○ 医療過誤
1 被侵害利益
(1)生命
(2)適切な診療を受けることへの期待権(期待利益)
副作用の大きいβではなく、たとえ治療効果が期待できなかったとしてもαを用いての治療を受けることをAが期待しており、その期待が保護に値するということになる。
⇒ 財産的損害はなく、慰謝料請求にとどまる。
(3)延命利益(生存可能性):最判平12年9月22日民集54巻7号2574頁
生命を維持することは、人にとって最も基本的な利益であって、その可能性は法によって保護される利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたものということができる。医療過誤がなければ生きていた時点に、医療過誤のため生存していない、このような場合には延命利益が侵害されたということになる。単に期待を裏切られたわけではなく、命を長らえるという法益の侵害であるので、財産的損害もありえる。ただし、判例は慰謝料請求しか認めていない。
(4)検討の順序:
生命侵害→延命利益侵害→期待権侵害の順で考える。
2 過失
診療行為における医師の過失が問題となる場合には、患者の生命・身体・健康を管理するというその職務の性質に鑑みて、高度の注意義務が要求されることもやむを得ず、具体的には、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を尽くすことが要求される。
そして、その注意義務の基準となるものは、一般的には、過失の判断基準時である、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最判昭和57年3月30日判時1039-66)。また、臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準であると考えるべきものではなく、診療にあたった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して類型的に決せられると解する(最判平成7年6月9日民集49-6-1499)。
3 因果関係
因果関係の証明度については、当該過失行為から患者の生命・身体・健康への侵害という結果が生じたことが通常人が疑いを差し挟まない程度の高度の蓋然性をもって証明されれば足り、自然科学的に一点の疑義もない証明である必要はない(最判昭50.10.24民集29-9-1417:東大病院ルンバールショック事件)。
不作為の因果関係の判断については、作為義務を観念した上で、当該作為義務が尽くされていれば当該結果は生じなかったかで判断する。判例も「医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、石の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定される」としている(最判平11.2.25民集53-2-235)。
4 説明義務違反
(1)説明義務の内容
医師は、たとえある治療措置が当該患者にとって適切であると判断したからといって、あるいはそもそも医療水準に即した措置として当該措置が確立しているからといって、患者の同意(承諾)がなければその措置を行うことはできない(専断的医療行為の禁止)。同意なしに行えば、自己決定権侵害を理由とする不法行為を構成する。
そしてその同意を得るための前提として、医師には説明義務がある。つまり、医師としては形式的に同意を得ればよいというわけではなく、患者に対して十分な情報を与えたうえでの有効な同意(informed consent)が必要となる。
では、説明義務の対象として、医師は医療水準に適った行為のみの説明義務を負うのか、それとも新規療法などであるいは医薬品の投与について疑いが生じているような状況があれば、そうしたことまで含めて説明する義務があるのか。
この点判例は、かつては説明義務の対象は医療水準として確立した行為であることを要する旨を判示(最判昭61.5.30判時1196-107)。ところが最近、最高裁は、一般的には医療水準として未確立の療法について医師は常に説明義務を負うわけではない、としつつも、未確立の療法ではあっても、「当該療法が少なからぬ医療機関において実施されており、相当数の実施例があり、これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては、患者が当該療法の適応である可能性があり、かつ患者が当該療法の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては、たとえ意医師自身が当該療法について消極的な評価をしており、自らはそれを実施する意思を有していないときであっても、なお患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである」とした(最判平13.11.27)。
(2)説明の相手方
医療措置の説明は、原則自己決定権を持つ患者本人に対してしなければならない。
もっとも、例外的に①患者が未成年ないし高齢で説明の意味を理解できない状態である場合(自己決定のために必要とされる能力が欠如している場合)や、②患者が非常に重篤な症状にかかっていて、本人に告知するのが適当ではない場合は本人に説明しなくても許される。