今日から2月。

いつも1月は「行き」、2月は「逃げ」、3月は「去る」なんて申しますが、28日しかないのと取るのか、28日あると取るのか、お考えは人それぞれを思いますが、一日一日を大切に、この厳しい状況を生き抜いていきたいものです。


さて今日1日はNHKの総合テレビの放送が開始された日でもありますが、同じくこの日に産声を上げたのがテレビ朝日 とのことで、今日はテレ朝が50年間の報道の歴史を振り返る特番「ニュースの記憶」を14:05から3時間にわたって放送してましたが、裏でやっていた「別府大分毎日マラソン」(RKB・OBS製作JNN28局ネット)とザッピングしながら見ておりました。

まあ僕にとってテレ朝の報道・情報番組といえば1989年10月の熊本朝日放送開局時から見始めた「ニュースステーション」が真っ先に浮かんでくるわけですが(子供心にそれまでTBS系のRKKでやってた「モーニングショー」「アフタヌーンショー」にフジテレビ系のテレビくまもとでネットしてた「ANNニュースライナー」の記憶もよく見てたので当然残ってます)KAB開局以前の「Nステ」は当然ながらネットされておらずはっきり言って記憶にないので、この番組の1コーナーとして組まれた「ニュースステーションを変えた日(フィリピン政変の一日)」を食い入るように見ました。

いまやFNNスーパーニュースの顔・安藤優子さんやのちに帰国後モーニングショーのキャスターなどを勤めた内田忠男さん(当時ニューヨーク支局でキャスター)などそうそうたる面々がそろって情報が錯綜する中電話や多元中継などを交えて現地の映像が取れない中で久米宏キャスターが地図や模型などを用いて状況を伝えていく姿はいやはや斬新だなと、まあ数十年「Nステ」を見てきた僕もうなる内容でしたね。

今は亡き小林一喜氏(当時朝日新聞編集委員)のコメントも懐かしい。


ほかにもキャスター今昔物語としてまじめにニュースを読む「ニュースレーダー」の三宅久之氏(元毎日新聞記者)とか「サンプロ現象」とか「朝まで生テレビ血風録」とかいろんなテレ朝の報道番組の特徴的な部分をピックアップし、加えて朝日放送の石高健次氏がスクープした北朝鮮による日本人拉致問題のスクープも取り上げてましたが(ABCの頑張りも立てる意味もあってのことか)、過去に犯した大罪とも言うべき「アフタヌーンショー・やらせリンチ事件」「テレ朝報道局長・'93衆院選関連発言問題」に関してはちょこっと触れただけでスルーしたようですな。

そうした姿勢は問題があるんではないかい?

今のテレビは自社の番組の自己検証番組を放送しなくてはならないのが業界ルールとして決められていますが、こういう節目のときこそ時間を割いて自分たちの報道によって侵した罪についてもしっかり自戒の念を持って取り上げるべきではないかと思うのは、僕だけでしょうか。


さて、話は変わって「休憩中のひそかな楽しみ」(笑)「報道ステーション」のサブキャスター・河野明子さん(テレ朝アナウンサー)が中日ドラゴンズ・井端弘和選手と結婚したことにより3月いっぱいで退社することになり4月以降の後任が誰になるのか注目が集まっていたようですが、番組の天気予報担当の市川寛子アナが昇格することで固まったとの報道が一部で出てますね~。

ネット上ではスポーツの武内絵美アナだとか08年入社3人組の中から誰かが来るとか言われてましたけど、結局のところ番組立ち上げメンバーの中から河野アナの休暇中の代役をそつなくこなすなどの安定感を買っての起用と取っていいのかもしれませんね。

というか4月以降は今の職場から違うところに行かなきゃ行けなくなるはず…はたして自分はどうなるのか・・・そっちのほうが不安です。