ついにやってしまいました。
凍った道で滑ってしまいました。
34w2d、土曜の夜の出来事です。
幸いどこも打たなかったのですが、
思いっきり開脚してしまいました。(横に)
身体の固い私にとっては、限界を超えた開脚でした。
フィギュアスケート並みに、見事にツル―っと。
よりによって妊娠中に。
しかも、恥骨を痛めているこのタイミングで。
どうしてこんなにも痛んでいるところに、とどめの一発加えちゃったかな。
むぉーーーっ!!
と声をあげて、股間を押さえたまましばし悶絶。
(そんな私の状態を見ても、相変わらず無反応なパパ(笑))
これが一瞬の痛みで済むと思いたい。
時間が経てば治まると思いたい。
頭の中でそう祈りながら、
痛みが治まるのを待ち、気持ちを落ち着かせました。
お友達が玄関のとこで待っててくれてたので、
「とりあえず行かなきゃ」と、
必死でパパの腕を掴み、一歩一歩階段を上がりましたが、
足を上げる度に股間に走る鋭い痛み・・・
これは大変なことになっちゃったかも。。と感じ始めました。
その後はずっとソファに座らせてもらっていたけれど、痛みは治まらず。
座っていてもズキンズキンと痛む。
ましてや、立ち上がろうとした瞬間なんて、股間に電気のような痛みが走ります。
何をするにも、あまりにも無様な動きだったので、
みんなに心配をかけてしまいました・・・
帰りの車に乗る時は、お友達に肩をだいてもらって歩くほど。
もう一人では歩けないほど、痛みは限界(;_;)
最後は、みなさん総出で私達の車を見送ってくださいました・・・
楽しかった集まりに水を差すような最後でした。。
(もーほんと、心配と迷惑をかけてしまって情けない・・)
車に乗り込んだ後は、痛みで震えが来てしまっていました。
運転中の振動すら恥骨に響いて、思わず声が出てしまう程。
恥骨離開・・
そんな言葉が頭をよぎりました。
気を付けていたはずなのに、
もしかしたらやっちゃったかも・・・
その日は、着替えは勿論、靴を脱ぐのでさえ、パパにやってもらうほど、
一人では何もできない状態でした。
ほんのちょっとでも足を上げることが、痛くて痛くてできない。
夜中に頑張ってトイレへ行った時は、
ベッドに戻ってくるまでに30分かかりました。
しかも一人じゃベッドに上がれなくて、
リビングのソファで寝ました。
痛くて1時間しか眠れなかったけど。
とにかく、横になるのも、起き上がるのも、すごい時間がかかります。
いっそのことずっと立っていようか、と思ってしまうほど。
もうあの痛みが、怖くて怖くて、
できれば動きたくなかった。
でも朝になったら、昨日よりは歩行が楽になっていました。
壁伝いでないと歩けなかったけど。
それに、動き方や体制によっては痛みをそれ程感じなくて済むということに気付き、
それを模索するようになりました。
これを発見した時は救われました。
時間はかかりますが、
なるべく痛みを感じないように動くことを心がけました。
(とはいえ、まだまだ、いでででで!となることの方が多かったけど。)
事故から一日も経つと、
壁伝いでなくても歩けるようになってきて、
良くなってきている!と少しずつ自信がついてきました。
だけどまだ普通の生活はできず。
重いもの持っただけで恥骨に響きます。
豆乳とか(笑)
歩くのも、一歩一歩、恐る恐る。
翌日は月曜でしたが、パパが仕事を休んでくれることに。
美咲の送り迎えもしてくれることになり、本当に有難かった。
学校休ませようと思っていたから。
一日寝かせてもらい、身体は更に回復しました。
歩くのもだいぶ楽になりました。
その日の夜には、床に座れるようになりました。
そして、ベッドに上がることも、
寝たり、起き上がったりすることも、ずいぶんとスムーズにできるようになりました。
夜中の寝返りがだいぶ楽になったことには驚きでした。
でもまだまだ、動き始めは時間がかかります。
いつも通りの生活には程遠いです。
ちなみに、歩き方はペンギン歩きです。
そして、つま先立ちの方が楽に歩ける気がします。
結局パパは、
その後、火曜、水曜と午後半休を取ってくれました。
美咲の送り迎えもやってくれました。
嬉しい事に、私から頼んだわけでもなく、パパ自ら、進んで申し出てくれました。
これには本当に感謝、そして感動でした。
そしてこの数日、
お友達がおかずを作って届けてくれたり、
妊婦でも飲める痛み止めをくれたり、
食材を買ってきてくれたり、
本当にたくさん、助けてくれました(;_;)
こんなにも助け合い精神あふれるボストンでの生活。
正直、日本で生活するよりも心強いかも。(わたし、実家遠かったし)
こういう絆の強さ、簡単には築けないと思います。
海外で生活するからこそ、なんでしょうね。
当たり前のように助け合う習慣、素晴らしいです・・・
私もみんなの力になりたい。と、固く決意したこのボストン恥骨事件でした。
周りにいてくれる全ての人達に、心から感謝いたします。
本当にどうもありがとう。
そしてパパ。
将来は私が介護するからね(笑)
凍った道で滑ってしまいました。
34w2d、土曜の夜の出来事です。
幸いどこも打たなかったのですが、
思いっきり開脚してしまいました。(横に)
身体の固い私にとっては、限界を超えた開脚でした。
フィギュアスケート並みに、見事にツル―っと。
よりによって妊娠中に。
しかも、恥骨を痛めているこのタイミングで。
どうしてこんなにも痛んでいるところに、とどめの一発加えちゃったかな。
むぉーーーっ!!
と声をあげて、股間を押さえたまましばし悶絶。
(そんな私の状態を見ても、相変わらず無反応なパパ(笑))
これが一瞬の痛みで済むと思いたい。
時間が経てば治まると思いたい。
頭の中でそう祈りながら、
痛みが治まるのを待ち、気持ちを落ち着かせました。
お友達が玄関のとこで待っててくれてたので、
「とりあえず行かなきゃ」と、
必死でパパの腕を掴み、一歩一歩階段を上がりましたが、
足を上げる度に股間に走る鋭い痛み・・・
これは大変なことになっちゃったかも。。と感じ始めました。
その後はずっとソファに座らせてもらっていたけれど、痛みは治まらず。
座っていてもズキンズキンと痛む。
ましてや、立ち上がろうとした瞬間なんて、股間に電気のような痛みが走ります。
何をするにも、あまりにも無様な動きだったので、
みんなに心配をかけてしまいました・・・
帰りの車に乗る時は、お友達に肩をだいてもらって歩くほど。
もう一人では歩けないほど、痛みは限界(;_;)
最後は、みなさん総出で私達の車を見送ってくださいました・・・
楽しかった集まりに水を差すような最後でした。。
(もーほんと、心配と迷惑をかけてしまって情けない・・)
車に乗り込んだ後は、痛みで震えが来てしまっていました。
運転中の振動すら恥骨に響いて、思わず声が出てしまう程。
恥骨離開・・
そんな言葉が頭をよぎりました。
気を付けていたはずなのに、
もしかしたらやっちゃったかも・・・
その日は、着替えは勿論、靴を脱ぐのでさえ、パパにやってもらうほど、
一人では何もできない状態でした。
ほんのちょっとでも足を上げることが、痛くて痛くてできない。
夜中に頑張ってトイレへ行った時は、
ベッドに戻ってくるまでに30分かかりました。
しかも一人じゃベッドに上がれなくて、
リビングのソファで寝ました。
痛くて1時間しか眠れなかったけど。
とにかく、横になるのも、起き上がるのも、すごい時間がかかります。
いっそのことずっと立っていようか、と思ってしまうほど。
もうあの痛みが、怖くて怖くて、
できれば動きたくなかった。
でも朝になったら、昨日よりは歩行が楽になっていました。
壁伝いでないと歩けなかったけど。
それに、動き方や体制によっては痛みをそれ程感じなくて済むということに気付き、
それを模索するようになりました。
これを発見した時は救われました。
時間はかかりますが、
なるべく痛みを感じないように動くことを心がけました。
(とはいえ、まだまだ、いでででで!となることの方が多かったけど。)
事故から一日も経つと、
壁伝いでなくても歩けるようになってきて、
良くなってきている!と少しずつ自信がついてきました。
だけどまだ普通の生活はできず。
重いもの持っただけで恥骨に響きます。
豆乳とか(笑)
歩くのも、一歩一歩、恐る恐る。
翌日は月曜でしたが、パパが仕事を休んでくれることに。
美咲の送り迎えもしてくれることになり、本当に有難かった。
学校休ませようと思っていたから。
一日寝かせてもらい、身体は更に回復しました。
歩くのもだいぶ楽になりました。
その日の夜には、床に座れるようになりました。
そして、ベッドに上がることも、
寝たり、起き上がったりすることも、ずいぶんとスムーズにできるようになりました。
夜中の寝返りがだいぶ楽になったことには驚きでした。
でもまだまだ、動き始めは時間がかかります。
いつも通りの生活には程遠いです。
ちなみに、歩き方はペンギン歩きです。
そして、つま先立ちの方が楽に歩ける気がします。
結局パパは、
その後、火曜、水曜と午後半休を取ってくれました。
美咲の送り迎えもやってくれました。
嬉しい事に、私から頼んだわけでもなく、パパ自ら、進んで申し出てくれました。
これには本当に感謝、そして感動でした。
そしてこの数日、
お友達がおかずを作って届けてくれたり、
妊婦でも飲める痛み止めをくれたり、
食材を買ってきてくれたり、
本当にたくさん、助けてくれました(;_;)
こんなにも助け合い精神あふれるボストンでの生活。
正直、日本で生活するよりも心強いかも。(わたし、実家遠かったし)
こういう絆の強さ、簡単には築けないと思います。
海外で生活するからこそ、なんでしょうね。
当たり前のように助け合う習慣、素晴らしいです・・・
私もみんなの力になりたい。と、固く決意したこのボストン恥骨事件でした。
周りにいてくれる全ての人達に、心から感謝いたします。
本当にどうもありがとう。
そしてパパ。
将来は私が介護するからね(笑)