能は狂言とともに南北朝時代から現代に演じ継がれていた。
舞台自体が禅の発想に支えられている。
[生]元弘3=正慶2(1333)
[没]元中1=至徳1(1384).5.19. 駿河
芸名観世、観世流の始祖
現在
二十六世観世宗家
観世清和(かんぜ きよかず)
歴史
原型となったのは、南北朝時代に大和(奈良県)で活動していた猿楽芸能の一座・結崎座で、その結崎座に所属し、大夫(座の代表する役者)を勤めていた観阿弥清次が観世流の初代です。
観阿弥は、息子の世阿弥とともに京都に進出し時の室町幕府三代将軍足利義満に認められ、その庇護のもと各地に勢力を伸ばします。
都の貴族文化を吸収した観世座の能は、観阿弥、世阿弥親子
観阿弥の後を継ぎ、二世観世大夫となった世阿弥は、夢幻能という独創的なスタイルを確立したほか、「風姿花伝」などの画期的な芸能論を著すなど、傑出した才能を発揮しました。能を深遠な人間論と哲学に貫かれた芸術に高めた世阿弥は、芸術史上の巨人として、今では国内のみならず世界からも注目され、仰ぎ見られる存在となっています。
世阿弥の息子・元雅が若くして亡くなりましたので、観世座の大夫は甥の音阿弥が継承し、以後 代々の大夫が時の権力者の保護を得ながら観世の能を後世に伝えました。
江戸時代に入りますと、徳川幕府が能を式楽(幕府の儀式で奏される音楽・芸能)に定め、また様々な流派の中でも特に観世流に庇護を加えたことによって、観世流は観世父子以来の全盛時代を迎えることとなります。
この間に、いわゆる家元制度が確立し、また能の演技そのものも、公的な行事の場で演じられるに相応しい荘重なものとなり、現代演じられている能のスタイルがほぼ出来上がったと考えられています。
明治維新によって江戸幕府が倒れ、幕府から俸禄(ホウロク…給料)得ていた観世流は苦境に立たされることとなります。しかし、家元等(宗家と能では呼ぶ)の努力によって次第に復調し、二十四世家元・観世左近(サコン)元滋(モトシゲ)の時代には、すべての上演曲目の整理を行い「観世流大成版」謡本を刊行致しました。
昭和に至り、うち続く世界大戦が国民の文化生活を根底から破壊します。更に戦後の統制政策によって、日本の伝統文化が排撃されようとする中、観世流も再び苦難の時代を迎えますが、二十五世観世左近元正(モトマサ)をはじめとする能楽師はねばりづよく能の伝承の保持と後継者の育成に努めます。そして二十六世観世清和(キヨカズ)が伝統芸能の世界を牽引(ケンイン)する平成の現在、観世流は能楽師約900人を擁する最大の流派となり、能はふたたび新たな黄金時代を迎えようとしています。
狂言というパートナーを要し、擁することによって笑いの世界を全て狂言ににまかせることによって能は世界でもラジカル(急進的)な演劇世界に踏み込むことを可能とした。
その見事な知恵,能と狂言はそれそれ別の演劇であり、同時に二つで一つの演劇である!
※能は武家階級をスポンサーとしながら勝ち組戦を描く作品はほとんど作らなかった。「清経キヨツネ」は世阿弥の名作の一つ。
