アラフォーULKAAの韓国語◆上級以上 通訳者以下

アラフォーULKAAの韓国語◆上級以上 通訳者以下

上級はとうの昔に終了してもネイティブや通訳者という高レベルには程遠く
ハムスターのごとく車輪を回り続けるアラフォーULKAAのブログ

【ULKAAの韓国語勉強史】


◎1997年2月→ベトナムを旅行中に韓流ブームを目にする。街中は「チェ・ジンシルメイク」      

           (=唇お化け)に韓国企業だらけで圧倒されるも、深夜タクシー帰りが続く  

           慣れない社会人生活や他の趣味もあり、韓国語の勉強までは追いつかず。

           ちょうど初めて韓国に行ったのもこの時期。

           「落としましたよ!」など声をかけて物を売りつける商人にうんざり。

           こんなアイドルはやってんだ~、くらいの日常。         
◆2005年2月→無職になったのを機会に独学でとりあえず参考書を1冊こなして、
           10日くらい
ソウルに行ってみた。メニューは読めるも意味不明。
           そして韓国サラリーマンが
相変わらず刈上げ&眼鏡で、昼ご飯の後は

           バーアイスを舐めながら職場に戻っていく姿に衝撃を受ける。
◆2005年7月→これ以上は独学じゃダメだ、と思い学校に通うことにする。

           当時は渋谷にあった日本語学校のアークの韓国語部門。

           この時期に知人に声をかけてもらって再就職。

           3か月に1回くらいのペースで渡韓し、友人もできる。

◆2007年末 →日本語教師の資格もとり、ここまでやったんだからちゃんと韓国にいこう!

           が、半年しか滞在できないことになり「就職」から「留学」に。

           100円860₩時代で学費が安く、バスがあって坂を上らなくていい
           
成均館大学の語学堂の5級に合流。
◆2008年6月→成均館大学の語学堂を修了、帰国。

◎2009年春 →知人が大田から出てくることになり「行ったら泊める」ことを条件に一緒に

           部屋を借りることに。(弘益大)

◆2010年ごろ→韓国語を忘れないために○Kブリッジで個人レッスンを受ける。
           発音やイントネーション
に大きな問題があることを悟る。

◆2011年ごろ→個人レッスンは金額的にも負担で、グループレッスンの○○○学院へ。

           しかし既に終えているテキストの授業で半年ほどで飽きることに。

◎2011年春 →引っ越し(大学路)

◆2012年から→再び○Kブリッジにもどって通訳翻訳コースに(~現在)。

◎2015年春 →引っ越し(水逾) ※日本在住

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先日のTV朝鮮「強敵たち」119話からのラーメンの話の続きになります


日本発祥のインスタントラーメン一つで、ちょっとした会話の小ネタになりますね


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さて、三養ラーメンの登場で米3800数石分を補ったとか


は100升=180リットルでお米だと144キロですね


韓国の米袋は日本より少し大きくて


쌀가마니1袋は80キロです


日本の一俵60キロです








・ロッテラーメン
・東明食品
・鶏票ラーメン


などの競合会社が誕生しても


三養ラーメンは80年代前半まで市場占有率がなんと80%












さて、現在は企業名として知られている「農心」ですが

当時は商品名でした





なんとロッテ工業のラーメン名だったそう


ロッテの総括会長のシン・ギョクホ(重光武雄)氏の弟が社長だったのですが




1971年発売の牛肉ラーメンが大人気になります




これにより市場占有率が10%台→22.7%


日本式の鶏だしから韓国式の牛のだしになりました





しかしっ

ここでも身内騒動が起こります




お兄さんが弟に「日本と韓国は違う、ラーメン事業はするな!」



でも弟は感が良くラーメンをやると主張して



兄さんに「ロッテの冠を使わせない」といわれて「農心」になったそう




へ~!




そして続々ヒット商品を発売します


ノグリ、鉢(サバル)麺、安城湯麺、チャパゲッティ…








そしてついに国民ラーメンともいえる「辛ラーメン」が誕生します






市場占有率はついに1位に


さて、辛ラーメンの袋麺を買うと麺にいのと四角いのがありますよね


工場が違って味も少し違うそうです


→私は比較したことがないのでわかりません




発売当時はこの辛い味だけでなく名称やデザインもセンセーショナルでした


それまで材料が商品名になることが多かったのに一文字だけを名前にしました


しかも漢字です


漢字を商品名に使うと反感を買うということで一般的ではありませんでした


これもシン・チュノ(チュンホ)会長のアイデアだそう


ちなみにこのファミリーのシン姓は「申」ではなく「」さん


当時、商標登録は必ずハングルでないといけなかったのですが


その規定すら変えることになりました








辛ラーメンの市場占有率が50%以になるほど成長しました










88年のソウルオリンピックの公式スポンサーになり


世界的にも有名になりました


→私的にはやっぱり世界でよく見かけたのはカップヌードルや出前一丁ですけどね







今ではチリや日本のコンビニでも売られるようになりました