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○民の元社長が、
うちがブラックだったら千・万のブラック企業がある
とのたまわったとか…
○民は完全に
死ぬまで働け、無理というのは途中で辞めるからだ!
というブラック確信犯だが、そういう会社以外で残業代がなく、就業時間が遅いという場合は確実に
仕事を断らないから社員に無理させる
という事に他ならない。
ブラック企業の元請けは、
約束の期日を破る、でも納期は守らせる
が多すぎるのではないか?
サラリーマンだった頃、CSの放送局だったので一分一秒遅いと事故になるというシビアな世界にいたので、期日を守る事には神経を尖らせていた。そのせいか、私は期日を守るようにしている。
今の自分の仕事は【スケジュール管理】と思っている節もあるくらいだ。
何故なら、
自分が遅れた場合、その先の作業に影響がでる
からだ。
お金を払っているのだから、
下請けや孫請けは死ぬまで働けよ
というのであれば、その人は○民をひとつも悪く言えない。
まったくの同類だ。
しかし…多くの元請けブラックは期日を守らず、下請けや孫請けが遅くまで頑張る。
と、いう事でその頑張った会社が
ブラック企業に早変わり
なわけだ。
もう良い加減、
そんなもんできねぇよ(♯`∧´)
と言わないといけないのではないか?
頑張るってそんなに重要なのか?
家族のため?
そう言う人は、もし慢性的な残業で身体を壊してしまっても同じ事が言えるのだろうか?
ブラック企業を作らないためには
勇気を出してその仕事から撤退する、遅れた分期日を遅らせる
事が必要であると思う。
これは当たり前の事だ。
私はかなり
ゾンビ好き

なのだ。
が、ゾンビの定義が最近あやふやで、これはちょっとよろしくない。
個人的には走るゾンビはありだと思っているのだが、
治るゾンビはありえない。
と、いうことで、アイアムアレジェンドという映画はゾンビ映画ではない。
ゾンビという存在は
一旦心拍停止状態になった上で、復活して人肉を貪り感染を広げていくモノ
を言うのであって、二度と生き返らない事のことなのだ。失ってしまって戻らないもの、なのだ。
と、いう前提でこれはゾンビというものの中でも好きな作品をご紹介したい。
漫画
【アイアムアヒーロー】
この漫画が凄いにも選ばれたゾンビ漫画の金字塔だ。
ゾンビの世界が来たら必ずこうなるだろうアナーキーな事が描かれていて、凄く悲しかったりする。特に2巻は切ない。
テレビドラマ
【ウォーキングデッド】
アメリカ人的にはゾンビの世界はこうであるという事なんだろう。
リーダーがコミュニティを形成していく雰囲気は自称世界のリーダーアメリカの誇りのようなものを感じる。
また、ヒューマンドラマでもある。
映画
【ロンドンゾンビ紀行】
一周まわって秀逸な映画だ。
お年寄りvsゾンビは全く新しかった。
しかし何故だろうゾンビものは映画になると途端にアクション要素が強すぎて、娯楽大作になりがちだ。アクション要素が少ないものは【ナイトオブザリビングデッド】くらいなのかなぁ…
ただ、【ゾンビは元は人間】という事を完全に忘れて軽い感じになるのは残念だ。
【ゲーム】
SIREN
このゲームは正確にはゾンビではないが、非常によく出来た怖さがある。
繰り返すが、ゾンビは【元は人間】なのだ。その生活をなにか突然崩してしまう。そして姿は生前のそれであっても全く異質なものへと変貌させてしまう。
そんな生活感とその異質な空間に突然放り投げられた絶望感が非常によく表現されている。
何故私がゾンビを好きかというと、それは
日常の有り難みの再確認
といっていい。
ゾンビの世界という最悪の絶望感を感じる事は、今ある世の中を素直に喜べるきっかけを与えてくれるのだ。
しかし…必ずしもゾンビの世界が究極の絶望か?と問われるとそれは言い切れない。
なぜなら、我々の世界はゾンビの世界のそれより、ある意味厳しいものだったりもするからだ。
デザインのプロフェッショナルってなんだ?
と考えると私はこう思います!

正直言うと技術面で上手さだけなら
いくらでもいる
のです。
だけども、素早く正確にデザインのオーダーをこなすことが出来るか?というとそれは少ない。
だから無駄な時間を使わない為に、
プロにお願いする
という選択を取るべきなのです。
しかし、暇な人は自分でやってみると言うことをお勧めするし、お金がない人も自分でやって見るほかは方法がないでしょう。
また、プロになるという事は、そのジャンルで
厳しくダメをだされて、業界のルールを知る
という事でもあると思います。
プロフェッショナルの世界は
一朝一夕ではない
のです。
でもだからこそ、私のスタンスは
アマチュアが一生懸命やってみたほうがいい
というスタンスです。
それは自分が生活している場所が実は【高度な技術の集まりで出来上がっている】ということを感じて欲しいと思うからなのです。
さて、ちょっと話を戻します。
プロのデザイン物には正確さが必要だという話をしました。
この正確さとは私は
【コミュニケーション能力+イマジネーション+経験】
で成り立っていると思っています。
お客さんとゆっくり話してみて、過去の経験からNGな部分を抜き出しイマジネーションで新しいものを想像し素早く形にする、という一連の流れがデザインという行為であると思うのです。
しかしスピーディーでなく正確でもなく創作活動をすることもできます。それはデザインとは似ているようで全く違う行為なんです。そしてそれこそが、
アート
であると私は思うのです。
と考えると私はこう思います!

正直言うと技術面で上手さだけなら
いくらでもいる
のです。
だけども、素早く正確にデザインのオーダーをこなすことが出来るか?というとそれは少ない。
だから無駄な時間を使わない為に、
プロにお願いする
という選択を取るべきなのです。
しかし、暇な人は自分でやってみると言うことをお勧めするし、お金がない人も自分でやって見るほかは方法がないでしょう。
また、プロになるという事は、そのジャンルで
厳しくダメをだされて、業界のルールを知る
という事でもあると思います。
プロフェッショナルの世界は
一朝一夕ではない
のです。
でもだからこそ、私のスタンスは
アマチュアが一生懸命やってみたほうがいい
というスタンスです。
それは自分が生活している場所が実は【高度な技術の集まりで出来上がっている】ということを感じて欲しいと思うからなのです。
さて、ちょっと話を戻します。
プロのデザイン物には正確さが必要だという話をしました。
この正確さとは私は
【コミュニケーション能力+イマジネーション+経験】
で成り立っていると思っています。
お客さんとゆっくり話してみて、過去の経験からNGな部分を抜き出しイマジネーションで新しいものを想像し素早く形にする、という一連の流れがデザインという行為であると思うのです。
しかしスピーディーでなく正確でもなく創作活動をすることもできます。それはデザインとは似ているようで全く違う行為なんです。そしてそれこそが、
アート
であると私は思うのです。
今日は打ち合わせデイです。
まず、大谷さんと浦和でエンディングノート事業に関して打合せ。
かなり具体的に動かすイメージがついてきたミィーティングが出来た。
そこで事件は起きた。
JK登場だ。
ジャミロクワイではない。
彼はどちらかと言うとJQだ。
さてJK…女子高生が打合せをしていたサイゼリヤの横の席に現れた。
と、そいつは突然汗拭きシートで
胸(下から手をいれて)、太もも(椅子に足をあげて)、首もと
などおっさんがするように拭き始めた。
昭和の高度経済成長下で土方のおっさんがするような豪快なスタイルで、まさにおいらたちのテーブルの横でだ。
いろんな所を拭いている所をニヤニヤしながらみていたのか?
と怒られそうだが、そんな色気のない、羞恥心のカケラも無い所作は逆にセクハラです。
まぁ、今時のJKはそんなんだろう…と思っていたら…なんと…
弁当を食べ出した(((゜д゜;)))
サイゼリヤで自分の弁当って…ここは駅の待合室じゃねぇよ…
よっぽど言ってやろうかと思ったが、ここは小心者、社会正義をかざすヒーローにはなれません。
黙っておりましたら、店員さんが注意した。
すると、店員がいなくなってから
あの態度なにさっ(=`(∞)´=)
とご立腹。
おい、JK恥を知りなさい恥を!
呆れて、呆れすぎて話してる最中自分たちの会話が分断されるほどでした…
浦和のJKよ…あんたら残念すぎるよ…
まだ16、17でその程度の常識も教えてやれない親や高校の制服きてるんだから同じ高校の生徒にま迷惑がかかるのだよ…
ま、それを声に出して言ってやらない時点で大人としては失格なんだろうけど、おいらが高校の時はもちょっとちゃんとしてたよなぁ(ノ_-。)
