黄水仙のブログ

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母は戦中・戦後と生きて3人の子供を育てました。明るく笑い顔が印象的な人でした。


母が50歳の時、私に「これからは自分の為に時間を使います」と宣言しました。

そして今まで細々とやっていた
油絵やコーラス、書道、古典を読む会(源氏物語など)…そして川柳は楽しい人生の出会いをもたらしてくれたようです。

いつも枕元には2Bのエンピツとメモが置いてありました。
そして足の悪かった母は毎週、痛い足を引いて句会に出席していました。

そんな生活の中から生まれた句を載せてみたいと思います。




シャガールの嘘には羽が生えている


絵の中のひとりぼっちは淋しいか


シャガールの絵にだまされて生きている


モナリザにちょっと似ているサギ師A


アルトが響く 朝だって夜だって


自画像の仕上げを急ぐかたつむり


ラブレターまにあうかしらペン習字


ピカソの青 探し求めて遠い旅


エンピツをなめては寄せた投句欄


晩年のあれもこれもと趣味多忙




いかがでしたかヽ(゚◇゚ )ノ  次回も楽しみに音譜

笑顔が可愛いおばあちゃんニコニコ


母はよく笑う人でした。


そんな母の周りはいつも笑顔に溢れていました。


自分が中心になって笑いを誘っていたかと思うと、皆が笑顔になり場が和んだ頃にはさっと身を引き輪の外から笑顔を振りまいている…


おそらく、あれは天性のものだと思います。


今日はそんな彼女らしい一句を紹介したいと思います。



いい笑顔 アクセサリーにして 老いる



老いは誰しにも訪れる試練。笑顔をアクセサリーとして楽しみながら生きていく。


前向きで楽しみ方の上手な母らしい一句だと思います。


皆さんにはどう伝わりましたか?



-母からの贈り物-


それは、母の歩みを物語る一冊。 


母の川柳集。


“あとがき”は「今、私はとっても幸せです。」という一文からはじまっていました。


「幸せ」だった母の人生。


戦前から戦後、現代に至るまでを生き抜いた長い長い人生。


そこには子や孫・ひ孫に囲まれた当たり前の生活がありました。


震災から地域や家族の絆が見直され、人間が試されている時。


亡き母は今頃何を感じているのでしょう。


人との和を大切にし、そこから生まれる「言葉」を楽しんでいた母が何十年も書き溜めた川柳。


母の想いがたくさん詰まったその川柳を少しずつですが、皆さんにご紹介できればと思います。


多くの方々の「幸せ」のために・・・。