神様を知る前に。


今の時代、著しく科学が進歩し昔は知りえなかった事がどんどん解明されてきました。

 

これにより様々な事が可能となり不思議な現象も意図的に発生させ、さも幻想的な映像や娯楽、機械、技術などが生まれました。

しかし、時代と共にあまり進歩しないのが人間の概念です。

 

珍しい物事を毎日見聞きする事で「当たり前」と言う考え方が生まれました。

 

自動車を乗るのが当たり前だし、毎日会社へ通勤するのに電車を乗るのが当たり前。毎日続くと何でも当然のように感じてしまいます。

しかしこれら人間が作り出した技術は過去の人間にとっては魔法のような不思議なものです。


理解出来ますか?


過去と現在では全く違う概念が根咲いています。

 

誰でもいいですが、仮に過去に生きていたとされるイエスキリストにスマホを与えたとしましょう。きっと使い方はわからないでしょう。「使い方解らないから取説頂戴。」なんて事も言いませんね。

 

取説なんて言葉や概念もその時代には無いのですから。

 

余談ですが「取説(マニュアル)」と言う物が生まれたのは1900年頃と言われています。発祥はイギリスの産業革命が急速に発展していく中、これがアメリカにも伝わり1800年頃にフレデリックテーラーと言う人が手引書を作ったのが始まりだと言われています。

なのでキリストさんは既にこの世にいない事になります。

 

ガラケーしか使わない人は別として現代の人の殆どがスマホの使い方は知っていますね。

 

何故でしょう。そう、つまり単純にこれは時間の流れがあるからです。神様が知恵を与えてくれたわけではありません。

 

 

 

なんで神様って人型が多いの?


本来の神とされるものは姿形がありません、しかし仏教だと仏、神の子だとイエスキリスト、ギリシア神話だとゼウスとか、その地域によって信じられている【神】のような存在は皆人間の姿をしています。

 

これは至ってシンプルです。

 

人間は人間自身を凄いと認識していて、食物連鎖の頂点に君臨していると考えたからです。それに怪物をモチーフにするよりも癒されるようにそして親しみ深い人間の形のほうが認識しやすいからです。

 

大体8割がた人の形です動物の形や違う動物を組み合わせて作った神様も現存していますが、人間の形ばかりだとあれなんで申し訳程度に動物を象ったのでしょう。

 

例えば、映画のゴジラはご存知でしょうか?

 

このゴジラが「突如現れ街を破壊した!」と人間は認識するかもしれませんが、ゴジラはただ散歩していて邪魔だから口から光線だしただけかもしれませんよね。しかし人間は自分たちのテリトリーを脅かす何者かは【敵】だと認識します。

これ以上の破壊行為を阻止すべく人間は血眼になってゴジラに攻撃します。

 

街を守ると言いますが人間が作った都市、購入した家や土地、それは本当に人間の物なのでしょうか?

違います。

 

地球の土地や資源は人間だけの物ではありません、勝手に価値と言うものを付け加工したりしてそれをあたかも「自分の物」と決めつけているだけです。

 

つまり、人間は自分達を崇拝すべくして神は誕生したと言えるでしょう。

 

だからこそ人間の形をした神が多いのですね。

 

神とは便利なもの


神と言われてもパッとしないし、「神様は存在するんだ!」と詳しく知りもしない何かを信じている人もおられます。

それが便利なものなのです。

 

「神は人の心に1人1人に宿っている」という言い方で使えるし。

 

「お空の彼方で神様が見ているから悪い事は出来ないよね」というような使い方も出来ます。

「神様にお願いすれば病気はきっと治してくれるよ」とも使えます。

 

そう、神様は何にでも化ける事が可能な概念なんですね。

 

つまり、神とはとても便利な「ことば」なんです。こんな事言っていたら宗教家さんの方々にぶっ飛ばされるかもしれませんが本当の神とはそのような存在なんです。

 

 

 

神の本質

さて、本題に入りますが、とても不思議に思ってしまうこの【神】とはなんなのか?と言うと簡単に申し上げると【全て】です。

神は全知全能でもないし、どこかに住んでいるわけでもありません、勿論、姿形があるわけでもありません。

 

「それっていったいなんなんですか?!」とよく聞かれますが【全て】です。

 

【全て】とは何ですか?ともよく聞かれますが、水、石、土、鉄、空、海、宇宙、地球太陽、空間、素粒子、全部をひっくるめて簡単に一言に表現したものが【神】と言う「ことば」です。

 

あなたが来ている服は何で出来ていますか?ポリエステル?綿?なんでもいいですがそれは人間がどこからか持ってきて加工した服なわけですが、自分で毛糸で編んで作っている人もいるでしょう。

 

糸状の物を細かく編んで人間の身体の形にフィットするように作られた物は地球に存在する資源ですね。

 

人間の身体の水分は成人で約60%で出来ているのは知っているかと思います、その他は色々、カルシウムで出来ている骨とか、タンパク質の皮膚やら、様々な素材で出来ています。

 

全てにおいて【地球上に存在する物】で構成されています。

 

そして日光は太陽が発しています、地球と太陽の互いの重力、そして絶妙な距離や位置関係により春夏秋冬が訪れたり、地球の周期により温暖化や氷河期。

 

他の星が消滅したりビッグバンが発生したりと【全て】を【神】だと言えるでしょう。

 

要するに神は【何か】ではなく人間が作った【概念】でしかないと言う事です。

 

人間を作ったのは紛れもなく、神様ではなく、地球の環境です。それは凄いのか凄くないのかは言うまでもないでしょう。

そして人間だけではなく生命全てが【全て】です。

 

地球には人間が作った【国】と言う概念がありますが、境界線なんて実際はありません。境界線を決めているのは人間だけです。

 

動物や虫がパスポート無しで国境を越えても犯罪にもなりませんし、人間がとやかく言える立場でもないでしょう。

 

 

神の領域とは?

もし人間が神の領域に達したのならば何が出来るのでしょうか?

 

つまり、銀河系そのものを作れると言う事になります、今の現代科学では不可能な事かもしれませんね。人間の寿命はせいぜい頑張っても150歳くらいでしょう。

 

IPS細胞を駆使して不老不死になったところで何もない空間から何かを作るのは不可能でしょう。何もない空間とは真空の空間です。

 

しかし不可能を可能にさせるのならば、【情報空間】つまり創造です。頭の中で創造したその【何か】を物理的に形成できるようになるのならば【神になった】といえるでしょう。

 

それが神の領域だと考えます。

 

聖職者が念じて病気が治る光景を「神がかっている!」なんて言い方をしたりしますが、共鳴共存の法則により病気を治す事は可能でしょう。

 

昔からの言葉で「病は気から」という言葉があります、これには深いヒントが隠れていて気持ちによって体質や体調が変化する作用です。これは脳が全てコントロールしていてホメオスタシスと言う脳幹が担っている人間の【基準・水準】を変更させる事で可能となります。

 

単純に申し上げると、痛い痛いと泣いている子供に「痛いの痛いの飛んでいけ」とガチで念じていると本当に子供の痛みが無くなるのと同じ作用です。

 

これは親の脳の情報伝達により子供が共鳴し痛みが消え去ります、しかし怪我が治るわけではありません。怪我をした箇所は細胞が治して行きますが時間の問題です。

 

これが不思議な力で病気が治るメカニズムです。

 

聖職者や気功士はこのメカニズムを理解した上で行っている為、病気を治す事が出来るわけですから神がかっているわけではありません。(治せない病気も勿論あります)

 

 

 

全知全能とは

全知全能の神など書かれてる書物などがありますが、それを読んで理解して全知全能は存在すると考えている人は少ないでしょう、殆どがテレビや雑誌から得る断片的情報だと思います。

 

ぶっちゃけ全知全能など存在しません。

 

全知全能だと、一般的な部分でその能力を発揮した場合、目の前に歩いている女の子の生年月日や性格、スリーサイズも知っていてほくろの場所や数も知っている事になります。

 

ドラえもんのしずかちゃんが何時にお風呂に入るのかも知っているし、私がどんな女の子が好みなのかも知っているはずです。

 

誰が何処で何をしているのかも把握していて次はそんな行動をするのか、そして人間だけではなく虫の個体数、虫の現在位置や日本にいったい何本の杉の木が立っているのかも知っているし、この先人間がどのようなテクノロジーを開発し生存して行くのか。

 

地球の寿命や太陽の寿命、絶滅危惧種の動物の増やし方、電気を使わずに電化製品を動かす方法。完璧な人工知能の作り方など知っている事になりますね。

 

GPSが無くても今どこの銀河にいるのか、そして地球に帰る方法や時間空間の曲げ方や太陽の自転を逆転させたり、地球を磁場を変えたり出来るでしょう。

 

ギリシア神話に出て来るゼウスは全知全能といわれています、しかし何故操れるのが雷だけなんでしょうか、全知全能だと全てを操る事が可能なはずです。突っ込みどころ満載ではありますがこれ以上言うとぶっ飛ばされるのでこのへんで。

 

 

不思議な力は神ではなく人間そのもの

まず、1人1人が持っている脳がそもそもの不思議です。

 

我々人間は他の動物と違い【言葉】で細かな意思の疎通が出来ます。

 

例えばある動物が何かを発見し何かを発明したとします、しかし言葉が無いので次の世代にその技術を伝える事が出来ません、しかし人間はそれが可能だからこそ文明が発展して今に至るわけです。

 

凄い技術を持っていたとされるマヤ文明も言葉がなかったから次世代に伝える事が出来ず謎のままで終わってしまったと言う説もあるくらいですね。

 

それはともかく、神様と言う言葉を使い様々な事を成し遂げて来ました。

 

〇〇になりたい、〇〇をしたい。このような思いで神に祈り行動を起こした結果その偉業を成し遂げれば、神様のおかげだと思っても無理はありません。

 

神様が凄いのではなく人間そのものの精神が凄いと言う事です。

 

夢や希望と言う概念は病気を治し、原動力を生み出します。「夢は見るだけのもの」と勘違いしている人は日本ではかなり多いと思います。

どんなに神様にお願いをしてもお祈りをしても、自分の願望を現実化する行動がなければ何も起こりません。

 

そしてこのような人はこう言います「神様は嘘つきだ」と、しかしそうなのでしょうか?嘘つきは自分自身だと気が付かないのでしょうか。

 

夢を叶える為の原動力を得られるのであれば賽銭箱に大金を放り込んでもいいでしょう、しかし大金を放り込んで自身が行動しなければ無駄な行為と言えます。

 

運命の出会いも自身がその時間、その場所にいなければ出会う事もありません。

末期がんで余命が半年、死ぬ前にヒマラヤ山脈に登りたい!そして登った結果がん細胞の活動が停まり元気に生きる事も出来ます。

 

そう、奇跡とは神が起こすわけではなく、人間そのものの存在が奇跡を起こすと言う事です。

 

神と言う存在は人型でもお願いする対象でもありません、ましてや信じなければならない存在でもありません。

 

人間が今の時間を突き進み、夢や希望を胸に秘め、それを実現する為の手助けとなるだけの存在だと言う事です。

 

【神】とは【全て】であり、何かをしてくれるわけでもなく、ただ漠然と繋がっているだけにすぎません。我々全員が持っている脳内ニューロンのように。