神様の暇つぶし

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幸せは、この手のひらの中にあるよ°・*:.。.☆

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2019年の師走、
急に入った、彼女の訃報。


闘病は、闘病だったけど、
命に関わるとは聞いておらず、
会社の労務も、上司も、私たち同僚も、
年明けから復帰と聞かされていて、

だから、
驚きと、哀しみと、
少し遅れて
腹立たしさが襲ってきた。



最期まで自分が余命宣告をされている程の状態だと私たちに言わなかったことが、口に出すとそれがまるで現実に思えることが怖かったからかな、
なんて、今となってはわからない。


1年前の今頃、
机を並べる私に、
最初に自分の身体の異変を感じた日の事を
話した彼女の表情は、
でもね、大したことじゃないんだよ、と、
私に言いながら、自分に思い込ませていたり、
そうであって欲しい、と願っていたのかな。
心中、どんなに怖かっただろう、
と思い出す。


話していてくれたら、
私の知る限りの情報を
彼女に渡したかった。
目に見えるものも、見えないものも、
彼女にあげたかった。

そう思うのは、
自分が、結果何もしてあげることが出来なかった事からの苦しみから逃れたいから、
ただのエゴだ。。。


彼女が居なくなってから、
私の中から死への恐怖が消えず、
何故か怖くてたまらなかった。

そうしているうちに、
私まで腫瘍の疑いが出てきて、
全身PETCT検査を医大ですることになる。
丁度1年前、彼女がしただろう、
職場の同僚たちにも理由を内緒で休みを取り、
医大のがんセンターの中での検査。

彼女もここに来たんだ。
ここに通ったんだな。


結果を待つひと月の間、
擬似ではあったが、自分の寿命についても
もしかしたら、どちらに倒れるかの不安の中、
職場では普通の顔をして、
でも、体重はどんどん減るのだ。
まるで自分はもう『そうだ』と決まったみたいに。


結果を待つ間、
いつもいつも彼女に思いを馳せた。
彼女の1年前。


彼女が、自分の分までまだまだ生きてね、と
絶対言ってくれているとある時確信して、
やっと恐怖から放たれた。


死とは
自分の存在する部屋を隣りの部屋に移動するだけ、
とバシャールは言った。


だとしたら、
彼女もちゃんと『隣りの部屋』に存在していて、
この年末から数ヶ月の体験も
彼女からのメッセージのような気がしたなぁ。

だって、30年もずっと一緒にいたもんね。


生きてる時に言いたかったけど、

ありがとう。

もうちょい、生きるね。