KYOKO | 輪廻転生

輪廻転生

在日コリアン3世Hyang Suのつれづれ日記、そして
私のもつ難病(多発性硬化症)について。
※ブログアドレスの【kj4rainbow】は、
KはKorea、JはJapan、rainbowは虹。2002年日韓共催サッカーワールドカップからとりました。

ここ数日。

いくつかの本を読んでいくつかのDVDを観て、

すこしのことを考えて内面と向き合う作業を繰り返してきたけれど

結局やっぱり心に残ったものはこれだった。


『KYOKO』


ブログのどっかに「本が映画化されたものはあまり好きじゃない」と

堂々と書いたけど、ちがった。

これは違う。

本も映画も最高。


文章が表す世界観と映像は何もかも外れていなくて、

高岡早紀以外の配役は考えられなくて

ダンスの美しさもため息が出るほどだ。

と、そんな風にレビューする冷静さは残っていない。

とにかくこの本を初めて読んだとき(13歳くらい?)

この映画を初めてちらっと観たとき(いつだろう?)

とんでもなくでかい衝撃を受けて、10年以上経った今もなお

胸をしめつける作品である。


話の内容とか高岡早紀の演技とか設定とかキューバミュージック&ダンスのよさとか

そういうのもぜんぶそうだけど、

この話が持つシンプルさと強さに憧れを抱かずにはいられない。

きっとそうだろう。

誰だってそうだろうと思う。


人としてのシンプルな行動のKYOKOに惹かれない人はいないと思う。

男であれ女であれ。

それはKYOKOが美人だとか優しいとかダンスがセクシーだとか

そういうことじゃない気がする。

KYOKOは自分の声に正直なだけだ。

人としてのあふれる正直さ、それを目の当たりにして13歳の私はおお泣きした。


この話には

黒人差別とか黄色人差別だとかエイズ差別だとかいろんな要素も含まれている。

裕福な人とそうでない人、路上で薬を盗む少年、ぼったくりのリモタクシーの黒人運転手、

バーで踊る人々、HIV患者の画家、トラック運転手のKYOKO.


それぞれがそれぞれの役割を持ってそこに生きていた。


「こうなりたい」と思うと同時に

「これでいいんだ」と許される。

KYOKOになりたい、と思うと同時に「私はKYOKOにはなれない」と思う。

でもそれでいいんだと。


KYOKOは強い。

強くて、しなやかで、まっすぐだ。

感情に正直で、行動に嘘がない。

たった一つの理由のためにマイアミまで、果てはキューバにたどり着く彼女は

本当にしなやかでセクシーだ。


そしてやはりキューバの音楽とダンスがとてつもなく美しい。

自分とはまるで対照にあるみたいだ。

でも対照だから、それができないってわけじゃない。

離れているからこそ、近づけることもあるでしょう。

離れているものどうしだからこそ、近づいたらきっともっと素敵なことが起こる。

そう。思う。


これについては、いくら書いても書いてもダメだ。

心で感じていることをいくら文字にしてみても、それも陳腐になってしまう気がして。

それはもうよくありがちな言葉で言うとすれば

「言葉で言い表しようのない」ほどの感動。衝動。

それは13歳のころからの、永遠の感動。