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小説『stray sheep』先頭へ

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　私はなにも言わずに歩いた。これからどうなるかはわかっていた。そういう予感があったのだ。

「篠田、お前はここで待ってろ。ただな、どれくらいかかるかわからんぞ。――じゃ、入るぞ。落合、いいな？」

　私は目だけあげた。高槻さんならそれを見て笑うだろうと思いながらだ。未玖は腕をつかんできた。その部分に触れたまま私は中に入った。

「ああ、」

　そう言って担任は立ちあがった。テーブルには紙が散乱してる。それを挟むように教頭と養護教員が座っていた。音はなく、そのせいか絵を見せられてるような気分だった。

「落合、お前に訊かなきゃならんことができたんだ。その、お家の方にもご報告というか、そういうのをすべきなんだろうが、事実確認はしとかなきゃならないからな。それでな、こういう話が出てるんだが、お前、ある男とつきあってるのか？その、なんだ、それはつまり深いつきあいってことだが」

　私は窓へ目を向けた。明るさの残る空には崩れるように動く雲がある。『三四郎』の空だ。

「どうなんだ？落合」

「そのある男って、誰です？」

「そりゃ、高槻くんだよ。そのことで俺は、――いや、それはいい。しかし、こりゃ大変なことだぞ。わかってるのか？外部講師として来てもらった男が生徒と、その、そういうことをしたってなれば大騒ぎになるかもしれないんだ」

　暗澹たる顔つきで新井田先生は腕を組んでいる。養護教員が近づいてきて腰を屈めた。

「ね、落合さん、どうなの？ほんとにそういうことしたの？」

「はい」

「だけど、そうなるようにさせられたんじゃない？誘惑されたってことよ。大人はね、いろんなことを言って近づいてくるの。身体目当てになんだって言うのよ。それでそうさせられたんじゃないの？」

「違います。私がお願いしたんです。そうして欲しいって」

「でもね、聴いた話によるとその人はすごく熱心に教えてたみたいじゃない。そういう人と生徒って疑似恋愛のようになることもあるのよ。これはあなただけじゃないわ。学校で起こる淫行事案ってのはだいたいがそうなの。強い影響のもとにいると判断できなくなっちゃうのね。それを愛情と勘違いしちゃうのよ」

　日は翳りはじめ、雲は色を変えた。雨が降ればいいのに――私はそう思っていた。二人で見る窓はたいがい雨に濡れていたからだ。

「そうじゃありません。誘惑したっていうなら、それは私の方です」

「あの、この生徒は家庭環境が少々複雑でして、」

「家のことは関係ありません。私が自分で決めたんです。それに高槻さんは助けてくれたんです。そうは言わないし、助けたんじゃないって言ってもいたけど、でも、やっぱり助けてくれたんです。私のことを知って、全部受け容れてくれたんです」

「そういうとこにつけ込まれたってことなんじゃないのか？」

　教頭は紙を摘まみあげている。私はしばらく息を止めた。目眩がするような気分だった。

「違います」

「いや、違わないんだよ。君の家のことは我々も知ってる。お母さんのこともな。まあ、それでこうなったなんて誰も考えてないぞ。ただな、その男は不安定なとこにつけ込んで誘惑してきたんだ。いくら違うって言っても、これはそういうことになるんだ」

「なんでそうなるんですか。私が違うって言ってるのに」

「それは君がまだ子供だからだよ」

　嗄れた声がした。校長は顔を突き出している。

「子供はね、強い影響下に置かれると正常な判断ができないって思われてるんだ。これは個人の問題じゃない。年齢で区切られてるだけの話だ。ただ、社会というのはそうやって成り立ってる。残念だが教頭先生の言った通りだ。君がどのように言っても世間はそのまま受け取らない。その人が誘惑したって考えるんだよ」

　瞳は潤んでいた。泣きたくなかったけど涙は頬をつたっていく。それを感じたときには顔を覆っていた。

「じゃあ、嘘を言えばいいんですか？先生たちが望むような嘘を言えばいいってことなんですか？でも、私は事実しか言いたくありません。私たちは真剣に愛し合ってるんです」

「はっ！子供が愛だなんて軽々しく言うな。君は本当の愛を知らないんだよ。その男に唆されたんだ。いいか？これは立派な犯罪だぞ。生徒を誑かしてそんなことするなんて、そいつは犯罪者なんだ」

　それを聞いてると暗闇の中に様々な声があらわれた。聞き覚えのないものだ。ただ、誰のものかはわかった。それは三四郎や美禰子、それに広田先生の声だ。彼らはあたえられた台詞を言うのではなく、自らの感情にしたがって語りかけてきた。それも私にはわかった。

「愛ってなんですか？」

「は？」

「ねえ、愛ってなんですか？教えてください。わかるように説明してください。私の感じたのがそうじゃないっていうなら、どういうのが本当の愛か教えてください。私は自然な感情にしたがっただけです。高槻さんは言ってました。愛するというのは自然で、それを社会的な要請であるとか偽善的行為によって曲げるのは自然に背くことだって。私は感じたまま、自分の自然に素直になっただけなんです。そして高槻さんはそれをきちんと受け取ってくれたんです」