私は若い頃から自分を堂々と主張して来たような気がします。

今思えばその主張が全て正しかったかと言われると、そこはわかりませんが、どんな事もためらわず、自分をさらけだしてきました。

嫌な事は嫌!!イエス、ノーははっきりしていたと思います

最近思う事は「あいまいな態度や発言をするひとが多いな」という事です。

相手にはっきりした態度をみせるのが悪いと思っているのか、無視したいのか、どちらか分かりませんが、どちらも私は好きではありません。

例えそれが相手の要求に反する事でも「イエス、ノー」くらいの返事はしても良いのではないかな~と思うのですが。

よほど悪い事や常識に外れたことでしたら仕方ないと思いますが、用事があって電話してもメールしても音沙汰なし。

私はブログで愚痴を言うつもりもマイナス発言するつもりもありませんが、多くの人は“人間的成長をしたい」といっています。

例え返信がノーであっても意思表示が最低のマナーではないかと思います。

マナーといいましたが、それ以前に寂しい気がします。

私は着信歴があればかならず返信します。

以前、私の師匠が言っていました。

一日の終わりに考える事は、「今日は人に愛を与えられたかな」だという事を聞きました。

朝は「おはよう」・・・お疲れ様、ありがとう、など ささやかな心掛けでとても気持ちが良くなります。

そんな小さな事こそが、お互いに愛を上げた、愛をもらったになるように思います。

特に成功したい、人の上に立ちたいという人にとっては大切な事だと思います。


私は師匠から「白と黒の間は何色?」と聞かれました。


「白と黒の間は・・・グレーかな・・・」


白と黒の間でも無限の色があるのだと言われました。


限りなく黒に近い白、限りなく白に近い黒まであるということ。


答えにも「イエスかノー」かではなく無限の答えがある。


無限の答えは無限の可能性を含んでいるということになります。


人を見る時も「白か黒か」「良いか悪いか」で決めてしまいがちです。


私も以前はそんな見方をしていたような気がします。


又、ビジネスにおいても「うまくいったか、うまくいかなかったか」「良いか、ダメか」ではないのです。


「ノー」の中にも、限りなくイエスに近い「ノー」もあるということです。


私も「ダメだ」と簡単に答えを出してしまいそうな時が多々あります。


ビジネスの儲かる、儲からないも無限です。


町の小さなお店の儲けから世界の大きな会社経営の儲けまであります。


師匠から「何でも二つの選択肢から決めてはいけない」「それは自分の可能性を小さくしてしまうことなのだ」と教えてもらいました。


一つでも多くの可能性を見出すには一つでも多くの選択肢を持つことだと又学びました。


量から質、量からしか質は生まれない。


又、改めてうなずけました。

私はいつも自分には勿論、人にも「やさしい」人でありたいと思っています。


多くの人が「やさしく」ありたいと思っていますよね。


全てのものに「やさしく」ありたいと思っているのに「やさしく」する事はなかなか難しいものです。


家族や愛している人にでさえ、きついことを言ったり、相手が嫌がる事をしてしまったり・・・。


そんな時、自分も後味が悪く反省する事があります。


人が思うように人にやさしくなれないのは何故なのでしょうか。


師匠からの話し。


自分が疲れていたり、精神的にボロボロ、又何か不満があったり、もの事がうまくいっていなかったり。


そんな時は相手のちょっとしたミスでもカチッときたり感情的になったりする。


体調が悪かったり、心のバランスが悪かったりと自分が辛い状況の時は人にやさしくできないものだ。


確かにそうです。


体調が良い時、心のバランスが良い時、何事もうまくいってる時は人にやさしく出来るのです。


師匠の教え。


「やさしい」は「優しい」と書きます。


「優しい」は「優れている」という字。


自分自身が優れている、すなわち自らが多くを学び体も心もバランスがとれている。


真の優しさ、本当の優しさは自らの豊かさから来るものだという事を改めて知りました。


言葉やテクニックで「優しさ」を伝えやすいのですが、真の優しさでなければそれは相手に伝わらない。


人が人として優れていなければ、やさしくしようと思っても出来ないのだと言われました。


無理に優しくしようと思わなくても、自ら学んだ人や人として優れた人は自然に優しくなれるのだという事です。


優れた人間力こそ「やさしさ」への近道なのですね。