと
先日後輩宅でアロマキャンドルを焚きだす後輩に「めっちゃいいやんそれ!!」
と言ったのだが、そんな何気ない、どこにでもあるやり取りを後輩達は覚えていて
わざわざ博多まで出向き購入してきてくれたのだ
めためた嬉しいっす
さっそく部屋をムーディーな感じにしてやりました
ちなみにその後輩宅のトイレは紫の照明が点っていました
とてもエロかったです
誕生日おめでとうメールも届き、覚えていてくれたことに感動
本当にありがとうございます
タバコをくれた友達、後輩もありがとう
少ない財源から捻出されているのが分かるので、なおさら嬉しいっす
みんなありがとう
当分タバコには苦労しません
地元の男友達からは音沙汰無しなのだが、あえてありがとうと言いたい
時は淡々と流れゆくものだが
同じ時は流れない
それぞれの時に
それぞれの思いを
いつか記憶がそれを模倣したとき
心地良い風が頬を撫でるよう
一瞬一瞬を丁寧に生きようと思う
短くなるテロメアに生を学び
増える皺に思い出を刻もう
いや、皺は増えてないけどね
視界が霞むのは目が悪くなったせいだし
震える手は何かの禁断症状だろう
心配ない
悪くはない
僕はまだ生きていける
生きる理由を他人に依存するわけじゃないけど
生きている証明を他人に依存するわけじゃないけど
みんなは僕の生きる理由です
みんなが僕の生きている証明です
またテロメアが短くなった
だけど心配ない
決して悪くはない
僕はまだ
生きていける

それらがバラバラに解けないよう、末端を糊みたいなやつで固められている
この糊が「テロメア」である
我々の身体は細胞が分裂することでその形を保っているのだが
細胞も無限に分裂できるわけではない
分裂するたびにテロメアが短くなっていく
つまり靴紐の端の糊的なやつで固められた部分が短くなっていくのだ
それがなくなるとどうなるのか
靴紐は細い糸がほどけ始め、ついにはバラバラになってしまう
これと一緒で、細胞もテロメアがなくなるとその形を維持できなくなる
それが意味するのは「廃退」
すなわち「老化」
誰もが辿るこの道を、もちろん僕も淡々と歩いているのだけれど
輝かしい20代に多くの思い出をさりげなく置いていきたいです
25歳になりました
「四捨五入すんな!!」というのはもはやセオリー
「アラサーじゃねえ!!」「黙れ小僧!!」
なんとも微笑ましいやり取りはバイト先でのこと
決して「僕誕生日ですよアピール」はしていない
むしろ祝ってもらうのが恥ずかしくて、なるべく伏せてました
しかし素晴らしき後輩達はプレゼントを持って登場しやがった
しかもくれたのは「アロマキャンドル」
なぜアロマキャンドルなのかというと
先日後輩宅でアロマキャンドルを焚きだす後輩に「めっちゃいいやんそれ!!」
と言ったのだが、そんな何気ない、どこにでもあるやり取りを後輩達は覚えていて
わざわざ博多まで出向き購入してきてくれたのだ
めためた嬉しいっす
さっそく部屋をムーディーな感じにしてやりました
ちなみにその後輩宅のトイレは紫の照明が点っていました
とてもエロかったです
誕生日おめでとうメールも届き、覚えていてくれたことに感動
本当にありがとうございます
タバコをくれた友達、後輩もありがとう
少ない財源から捻出されているのが分かるので、なおさら嬉しいっす
みんなありがとう
当分タバコには苦労しません
地元の男友達からは音沙汰無しなのだが、あえてありがとうと言いたい
時は淡々と流れゆくものだが
同じ時は流れない
それぞれの時に
それぞれの思いを
いつか記憶がそれを模倣したとき
心地良い風が頬を撫でるよう
一瞬一瞬を丁寧に生きようと思う
短くなるテロメアに生を学び
増える皺に思い出を刻もう
いや、皺は増えてないけどね
視界が霞むのは目が悪くなったせいだし
震える手は何かの禁断症状だろう
心配ない
悪くはない
僕はまだ生きていける
生きる理由を他人に依存するわけじゃないけど
生きている証明を他人に依存するわけじゃないけど
みんなは僕の生きる理由です
みんなが僕の生きている証明です
またテロメアが短くなった
だけど心配ない
決して悪くはない
僕はまだ
生きていける

君がチミンで僕がアデニン、シトニンならばグアニンになろう。
そう、ヌクレオチドなのだよ
僕らの身体は0.002~0.1mmの細胞がおよそ60兆個集まってできているわけですが
その細胞の中に核があり、さらにその中にDNAが収納されている
DNAとは僕らの設計図のことだが、その二重螺旋の図は誰もが一度は目にしたことがあると思う
2本のDNAの紐がグルグル螺旋状に伸びているのだが、これは4種類の塩基と呼ばれるものが引きあうことでその形状が保たれている
それがチミン・アデニン・シトニン・グアニン
そして引きあうパートナーが決まっていて、チミンはアデニンと、シトニンはグアニンと引き合い螺旋を構築するのである
つまり君がチミンで僕はアデニ…
そう、ヌクレオチドなのだよ
考えてみてくれ
この世界には70億もの人間が生活しているのだが
その中で僕らは出会った
これは運命でもなんでもなく奇跡なのですよ
さらに言えば僕らの親が出会い僕らが産まれた
親の親が出会い親が産まれた
そしてそれは最初の人間まで遡ることができる
いや、最初の人間まで遡るのは反則だね
遺伝子の中にはミトコンドリアDNAというものがあるのだが
通常遺伝子は父・母から半分ずつ受け継がれるのだが、このミトコンドリアDNAは母親からしか受け継がない
つまりこのDNAを辿っていけば最初の女性に行き着くことができる(そしてその女性はミトコンドリア・イヴと呼ばれている)
現在の研究の結果、全ての現代人は20万年前のアフリカに住んでいた女性のミトコンドリアDNAを受け継いでいることまでわかっている
このミトコンドリア・イヴから派生する全てが今の僕らを存在させているのです
それはとても壮大な話で想像すらできませんが
それほど僕らは奇跡なのです
その奇跡と奇跡が出会えば、そりゃもう超奇跡ですよ
もはや出会うはずなどなかったレベル
だがしかし出会っている事実
そこには奇跡を超える何かがあり、それが僕らを引きあわせたのでしょう
つまり君がチミンで僕はアデニ…
そう、ヌクレオチドなのだよ
つまるところ、劣等感の塊みたいな僕にとってあなた方との繋がりは
唯一自信を持てる誇りみたいなものなのです
これは各人から繋がるそれぞれの点の集合体ごとで言えるのだろうが
それでも僕は今の繋がりが最高だと思うし
それで何も問題ない
類は友を呼ぶとも言いますが
そうだとすれば
あなた方を最高だと思うことは必然的に自分の肯定にも繋がる
自分を肯定したいからあなたを最高と思うのではなく
あなたが最高だから隣にいる僕を肯定することができる
あくまで個人は独立していて、最終的には一人ぼっちではある
だがしかし存在価値は相対的に確立されるのではないかと思う
ある一定の絶対的価値みたいなものももちろん存在しているだろうが
その人の価値を測るうえでそういった繋がりは大いに反映されるでしょう
とはいっても各人を同じ天秤に乗せることはできないわけで
進化論的にもそういった多様化は必要なわけで
つまり結局は孤独に行き着くのかもしれない
だけどやっぱりこの繋がりは大切だし、価値あるものだし、自分の存在の確認である
いや、自分の存在を他人に依存しているわけではない
デカルト先生の言う「我思う、ゆえに我あり」だ
自分を取り巻く全てが虚像だとしても、自分の存在を疑う意識の存在は否定出来ない
懐疑的思考の中に存在を確認できる
外的・内的要因を足して証明であり価値なのだ
といった感じで、またもや訳の解らん話になってしまったが
これは取ってつけたような議題に対してのただの言葉遊びではない
哲学なのだ!!
と、話変わって、先日海の中道に行きました
動物の森に行きました
「この檻から出してくれ」と荒れ狂うブタさんもいましたが
自由と引き換えに安定を手に入れた動物たちはとても穏やかで
とても癒されました
やはり僕としては荒れ狂うブタさんに惹かれるわけですが
もがき苦しむその姿は悲哀に満ちていて
とても悲しくなりました
しかしながらその鎖引きちぎり、自由へと闊歩するブタさんを想像すると
とてもカッコイイです
まさかブタさんに教えられるとは
僕もまだまだです
師匠はブタさん
尾崎豊ばりの自由への渇望を胸に
荒れ狂う金内をご期待ください

僕らの身体は0.002~0.1mmの細胞がおよそ60兆個集まってできているわけですが
その細胞の中に核があり、さらにその中にDNAが収納されている
DNAとは僕らの設計図のことだが、その二重螺旋の図は誰もが一度は目にしたことがあると思う
2本のDNAの紐がグルグル螺旋状に伸びているのだが、これは4種類の塩基と呼ばれるものが引きあうことでその形状が保たれている
それがチミン・アデニン・シトニン・グアニン
そして引きあうパートナーが決まっていて、チミンはアデニンと、シトニンはグアニンと引き合い螺旋を構築するのである
つまり君がチミンで僕はアデニ…
そう、ヌクレオチドなのだよ
考えてみてくれ
この世界には70億もの人間が生活しているのだが
その中で僕らは出会った
これは運命でもなんでもなく奇跡なのですよ
さらに言えば僕らの親が出会い僕らが産まれた
親の親が出会い親が産まれた
そしてそれは最初の人間まで遡ることができる
いや、最初の人間まで遡るのは反則だね
遺伝子の中にはミトコンドリアDNAというものがあるのだが
通常遺伝子は父・母から半分ずつ受け継がれるのだが、このミトコンドリアDNAは母親からしか受け継がない
つまりこのDNAを辿っていけば最初の女性に行き着くことができる(そしてその女性はミトコンドリア・イヴと呼ばれている)
現在の研究の結果、全ての現代人は20万年前のアフリカに住んでいた女性のミトコンドリアDNAを受け継いでいることまでわかっている
このミトコンドリア・イヴから派生する全てが今の僕らを存在させているのです
それはとても壮大な話で想像すらできませんが
それほど僕らは奇跡なのです
その奇跡と奇跡が出会えば、そりゃもう超奇跡ですよ
もはや出会うはずなどなかったレベル
だがしかし出会っている事実
そこには奇跡を超える何かがあり、それが僕らを引きあわせたのでしょう
つまり君がチミンで僕はアデニ…
そう、ヌクレオチドなのだよ
つまるところ、劣等感の塊みたいな僕にとってあなた方との繋がりは
唯一自信を持てる誇りみたいなものなのです
これは各人から繋がるそれぞれの点の集合体ごとで言えるのだろうが
それでも僕は今の繋がりが最高だと思うし
それで何も問題ない
類は友を呼ぶとも言いますが
そうだとすれば
あなた方を最高だと思うことは必然的に自分の肯定にも繋がる
自分を肯定したいからあなたを最高と思うのではなく
あなたが最高だから隣にいる僕を肯定することができる
あくまで個人は独立していて、最終的には一人ぼっちではある
だがしかし存在価値は相対的に確立されるのではないかと思う
ある一定の絶対的価値みたいなものももちろん存在しているだろうが
その人の価値を測るうえでそういった繋がりは大いに反映されるでしょう
とはいっても各人を同じ天秤に乗せることはできないわけで
進化論的にもそういった多様化は必要なわけで
つまり結局は孤独に行き着くのかもしれない
だけどやっぱりこの繋がりは大切だし、価値あるものだし、自分の存在の確認である
いや、自分の存在を他人に依存しているわけではない
デカルト先生の言う「我思う、ゆえに我あり」だ
自分を取り巻く全てが虚像だとしても、自分の存在を疑う意識の存在は否定出来ない
懐疑的思考の中に存在を確認できる
外的・内的要因を足して証明であり価値なのだ
といった感じで、またもや訳の解らん話になってしまったが
これは取ってつけたような議題に対してのただの言葉遊びではない
哲学なのだ!!
と、話変わって、先日海の中道に行きました
動物の森に行きました
「この檻から出してくれ」と荒れ狂うブタさんもいましたが
自由と引き換えに安定を手に入れた動物たちはとても穏やかで
とても癒されました
やはり僕としては荒れ狂うブタさんに惹かれるわけですが
もがき苦しむその姿は悲哀に満ちていて
とても悲しくなりました
しかしながらその鎖引きちぎり、自由へと闊歩するブタさんを想像すると
とてもカッコイイです
まさかブタさんに教えられるとは
僕もまだまだです
師匠はブタさん
尾崎豊ばりの自由への渇望を胸に
荒れ狂う金内をご期待ください

春爛漫 絢爛豪華に 狂い咲け!!
「永遠の勝利まで、祖国か死か
ありったけの革命的情熱を込めて
君を抱擁する」
チェ・ゲバラ
僕は彼のファンです
だけど熱狂的なファンってなわけでもなく、まぁ普通のミーハー的ファンです
何がカッコイイってこの有名な写真

めちゃめちゃカッコイイ
これだけで好きになってしまう
彼はアルゼンチンに生まれ、喘息持ちながらスポーツや旅に精を出す
さらに秀才で、通常6年の課程を3年で卒業し、医師の免許を取得している
そんな彼が旅先でカストロと出会い、革命に参加する
これが有名な「キューバ革命」
(ちなみにカストロも秀才で、元弁護士
だから演説なんかはカストロ担当だったらしい)
そんで革命達成後は中央銀行総裁や工業大臣を任されるが
カストロに手紙を書き、ボリビアへと旅立つ
これが有名な「別れの手紙」
そんでボリビアにてゲリラ部隊とともに捕らえられ、処刑されたわけです
正真正銘の革命家
それがチェ・ゲバラということですね
かなり走り書きなんで大部分を省略してるけど
少しでも興味が湧いた方はwikipediaで調べてみてください
さて、僕は実家に住んでるわけですが、実家の車が買い替え時ということでその相談を親父から受けた去年の暮れ
僕も乗ることになるので、気を使ってくれたのだろう
僕は「車種にこだわりはないから親父の好きにしたらいい。ただ色だけは買うときに相談してくれ」
と言っていました
というのも、うちの親父はセンスがない
元横浜ベイスターズ4番、駒田選手の守備ぐらいセンスがないのである
例えば出張で東京に度々行くのだが、お土産は必ず「東京バナナ」
いや、これはいいとして
数年前アメリカへ旅行に行ったときは「USA」とプリントされたボールペン
香港に出張に行ったときなんかは何を考えたのか、日本のお菓子を買ってきやがった
もはやお土産じゃない
たまに飯食いに行くときは
「その足首がキュッってなっとるジャージくっそダサいよ」
「もはやTシャツのセンスは問わないが、ビールっ腹が目立つけんもうちょいダボッとしたやつのほうがいいよ」
「いや、ウエストポーチは勘弁してくれ。っつーか先ほどの指摘が全く生かされていない」
ってのがもはやテンプレと化しているぐらいセンスがないのである
~1月某日~
親父「この車にしようかと考えとる」
なになに?ホンダのフィットか
何の問題もない。
僕「色はどれにするつもり?」
親父「シルバーにしようかと」
僕「う~ん…別にいいんやけど今の車がシルバーやし、黒か白の方が良くない?」
親父「それもそうやな。考えとく」
別にシルバーでもいいし、全く問題ない感じだった
のだが…
~三日後~
僕「おはよう」
かぁちゃん「おはよう。そーいえばお父さん今車の契約に行ってるみたいよ」
僕「あぁ、ホンダのフィットやろ?まぁ親父にしては良いセンスを…」
かぁちゃん「あれ?トヨタに行ってるよ?」
!!!!!!!!!
かぁちゃん「やっぱりトヨタのアクアってやつにするって言ってたけど」
バカな!!
アクア…知ってるぞ…トヨタ謎の水色プッシュの新車じゃないか
マ ズ イ !!
プルルル…プルルル…
親父「はい、もしもし」
僕「もしもしじゃねーし。今契約中?」
親父「おぉそうや。トヨタのアクアってやつにするぞ」
僕「それ自体は問題ないんだ。親父…色は?」
親父「ん?水色にするぞ」
僕「オーケー。契約は一時中断して、一旦帰ってきて欲しい」
親父「なんで?」
僕「お願いだから…水色は勘弁してくれ…」
ってな感じで、危機一髪水色だけは避けることができた次第であります
ついでにiPodを直接繋げられるカーナビにもしてもらいました
そんなこんなで納車が近づくアクアですが、僕としてもかなり楽しみで
言わずもがな親父も浮き足立ってきております
何か新しいことってワクワクするよね
4月に入り、やっと春らしくなってきた今日この頃ですが
やはり今年も出会いと別れがあるわけですよ
新たなスタートの立会人みたいな気持ちもあるのだが
走り出したその背中はとても大きくて
そんな大きな背中がだんだん小さくなるわけで
とっても淋しいわけで…
だけどそれよりワクワクするわけですよ
この人はこの先どうなっていくのだろうと考えるとものすごくワクワクする
税理士事務所に就職が決まった某友人には直接お祝いしたくて飯に誘ったのだが断られました
っつかその情報をfacebook上で知ったときはショックやったぞ!!なんか「その他友人」になった気分やったぞ!!おめでとう頑張れ!!近々飯食いに行くぞ!!
税金の恩恵をもろに受けることになった某先輩には宇宙一の「ありがとうございます」を送りたい
これはもう本当に「ありがとうございます」しか言えない
僕はあなたにとって良き後輩であれたのでしょうか
こんな話をすると「全て繋がっている」ことを再認識できる
「あのときのあの選択は正解だったのだろうか…」なんて悩みはナンセンス
それは今の自分が決定することなのだ
今の自分が死にたくなるほどダメな人間なのであれば、その選択は間違いだった可能性がある
しかしそれはあくまで「現時点」の話
死ぬ間際に「いい人生だった」と思えれば、その人生における全ての選択は正解だったと言えるのではないだろうか
だって「全ては繋がっている」のだから
つまり「過去に学び未来に活かせ」ということだろう
そしてあらゆる選択を未来の自分が肯定してやれ、ということ
そのために今の自分ができることを見定め、実行することが大事
個人的なことを言えば、高校の選択ミスで甘酸っぱい青春を失ったことや大学卒業で就職しなかったこと
それらを後悔したくない
だってそれによって出会った人たちがいるから
その出会いを絶対に否定したくない
みんなにありがとうと言いたい
そんな未来をこの手で創造しなくてはならないのだ!!
とまぁこんなことを考えていました
そんな素敵な春です
月夜に歌う虫ケラ
羽を開いて
光の射す方へ!!
ありったけの革命的情熱を込めて
君を抱擁する」
チェ・ゲバラ
僕は彼のファンです
だけど熱狂的なファンってなわけでもなく、まぁ普通のミーハー的ファンです
何がカッコイイってこの有名な写真

めちゃめちゃカッコイイ
これだけで好きになってしまう
彼はアルゼンチンに生まれ、喘息持ちながらスポーツや旅に精を出す
さらに秀才で、通常6年の課程を3年で卒業し、医師の免許を取得している
そんな彼が旅先でカストロと出会い、革命に参加する
これが有名な「キューバ革命」
(ちなみにカストロも秀才で、元弁護士
だから演説なんかはカストロ担当だったらしい)
そんで革命達成後は中央銀行総裁や工業大臣を任されるが
カストロに手紙を書き、ボリビアへと旅立つ
これが有名な「別れの手紙」
そんでボリビアにてゲリラ部隊とともに捕らえられ、処刑されたわけです
正真正銘の革命家
それがチェ・ゲバラということですね
かなり走り書きなんで大部分を省略してるけど
少しでも興味が湧いた方はwikipediaで調べてみてください
さて、僕は実家に住んでるわけですが、実家の車が買い替え時ということでその相談を親父から受けた去年の暮れ
僕も乗ることになるので、気を使ってくれたのだろう
僕は「車種にこだわりはないから親父の好きにしたらいい。ただ色だけは買うときに相談してくれ」
と言っていました
というのも、うちの親父はセンスがない
元横浜ベイスターズ4番、駒田選手の守備ぐらいセンスがないのである
例えば出張で東京に度々行くのだが、お土産は必ず「東京バナナ」
いや、これはいいとして
数年前アメリカへ旅行に行ったときは「USA」とプリントされたボールペン
香港に出張に行ったときなんかは何を考えたのか、日本のお菓子を買ってきやがった
もはやお土産じゃない
たまに飯食いに行くときは
「その足首がキュッってなっとるジャージくっそダサいよ」
「もはやTシャツのセンスは問わないが、ビールっ腹が目立つけんもうちょいダボッとしたやつのほうがいいよ」
「いや、ウエストポーチは勘弁してくれ。っつーか先ほどの指摘が全く生かされていない」
ってのがもはやテンプレと化しているぐらいセンスがないのである
~1月某日~
親父「この車にしようかと考えとる」
なになに?ホンダのフィットか
何の問題もない。
僕「色はどれにするつもり?」
親父「シルバーにしようかと」
僕「う~ん…別にいいんやけど今の車がシルバーやし、黒か白の方が良くない?」
親父「それもそうやな。考えとく」
別にシルバーでもいいし、全く問題ない感じだった
のだが…
~三日後~
僕「おはよう」
かぁちゃん「おはよう。そーいえばお父さん今車の契約に行ってるみたいよ」
僕「あぁ、ホンダのフィットやろ?まぁ親父にしては良いセンスを…」
かぁちゃん「あれ?トヨタに行ってるよ?」
!!!!!!!!!
かぁちゃん「やっぱりトヨタのアクアってやつにするって言ってたけど」
バカな!!
アクア…知ってるぞ…トヨタ謎の水色プッシュの新車じゃないか
マ ズ イ !!
プルルル…プルルル…
親父「はい、もしもし」
僕「もしもしじゃねーし。今契約中?」
親父「おぉそうや。トヨタのアクアってやつにするぞ」
僕「それ自体は問題ないんだ。親父…色は?」
親父「ん?水色にするぞ」
僕「オーケー。契約は一時中断して、一旦帰ってきて欲しい」
親父「なんで?」
僕「お願いだから…水色は勘弁してくれ…」
ってな感じで、危機一髪水色だけは避けることができた次第であります
ついでにiPodを直接繋げられるカーナビにもしてもらいました
そんなこんなで納車が近づくアクアですが、僕としてもかなり楽しみで
言わずもがな親父も浮き足立ってきております
何か新しいことってワクワクするよね
4月に入り、やっと春らしくなってきた今日この頃ですが
やはり今年も出会いと別れがあるわけですよ
新たなスタートの立会人みたいな気持ちもあるのだが
走り出したその背中はとても大きくて
そんな大きな背中がだんだん小さくなるわけで
とっても淋しいわけで…
だけどそれよりワクワクするわけですよ
この人はこの先どうなっていくのだろうと考えるとものすごくワクワクする
税理士事務所に就職が決まった某友人には直接お祝いしたくて飯に誘ったのだが断られました
っつかその情報をfacebook上で知ったときはショックやったぞ!!なんか「その他友人」になった気分やったぞ!!おめでとう頑張れ!!近々飯食いに行くぞ!!
税金の恩恵をもろに受けることになった某先輩には宇宙一の「ありがとうございます」を送りたい
これはもう本当に「ありがとうございます」しか言えない
僕はあなたにとって良き後輩であれたのでしょうか
こんな話をすると「全て繋がっている」ことを再認識できる
「あのときのあの選択は正解だったのだろうか…」なんて悩みはナンセンス
それは今の自分が決定することなのだ
今の自分が死にたくなるほどダメな人間なのであれば、その選択は間違いだった可能性がある
しかしそれはあくまで「現時点」の話
死ぬ間際に「いい人生だった」と思えれば、その人生における全ての選択は正解だったと言えるのではないだろうか
だって「全ては繋がっている」のだから
つまり「過去に学び未来に活かせ」ということだろう
そしてあらゆる選択を未来の自分が肯定してやれ、ということ
そのために今の自分ができることを見定め、実行することが大事
個人的なことを言えば、高校の選択ミスで甘酸っぱい青春を失ったことや大学卒業で就職しなかったこと
それらを後悔したくない
だってそれによって出会った人たちがいるから
その出会いを絶対に否定したくない
みんなにありがとうと言いたい
そんな未来をこの手で創造しなくてはならないのだ!!
とまぁこんなことを考えていました
そんな素敵な春です
月夜に歌う虫ケラ
羽を開いて
光の射す方へ!!
偽物語
世界一有名な銅像と言えばこれでしょう

ロダン作 「考える人」
さて、この人が何をこんなに考えているのかご存知でしょうか
答えはロダンのもう一つの代表作「地獄の門」にあります

これも見たことがあるはず
これの中央上部に

ほら!!考える人!!
そして彼の後ろには人が
正面左にはどこからか落ちてくる人
右には地獄へと堕ちる人
つまり「考える人」は地獄の番人、閻魔大王みたいなもので、死んだ人を地獄へ堕とすかどうかを考え悩んでいるのである
暖かな昼下がり
僕は彼と同じ格好で考え悩む
唯一彼と違うのは、考えていることが「地獄か天国か」ではなく
「本物か偽物か」
ということ
先日友人と高級ヘッドフォンを買いに行きました
前々からこのブログでも書いているように、僕はヘッドフォンがずっと欲しかったのである
そんで結構調べていたのだが、いかんせん実際に聴いてみないことには買えない
友人の情報により、博多の電気屋で自分のiPodに繋いで試聴できることを知り急行した
調べつくした候補のやつはすぐに見つかりさっそく試聴
き…綺麗だ…これください!!
とはなりません
僕は慎重な男
どれぐらい慎重かというと、飯食いに行くとなれば決まって今まで行ったことがある店
頼むものも間違いないやつ
つまり冒険しない、超保守的な男なのである
ということでいろいろ試聴
ゼンハイザー、オーディオテクニカ、SHUREなど事前の調査に基づき移動していると知らないメーカーを発見
MonsterCableというやつ
とりあえず試聴
!!!!
めっちゃいいやん!!
即決でした
しかし金額が49800円
たかっ!!
さすがにそんなに出せません
そんなときはドラえもんばりに頼りになるAmazonさん
もはやドラえもん以上とも言ってもいいAmazonさんは、やはり素晴らしい
中古ながら25000円で売っているのである
いや、25000円でも十分にお高いのだが、49800の後に25000を提示されると安いと錯覚するよね
ソッコーでポチってやったわけだ
届くまでに5日以上かかるみたいなので、そのヘッドフォンについていろいろ調べていると衝撃的な事実が
それは偽物が出回っている
それも大量に!!
…大体の条件を調べると「新品30000以下は偽物と思ったほうがいい」らしい…
僕が買ったのは中古で25000円
微妙なラインだが、ものごっつ心配になる
そして今日、問題のヘッドフォンが届きました
本来であればワクワクしながら開封するのだろうな、と欺瞞に満ちた開封作業も非常に寂しい
見た目は完全に本物
公式のページで付属品を比べながら細かくチェック
うん、全部一緒だ
肝心な音は…
と、ここで最初に話が戻る
お世辞にも筋骨隆々とは言えぬ貧相な体をくねらせ(全裸ではない)
右肘を左膝というなんとも窮屈な姿勢
視聴したときと同じ曲を聞きながらの険しい表情は
ロダンにとってもきっとモデルの対象となりえるのではないだろうか
「本物か…偽物か…」
分からん!!
完全に偽物バイアスのかかった僕の脳は正確な判断ができない!!
試聴のときの感想は低音がいい感じで綺麗な高音
つまりはドンシャリと呼ばれる音
確かに低音、とくにベースラインは綺麗に聴き取れる
だけど本物かどうかの判断材料としては希薄過ぎる
いや、間違いなくこれまでのヘッドフォンよりいい音であるのは間違いない
それでいいのか?
これでいいのでしょうか?
うーむ…
こればっかしは本物と聴き比べるしか判断できない
しかし確かなことはBOOM BOOM SATELLITESみたいなクラブミュージックが格段にかっこ良く聴けるということ
まぁ見た目のかっこ良さも大きな要因だったし、後悔はない
どちらかといえば満足している
「もしかしたら偽物かもしれない本物」
という希望的観測でいいじゃないか!!
今回の件で得た教訓
「安心は金で買え!!」
ということです
みんなもブランドものに手を出すときは気を付けてね!!


ロダン作 「考える人」
さて、この人が何をこんなに考えているのかご存知でしょうか
答えはロダンのもう一つの代表作「地獄の門」にあります

これも見たことがあるはず
これの中央上部に

ほら!!考える人!!
そして彼の後ろには人が
正面左にはどこからか落ちてくる人
右には地獄へと堕ちる人
つまり「考える人」は地獄の番人、閻魔大王みたいなもので、死んだ人を地獄へ堕とすかどうかを考え悩んでいるのである
暖かな昼下がり
僕は彼と同じ格好で考え悩む
唯一彼と違うのは、考えていることが「地獄か天国か」ではなく
「本物か偽物か」
ということ
先日友人と高級ヘッドフォンを買いに行きました
前々からこのブログでも書いているように、僕はヘッドフォンがずっと欲しかったのである
そんで結構調べていたのだが、いかんせん実際に聴いてみないことには買えない
友人の情報により、博多の電気屋で自分のiPodに繋いで試聴できることを知り急行した
調べつくした候補のやつはすぐに見つかりさっそく試聴
き…綺麗だ…これください!!
とはなりません
僕は慎重な男
どれぐらい慎重かというと、飯食いに行くとなれば決まって今まで行ったことがある店
頼むものも間違いないやつ
つまり冒険しない、超保守的な男なのである
ということでいろいろ試聴
ゼンハイザー、オーディオテクニカ、SHUREなど事前の調査に基づき移動していると知らないメーカーを発見
MonsterCableというやつ
とりあえず試聴
!!!!
めっちゃいいやん!!
即決でした
しかし金額が49800円
たかっ!!
さすがにそんなに出せません
そんなときはドラえもんばりに頼りになるAmazonさん
もはやドラえもん以上とも言ってもいいAmazonさんは、やはり素晴らしい
中古ながら25000円で売っているのである
いや、25000円でも十分にお高いのだが、49800の後に25000を提示されると安いと錯覚するよね
ソッコーでポチってやったわけだ
届くまでに5日以上かかるみたいなので、そのヘッドフォンについていろいろ調べていると衝撃的な事実が
それは偽物が出回っている
それも大量に!!
…大体の条件を調べると「新品30000以下は偽物と思ったほうがいい」らしい…
僕が買ったのは中古で25000円
微妙なラインだが、ものごっつ心配になる
そして今日、問題のヘッドフォンが届きました
本来であればワクワクしながら開封するのだろうな、と欺瞞に満ちた開封作業も非常に寂しい
見た目は完全に本物
公式のページで付属品を比べながら細かくチェック
うん、全部一緒だ
肝心な音は…
と、ここで最初に話が戻る
お世辞にも筋骨隆々とは言えぬ貧相な体をくねらせ(全裸ではない)
右肘を左膝というなんとも窮屈な姿勢
視聴したときと同じ曲を聞きながらの険しい表情は
ロダンにとってもきっとモデルの対象となりえるのではないだろうか
「本物か…偽物か…」
分からん!!
完全に偽物バイアスのかかった僕の脳は正確な判断ができない!!
試聴のときの感想は低音がいい感じで綺麗な高音
つまりはドンシャリと呼ばれる音
確かに低音、とくにベースラインは綺麗に聴き取れる
だけど本物かどうかの判断材料としては希薄過ぎる
いや、間違いなくこれまでのヘッドフォンよりいい音であるのは間違いない
それでいいのか?
これでいいのでしょうか?
うーむ…
こればっかしは本物と聴き比べるしか判断できない
しかし確かなことはBOOM BOOM SATELLITESみたいなクラブミュージックが格段にかっこ良く聴けるということ
まぁ見た目のかっこ良さも大きな要因だったし、後悔はない
どちらかといえば満足している
「もしかしたら偽物かもしれない本物」
という希望的観測でいいじゃないか!!
今回の件で得た教訓
「安心は金で買え!!」
ということです
みんなもブランドものに手を出すときは気を付けてね!!

