最終話:劇団「虚構の夢」

 

7年後。

 

 俺は、城崎への食べ放題バスツアーで再会した中学生時代の同級生、吉村恵と4年前に再婚した。カニが取り持った縁だった。

 

 妻の恵は6年前に調理師免許を取得したのだが、恵の後を追って調理師学校に入学した俺は、妻に遅れること2年でやはり調理師免許を取得した。

 

 俺は、調理師学校に入学するに先立ち市役所を退職した。

 

 結婚した2人は、互いの大阪市内のマンションを売却して地方都市に一戸建ての新居を構えた。中古物件を買ったのだ。一戸建てを買っても、大阪市内の2戸のマンションを売却した金額の方が大きく、俺たち夫婦の蓄えは増えた。

 

 地方都市に移り住んだ俺たち夫婦は、弁当屋を開業した。「バランス弁当」というベタな屋号にした。「栄養バランスに配慮していますよ」と言いたかったわけだ。

 

 俺たち夫婦は、2人とも、先立たれた伴侶の保険金を手にしていたので、2人の資金からすれば、かなりのレストランでも開業できたのだが、年金の支給が数年以内に始まる俺たち夫婦は、扶養家族もなく、目の色を変えて稼ぐ必要などなかった。

 

 それゆえに、2人は、地味でも充実した人に喜ばれる商売を目指すことにした。

 

 だから、俺たち夫婦の弁当屋はとことん良心的だ。

 

 例えば、食材費だが売価の5割も占めている。普通は3割なので並の業者では考えられない薄利の商売だ。

 

 その上、俺たちは、移り住んだ地方都市の市のパイロットプログラムに協力している。

 

 そのパイロットプログラムとは、学童保育のサービスを受ける児童で、親が弁当を持たせられない子供達を対象に弁当を安価で提供するものだ。

 

 そのような子供達に弁当を提供する商売は、もはや商売などではなく、俺たち夫婦の道楽と言える。ボランティア活動と言った方がいいくらいだ。

 

 何せ、俺たちが市側から受け取る弁当代のうちで、食材費が実に8割も占めるのだ。そうなると、光熱費をペイできるかどうかも怪しい。

 

 しかし、俺たち夫婦は、そんなことは気にしていない。店頭で販売する弁当からいくらか稼げれば、それで良いと思っているのだ。

 

 そんな俺たちの作る弁当はヘルシーだ。揚げ物を一品までとしている。ほとんどの弁当屋が揚げ物でカサ増やしをするわけだが、俺たちは決してそのようなことはしない。野菜をたくさん摂ってもらうために煮物を中心としたメニューにしている。

 

 もちろん、肉も魚も惜しまない。

 

 だから、俺たち夫婦の提供する弁当は好評そのものだ。

 

 もっとも、それだけのことをして敬遠される理由なんかないわけだが。

 

 弁当屋を営むのに店に調理師が2人もいる理由は特にないのだが、俺たちは本物志向にこだわりたかった。また、妻の恵は短大卒業時に栄養士の免許も取得しているので、俺たち夫婦の弁当は栄養バランスの面でも優れている。

 

 店にはバイトを2人雇っている。当然のことながら、バイトに対する待遇にも十分に配慮している。だから、感じのいい人が来てくれて、気持ちよく働いてくれている。

 

 俺たちは、今、学童保育を実施している小学校にやってきている。弁当箱を回収しにきたのだ。

 

 しかし、俺としては、1人で済む用事を、今日に限って、どうして2人でするのかが解せない。

 

「なあ、メグちゃん、弁当箱の回収なんか1人で十分だろ?」

 

「いいじゃない、店にはバイトの人もいるのだし。たまには夫婦でデートよ」

 

「え、これはデートなのか?」

 

「あら、嫌なの?」

 

「まさか、嫌なわけがないじゃないか。それにしても、いつも思うのだけど、この小学校、教室から教職員用駐車場までが遠いね」

 

「これくらい運動よ。タダなんだし、いいじゃない」

 

 そんな話をしていると、母親とその子供が俺たちの前を通りかかった。母親は、学童保育から子供を連れて帰るところだった。小学校3年生くらいと思われる男の子だった。親子で弁当の話をしているようだった。だから、俺たちは、つい歩みを止めて、親子の話に耳を傾けた。

 

 親子は、こんな話をしていた。

 

「ママ、今日の焼きそば、すごく美味しかったんだ」

 

「焼きそばって、お弁当の焼きそば?」

 

「うん、バランス弁当の焼きそば」

 

「ああ、あそこのお弁当は美味しいわね、で、どのように美味しかったの?」

 

「カップ焼きそばとも普通の焼きそばとも違うんだ。ソースの味が麺の真ん中まで程よく染み込んでいるというか、不思議な美味しさなんだ。僕、あの焼きそばのことをいつも楽しみにしているんだ」

 

「そう、良かったわね。ママも、あそこのお弁当が大好きなのよ。特に焼き鳥弁当がいいわね。なんか、鳥貴族の焼き鳥とやけに似ているけどね」

 

「鳥貴族の焼き鳥なんか知らないよ」

 

「そりゃあ、そうよね、鳥貴族は居酒屋さんだものね」

 

 この親子の話を聞いて、俺たち夫婦は、思わず、顔を見合わせてニンマリとしてしまった。

 

 俺は焼きそばのことを恵に訊いた。

 

「俺、あんな焼きそばの作り方があるだなんて知らなかったよ」

 

「そりゃあそうよね、あれは学校給食なんかの大量調理の作り方だものね。私は、小学校で勤務する栄養士の先輩に作り方を教わったから、たまたま知っていたのだけどね」

 

「まず生麺を油で軽く揚げてから、薄味のウスターソースをかけて柔らかくするだなんてね。手っ取り早くできるし、しかも美味しいのだから、言うことなしだね。麺を炒める必要もないしね。味も麺の芯まで具合良く滲みるしね」

 

「ほんとよね」

 

「俺の焼き鳥のことも褒めてくれたよね」

 

「鳥貴族の焼き鳥に似ていると言われたけどね」

 

「そうなんだよ。死んだ女房の劇団仲間に押しかけられて、散々飲み食いされていた頃は、節約の意味で居酒屋は大衆価格の鳥貴族と決めていたからね。いつの間にか、自分で焼く焼き鳥まで似ちゃったのさ」

 

 そんな話をしていると、妻の恵の視線が電信柱の方に向いていることに気が付いた。

 

「メグちゃん、何を見ているの?」

 

「ポスターよ」

 

「お、あれは演劇のポスターだね。こんな田舎の市民会館でするのか」

 

「近くで見てみましょうよ」

 

「別にいいけど ・・・」

 

・・・・・・

 

「ふーん、聞いたことのない劇団ね。劇団『虚構の夢』臨時公演だって。「アンタレス大皇帝」か、なんだろう?」

 

「これって、奴らの劇団だよ。まだ続けていたのか」

 

「奴らの劇団? ・・・ 脚本:奥野光希か ・・・ これってひょっとして?」

 

「ああ、死んだ前の女房だよ。またこの演目をするのか」

 

「奥様が書いた脚本なのね。あなたがクズって言っていたのは、この劇団の人たちでしょ?」

 

「そう、散々飲み食いされて、チケットを散々買わされたよ。やれやれ、この連中だって、メグちゃんみたいな素晴らしいパートナーと巡り会えれば、まともな生き方ができるかもしれないのにね。劇団『虚構の夢』か、まさに、あいつらの劇団名にふさわしいよ。嘘の夢を見て、いつまでも、いい加減な生き方を、いつまでもクズを、続けるわけだ。こいつら、みんな、自分に才能なんかないことに、とっくに気付いているくせにね。劇団長なんか、55歳とかになるはずだよ。それが中学生の好むような異世界モノの芝居を打つのだから、まったく懲りない連中だよ」

 

「私のことを素晴らしいパートナーと言ってくれたのは嬉しいけど、他人の人生よ、他人の勝手よ、とやかく言っちゃダメよ」

 

「メグちゃんは大人だね」

 

「ええ、同い年なら、女の方が大人に決まっているでしょ。いいじゃない、タカちゃんは、中身のある人生を始められたのだから、他人のことは放っておきなさいよ。とやかく言うのは下衆のすることよ」

 

「うん、そうだね。今日みたく、弁当を食べてくれた人に、特に子供に喜ばれると、本当に満ち足りた幸せな気分になるよ。もう俺の人生はクズじゃないと思えるもの。俺の今の人生は、劇団員の嘘の夢を見る人生なんかよりも、うんと充実した中身のある人生だと思う。みんな、メグちゃんのおかげだよ」

 

「私に感謝するのなら、亡くなった前の奥様にも感謝しなさいよ」

 

「それは、どうして?」

 

「だって、あなたの前の奥様、最期は、いい奥さんだったじゃない。自分が間もなく此の世を去るというときに、タカちゃんの生き方について注意をしてくれたのだもの。最期は、きっと、精神面だけでも、クズなんかではなく、立派な女性として亡くなられたのね」

 

 俺と恵、俺たち夫婦は、もうすぐ、還暦を迎える。

 

=おしまい=